プリステラ

櫻井和ノ助

第1話

とある週末の朝。


おーい、起きろー、起きてんのー!?


優しい声で、1階の階段の裾から顔を出して、

母に呼ばれた声が聞こえて来る。

トントンと駆け上がって来ると


起きてんじゃん?

留守かと思ったわ。


笑顔で母に言われた。


ルスカ

あー起きてたよ。ボーッとしてた。


ルスカ

あのさー、自分で名前つけたくせに、

留守かー?ってなんだよ。


僕の名前は流佑。いつからだろう?

友達たちには


おーい、留守かー?


ぼんやり空眺めたり、授業中に校庭の

水溜りが気になって眺めたりしてる僕を

そう揶揄するようになってから、僕のあだ名はルスカって呼ばれている。


今週末は母が隣町に新しく出来たパン屋に行きたいからって、お一人様一斤だからって言う母に、無理やり行くしかなかった。


ルスカ

もう少し待って?


ゆっくりベッドから起きると少し茶がかかった親譲りの天然なくせ毛を、そっと手ぐしをしながら、階段を降りた。


ルスカ

何時だっけ?オープン。


11時。言ったでしょ?昨日。


ルスカ

そうだっけ、、、。


はいっ。と出されたコーヒーに、牛乳と砂糖を二杯ずつ入れてすすった。


母のコーヒーはいつも美味しい。口に出しては言わないけど、自分が入れても美味しいと感じた事はない。

目の前でメイクをしながら


あのさ、今日のパン屋、田辺先輩の弟の奥さんが修行してた有名なパン屋とカフェあんじゃん?なんだっけ名前?ルスカ。


ルスカ

知らないよ。誰よそれ?


母は誰先輩だの、誰ん家の奥さんだの、噂話しとやきもち話しが大好きだ。


甘くて苦いコーヒーを飲みながら、ボーッとパン屋の地図をアプリで眺めていた。


ルスカ

めんどくさいな。パン屋、、、。


母は基本的に人の話しを聞かない。

正確には、自分に関わる事以外はインプットされないようだ。


そう言えばさ、隣になんか変な店あったから

ママが並んでる間見て来たら?


ルスカ

隣の店?

へー。わかった。見てみるよ。


軽く返事をすると洗面所に歯磨きとヘアセットをしに、キッチンにコーヒーカップを置いた。


またちょい残し。パパそっくり。


母はそういうと笑顔で自分の部屋へ着替えに行った。


父はしばらく前に出て行ってしまった。正確には帰った、かもしれない。ここから三十分ほど車で走った隣の小さな田舎町の実家に帰って行った。今はそこで仕事をしているようだ。週末には母と二人、父の実家に行って過ごすのが、我が家のルーティンになってしまっていた。

僕はどっちも好きだから、どうでも良いけど。母は気を遣うらしく、いつも腰が重い。

今週は珍しくパン屋が新しくオープンするからなのか、母は父が好きなコーディネートの服を選んでいた。


パパさ?絶対あのパン好きだと思うの。

どう思う?


ルスカ

今、歯磨きしてるから待って。


歯ブラシを口に突っ込んだまま、毛先だけ、ワックスを付けていた。母は父を未だに好きらしい。ま、夫婦なら当たり前かも知れないが、一緒に住んでいた時より、父に気を遣う母は一人の女性のように思える。


ねえ、聞いてる?パパ好きだよね?


ルスカ

知らないよ。そのパン食べた事ないじゃん。


あ、そうだ。


母はいつもドライで天然だけど、職場では大事なポジションでドクター相手に一人気を張っている。医療機器の中小メーカーの営業主任で信頼も厚いみたいだ。フルタイムで朝から晩まで歯科医院や病院を回っている。時折LINEで

 晩ご飯冷凍をレンジでチン願う。


変テコな分を送ってくる。僕は簡単に


 り


了解の意味、しか送らない。今はそんな平凡な退屈な毎日だ。


用意出来た?まだかかるならポコの散歩行くけど?


ルスカ

あー、オレ行くよ。空眺めたいから。


あれ?今オレって言った?

かっこいいじゃん!


ありがと。助かるわー。

それに、最近どうした?

空ばっか眺めて。


ルスカ

別に。

意味なんてないよ。


ポコは愛犬だ。家族で数年前に海に釣りに行った帰りに寄った大きなホームセンターで、母が一目惚れして買うことになったイタリアングレーハウンドの名前。

当時小学生だった僕が付けたらしいが、なんでそんな名前にしたか記憶があまりない。


少し明るめのライトグレーで、毛艶の良さと、下から見上げる眼差しが愛おしくなったらしいが、その理由がなんとなく今は分かるようになって来た。

母との散歩や、じゃれ合う姿の時のポコが母を見る眼差しが、明らかに僕や父の時とは違うからだ。

リードを手に持ってイヤフォンを付けると、ポコが吠えながら駆け寄って来る。


ルスカ

ポコ、散歩行くよ!


走りよって来てけたたましく来て吠えるポコに


ルスカ

わかったわかった。行くから。


頭を撫でながらリードを付けると、勢い良く赤いドアの玄関を押して飛び出した。


空は良く晴れていて山々が遠くに見渡せて気持ちが良かった。ゆっくり大きな雲が低い空からグングン突き出している。

ここは関東の地方都市、小学生からこのデザイナーズ住宅と呼ばれている、瀟洒な住宅街の一角の賃貸の一軒家に住んでいる。

小学生になるまでは東京にいたような記憶がなんとなくある。


いつも通る神社の参道に差し掛かるとセミの声がイヤホンの音楽越しにかすかに聞こえた。ポコがオシッコのたびに止まると、少し汗ばんだTシャツの胸をあおいだ。

その時、LINEの通知音が聞こえた。


 時間なくなるはよかえれ


母からだ。



と返すと既読からすぐに


 おけ


全く。いつも急かす。

そのくせ自分は急がない。

家では変な母だが、仕事では大丈夫なんだろうか?


ルスカ

ポコ、急ぐぞ!


走り出すとポコも負けじと小さな身体を躍動させて並走する。

余裕で間に合うのにな、、。

まだ9時過ぎだ。ここからは30分もかからない所だ。並びたい性格なのは予想がつく。きっと、並んでる客と話し込む事も想像がつく。それより隣の変な店ってなんだろう?

少し気になっていた。母に行きの車の中で聞いてみようと思っていた。


ナツ

るすけー!


ルスカ

おー!


ナツ

散歩?珍しいね。どっか行くの?


幼なじみの同級生、夏奈。夏奈だけは

あだなでなく本名で呼ぶから少し気恥ずかしい。


ルスカ

いつもの実家だけど、なんかパン屋に寄ってくって、ママが。


ナツ

あー、なんかうちのママも行くって言ってた。わいも行こうかな?流佑も行くなら。


ルスカ

わいってなんだよ。 

並んで買って終わりだぞ?


ナツ

いいじゃん別に。仲間だろ?


ルスカ

仲間じゃねえし。めんどくさ。

じゃーね。急いてるから。


ナツ

LINEするよー!


ルスカ

してくんなよー!


二人とも笑顔で走って帰って行く。

夏奈はトレーニングで毎日走っている。

元のダンス仲間。

同じダンススクールに小学生から通っていた中で、性格も見た目も家庭環境もどこか似ていて、不思議と自然にチームを組んだ仲間だった。チームでコンテストに出ては何度も優勝した。何故か兄弟のような、家族のような変な間柄だった。夏奈は僕がいなくても家に来ては母とソファーで話しこんだり、昼寝していたり、中学3年の時、ダンスをやめた自分を気にしてか、最近は来る事もなくなったが、母とは未だにLINEしているようだった。


ルスカ

ただいま。


行くよ!間に合わない!


ルスカ

勝手だなー、、、。間に合うって。


そうかな?並ぶでしょ絶対。

ナツママも行くって、さっきLINE来たの。


ルスカ

へー。


知っていたが、面倒だから素っ気なく答えた。ポコに水をあげて、階段を駆け上がって、クローゼットからTシャツを選んで着替えて階段を降りると、母はもう車のエンジンをかけて、外のポストの前で郵便に目を通していた。スニーカーを履いて開け放しの玄関を出る。


まだ?

はよー。


ルスカ

え?鍵は?


お願いします。


ルスカ

めんどくさ!


スニーカーを脱ぐと鍵置きから鍵を取って

またスニーカーを履いて、玄関の鍵を閉めて助手席に勢いよく座った。

すぐに走り出すと、母の好きなアーティストの曲がかかる。いつものルーティン。

少しだけ窓を開けると


ルスカ

ママ、隣の変な店ってなに?


あー、なんかママの小さい頃からあんだけどさー。多分、ペットショップかな?

怖いのよ。店のおじさんが。


ルスカ

へー、そうなんだ。で?


なんか、一見さんお断りみたいな貼り紙があってさ。子供の頃、じいと見に行って怒鳴られた記憶があんのよ。


ルスカ

そうなんだ。見ただけで?

そりゃ変テコだわ。


でもね、最近新しくなったのよ。

ただ見学お断りって張ってある。


ルスカ

マジ?なんだそれ?何売ってんの?


なんかね、横文字に変わって店もオシャレなんだよー。観葉植物みたいのたくさん置いてあってさー。でも貼り紙が。みたいな。


ルスカ

へー。


どんな店なんだろう。

余計に気になるようになった自分がいた。

母の話しでは、昔は鳥籠がたくさん外に出てて、中に入ると金魚やら猿やらトカゲやら何かバラエティ豊富なペットショップだったらしい。

今は店主がいるのかも分からないらしい。

パン屋に向かう途中、LINEの通知音がなった。夏奈からだ。


ナツ

ごめん、わいは行けない、美味しかったか教えて


ルスカ

知るか?誘ってませんけど。

味はママに聞いとくれ。


ナツ 

冷た。

アイスのスタンプ


店に着くと駐車場は思ったより空いていた。


やった。空いてたね。

止められないかと思ってたー。


ルスカ

隣の店ってどこ?


この反対側。とりあえず並ぶね。


小走りに母は反対側の方へ向かう。


ルスカ

ママ、逆!!


笑顔で舌を出すと僕に手を合わせて頭を下げて店の方へと戻って行った。


目の前を通るとパン屋はいい香りを出していて、店員達が外に出てパンフレットを配っていた。


金のほこら。


店名をネットで調べると東京の店の地方アンテナショップらしく、期間限定と書いてある

。店の隣にはテナント群があり、まだ工事中なのか全てシャッターが降りているが真新しい。道路を一本挟んだ所に母が言う変テコな店はあった。


aquarium KAMEDA


アクアリウム?なんだろう。

店の横まで歩いて来ると、立ち止まってネットで調べてみた。アクアリウム


アクアリウム(英: aquarium)は、水生生物の飼育設備を指す。水族館のような大型施設から個人宅に設置するような小規模のものにまたがる概念である。英語の原義では公的施設の水族館と、個人などの趣味の範疇にあるものは明確に区別されず、要するに水生生物の飼育施設・設備を指す。日本ではその中でも特に、観賞用に熱帯魚(観賞魚)や水草などを飼育・栽培すること、またはそのために構築された水槽を含む環境を指すことが多い。


へー、なんかペットショップとは違うみたいだな。外に並んだ母の言う観葉植物とは、全く違う活きいきとした見たことの無い植物や大きな陶器の鉢や、黒いプラスチックで出来た水槽には水草が植えてある。

隅には珍しい石が配置してあり、綺麗な水が泡音を立てながら水流を作っていた。

いつのまにか、座り込んで眺めていると、


何?気になる?買い物?探し物?


背後から声がした。

振り向くと、長身で金髪に長髪、金縁の丸メガネの黒いエプロンをした二十代後半の店員に声をかけられた。


ルスカ

いや、あの、なんのお店かなーって。


店員

あー、なら調べてから来てね。ごめん、そこ邪魔なんだけど、、、。


ルスカ

すいません。


なんだよ、店なんだからやる気出せよ。

マジムカつくわ。そう思いながらパン屋に戻って行った。


ちょっとー!LINE見てないじゃん!

ナツママいたから良かったけど。


ルスカ

ごめんごめん。隣の店に行ってたから。


携帯くらい見なさいよー!!


はい。どうぞ。


半分白い袋に入った白い粉のかかった丸いパンを渡された。


ナツママがルスカにって。

お礼言ってね、ナツママにあったら。


ルスカ

わかった。


母と車に乗りこむと、隣の田舎町の実家を目指して走り出した。 


あー、良い匂い!絶対美味しいよね?


ルスカ

うん、美味しい。このチーズパン重いわ。

少し食べる?


ノーサンキュー


ルスカ 

何でよ?


そっちの方が美味しかったら嫌じゃん。


ルスカ

意味わからねー。

美味しかったらそっちも美味しいだろ


そう?


半分母に渡すと


めちゃくちゃ美味しいじゃん。

パパに買えば良かったー。


頬えましく思っていたが、車窓から空と山々を眺めていたら、金髪の店員の眼差しと、調べてから来て。の言葉を頭で思い返していた。


どうだったの?隣の店


ルスカ

あー、別に。ペットショップだったと思う。


なんだそれ?


店員とのやり取りや水流に引き込まれて眺めてしまった自分が少し恥ずかしい気持ちになって、母には素っ気なく何事もなかったように取り繕った。もう間もなく実家に着く。


父はまだどこかに出かけている事を母から聞いていた。

いつもの緩い坂道のカーブを抜けると森の中に父の実家がある。小さな山が二つある間の高台に祖父が建てた家。子供の頃は自然が嫌いで来るのが嫌だったが、高校生になってからは何か、落ち着くような、穏やかな心地よさに、来るのが好きになった。

何よりも祖父が自分に部屋を作ってくれた事にも余計に週末が楽しみになった理由だ。

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