第3話 舌には自信がある女教師

「え、今の…「何でもないから!」えぇ……」


「猫でも鳴いたのかしらね?うふふふ…」


その時、再び気の抜けるような音。

間違いなく冴木先生からだった。


「う、うぅ……」


「えっと……お腹、空いてるんですか?」


恥ずかしそうに俯く先生に問い掛ける。

先生は暫し沈黙した後、小さく頷いた。

これ、本当にあの冴木先生か?


「ま、まだご飯食べてないから…」


「あぁ、そうなんですか。」


別に恥ずかしがるような事じゃないと思うけど。



「あ、そうだ。夕飯の残りがあるんですけど、良かったら持って帰ります?」


「え?」


単なる思いつきだった。

冴木先生が目を丸くしている。

余計なお世話だったかな。

よく考えたら、たまたま同じマンションに住んでるだけの、しかもあまり知らない生徒にお裾分けされるなんて嫌だよね。


「ごめんなさい。もう作っちゃってたりしますよね。忘れて下さい。」


「い、いえ!作ってないわ!」


先生が慌てたように口を挟む。

あれ、もしかして欲しいの?


「あ、ならいります?1人分とちょっとくらいしかないですけど、旦那さんの分とか考えると……」


てか子どもとかいるのかな。



「旦那…?私、一人暮らしよ。」


「あれ、そうなんですか?」


ファミリー向けのマンションに一人暮らし?

と疑問に感じたのを察したようで。


「ちょっと事情があって…。私、結婚なんてしてないもの。」


「はぁ、そうなんですか。」


「長谷川君こそ、ご家族がいらっしゃるでしょう?余り物でも勝手にはいただけないわ。」


「それなら大丈夫ですよ。僕も一人暮らしなので。」




「……え?」


冴木先生がキョトンと首を傾げる。

まぁ、普通に考えたら高校生がファミリー向けマンションに一人暮らしとかありえないよね。


「うちも色々事情がありまして……名義は僕なんですけど、去年亡くなった祖父が遺してくれたんです。」


「そ、そうなの……あの、ご両親は…」


「僕が小学生だった頃に事故で亡くなっています。」


両親を亡くした後、僕は祖父のもとに身を寄せた。

僕が孤独にならなかったのも祖父のお陰である。

その祖父も去年亡くなった。



「……ごめんなさい。余計な事を聞いたわ。」


「いえ、気にしないで下さい。担任の先生とかも知っている事ですし。もう何年も前の話ですから。」


「そう………という事は、家事は自分でしているのね?」


「そうですよ。」


「りょ、料理も…?」


「そうですけど。」


何でそんなおそるおそる聞くの。



「…ちなみにその余り物はどんな…」


「今日は鶏肉と野菜の甘酢炒めです。あと卵スープも残ってます。」


「そんな本格的なっ!?」


本格的かな?

無知な素人でもない限りレシピ見ながら作れば簡単にできるはずだけど。


「小さい頃から料理はしてたので、これくらいなら……味もそこまで酷くはないと思います。」


これでも料理の腕はそこそこ自信がある。

他の家事はそれほど手際良くないけど。


「そ、そんな余裕な態度……負けたわ。」


何故か愕然とした表情をしている。

もしかして…?




「先生って、あまり料理が得意ではないんですか?」


「うっ…」


図星だったみたい。


「えっと…」


フォローしようとしたが、先生が怒涛の愚痴を言葉にし始めた。


「わ、私だって頑張ったのよ。本だって何冊も読んだし、ネットで色々勉強もしたの。料理教室にも通って包丁やフライパンの扱いも学んだのよ。」


冴木先生がブラジャーをびよーんびよーんと引っ張っていじけている。

シュールだ。


「でも、包丁を使えば毎回のように指を切るし、フライパンを振ったら飛んでいくし、塩と間違えて砂糖を入れるし……」


そんな人リアルにいるんだ。

ある意味すごい。


「これでも舌には自信があるのよ。昔から良いものを食べさせてもらっていたし、味音痴ではないの……なのに、作る事はできない。」


眦に涙を浮かべて滔々と語る。

何だかこっちまで泣きそうになってきた。

ごめんなさい、これはフォローできません。

諦めて話をそらそう。


「えーっと……夕飯、いります?」


「………いる。」


涙目でいじけた表情のまま、短く頷く先生はめちゃくちゃ可愛かった。






「お、美味しい!なにこれ!美味しすぎるわ!」


甘酢炒めを食べながら冴木先生が目を剥いた。

わざわざタッパー等に入れて渡してまた返してもらうのが面倒だった為、このまま我が家で食べてもらうようお願いした。

冴木先生は空腹のあまり即座に了承し、数分後には軽く温めた夕飯の残りを食べ始めた。


白米は残っていなかった為、冷凍していた先日の残りをレンジで温めて提供した。

炊き立てに比べると美味しくないだろうけど、そこは我慢してもらおう。


「この甘酢炒め…ご飯が進みすぎるわね。」


温めた白米をパクパクと頬張る。

食べる姿は優雅なのに、ドングリを食べるリスみたいに頬が膨らんでいるのがギャップがあって反則的だ。


「スープもトロリとして美味しい……」


中華風スープは僕の好みに合わせて片栗粉を増量し、とろみを普通より強くしてある。

先生の舌にも合ったようで何より。


「長谷川君…やるわね。」


どうやら舌に自信があるらしい先生のお眼鏡に適ったようだ。

まぁ、先生が隣の椅子に置いた神聖なるそれのお返しとでも思って下さい。

そんな事、絶対に言えないけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る