第37話 ひ色に輝く髪色の

 ──絶望的な戦況。

 その言葉がつい出てしまうほど、彼らの間には絶対的な力の差があった。

 次々と繰り出される攻撃を捌くことに精一杯な彼の銀色の髪が、汗に濡れていた。

 彼が自分から繰り出す攻撃が時折垣間見えるのは、彼女が得意としているように見える大剣ではなく長剣であることが理由の一つだろう。 と、ミアーが一瞬気を逸らした隙に、彼が振った剣先が彼女の腕をかすめた。

 一筋の血が彼女の白い肌を伝った。

 彼女の表情が変わった。 何かを感じ取った彼が、一歩退く。


 彼女が動いた。

 手のひらを地面に向けるとみるみるうちに水がまるで生き物かのように床に生み出されたのであった。

 水の魔法……? でも、あんな動きは……。

 ガクと対峙したその生き物……と呼んでいいのだろうか、彼女に操られた水はすぐにでも彼を飲み込もうとしているように見えた。

 対してガクは至って冷静な表情で、何をするのかと思えば祈るように魔法石が光るペンダントを握りしめ、俯いた。

 その瞬間、彼を取り囲むように炎が舞い上がった。

 ミアーの水に対抗するように燃え広がったそれは火の粉を散らし、遺跡を紅く照らす。

 炎に照らされた彼の髪の毛が光った。

 それがまるで何かのきっかけであったかのように二人の魔法がぶつかり合う。 水と炎の激しい攻防の中、彼ら自身もその剣を交わせていた。 金属音と激しい燃焼音、そして度々水が床を叩く音だけが、遺跡に響いている。

 その時、轟音が響いた。

 それは何かの爆発音のようで、次の瞬間、辺りは舞い落ちる水の美しい煌めきに包まれていた。

 ガクの炎がミアーの水をかき消したのだ。


 炎も水も消えた遺跡の中で二人の紅く染まった瞳が光った。

「……どうして」

 低く、落ち着いた声が聞こえた。

「どうしてこんなことをするんだ。君は……貴女は、俺と同じ種族だろう? 仲間なのに、どうして……」

「私に仲間などいない。私は、一人だ」

 力を込めすぎているのか、ミアーの持つ剣が小刻みに揺れているのが見えた。

「それでも、俺と貴女は……!」

「うるさい!」

 彼女が叫んだ。

 驚いたように口をつぐんだ彼に、彼女は続けた。

「お前が言うな! お前が私から全てを奪ったんだ!」

 彼女が剣を振り下ろしティリスの悲鳴が聞こえた。

 まともに受けた彼の肩が赤く染まる。

「見せてやろう。私がこれまでどうやって生きてきたか、お前に何を奪われたかを!」

 そう言って彼女は持っていた剣を床に突き刺した。

 その刃についていた血が、伝うように広がっていった。




 気がつくと、周りは知らない景色だった。

 荘厳な建物の中聞こえる赤ん坊の声、拍手を送る人々。

 これは……なに? いったいなにが起こったの……?

 ガクは? みんなは……?

「すばらしい、元気な赤ん坊だ。さぁ、その顔を見せておくれ」

 貴族の者なのだろうか、豪華絢爛なマントを羽織った若く端正な顔の男性が、その銀色の髪の毛を揺らせて従者らしき者に声をかけた。

「早く見たいわ。私たちのお姫様……」

 続けて声を上げたのは寝具に横たわった美しい女性。

 彼女の髪色も、男性と同じ星屑の色をたたえていた。

 しかし満足そうな笑みを浮かべている二人に対して、赤ん坊を取り上げたのであろうその従者の顔は青ざめていた。

「殿下、大変申し上げにくいのですが……」

「なんだ。なにがあったのだ。まさか……」

 赤子の大事を心配したのか男性の口調が暗くなる。

「……それよりも悪い……」

 そういって顔を晒したその赤子の頭に生えた産毛は、周りにいる大人達のその銀髪とは違い、燃え盛る炎のような赤色であった。

「赤い髪だ。……王家に赤毛が。ああ、なんてこと……」

「不吉だ。呪われた子だ」

「これからどんな悪いことが……恐ろしや」

 周りに立ち会っていた人々が口々にそのようなことを言っていた。

 いったい赤毛にどんな意味があるのだろうか。あの子は一体……。

 そう思ったとき、景色が変わった。

 ミアー、と書かれた紙切れとともに雨の中森に置いていかれる赤子。 それを拾った身なりの悪い男。


 また、場面が移る。

 薄汚い部屋。

 真っ赤な髪の少女が泣きながら床に崩れ落ちていた。

 頬を押さえているところから見ると殴られて怪我でもしたのだろうか、口から血が出ている。 その子が睨みつけた先に、先ほど赤子を拾ったあの男がいた。

 あたしはやっと、これがミアーの記憶なのだと、理解した。

「ミアー、不必要な者、とはよく言ったもんだなぁ。不憫だと思って赤子のお前を拾ってやったのがこのザマだ。家事手伝いぐらいになるかと思ったがな。こうなったらもう奴隷商にでも売りつけてやるってんだ。顔だけはいいから、そこそこの値がつくだろう」

 男は少女の腕を乱暴に掴むと、引っ張ってどこかに連れて行こうとする。

「嫌だ!」

 抵抗する彼女の腕は細く、追いかけた男の非力そうな腕力でもそれを押さえつけるのには十分すぎた。

「うるせえ黙れ!」

 叫んだ男が再び彼女に拳をぶつけようとした瞬間、彼女の瞳が赤く光り、周りの景色がまるで突然夜になったかのように暗くなった。 というのも、彼女の影が部屋の中を丸ごと飲み込んでいるようだった。 腰を抜かした男が言う。

「で、出て行け……。こんな化け物、売れやしない……不必要だ……」

 彼が指さしたドアに向かって、少女が歩いていく。


 また、場面が変わった。

 どこかの酒場なのだろうか、二人の男が酒を飲み交わしていた。

「数年前のシェーンルグドが滅びたって話、知ってるだろ?」

「ああ、なんでもその原因は直属の家臣の裏切りだって言うんだろう? 世の中誰も信用できないってこったな」

「いや、それがよぉ、ついこの間聞いた話なんだが、滅びた原因がもう一つあったんだと」

「へぇ、そりゃ初耳だな」

「ここだけの話だがな、呪われた子が生まれたせいだってんだぜ。ほら、シェーン教で有名なあの、赤毛の」

「なんだよその手の話はデマってのがお決まりだぜ」

「違うんだ、それが。本当らしい。次期国王になるはずだった王太子夫妻の間に生まれた女の子が、赤毛の子だった。それで呪われた子だと騒ぎ立てた家臣の一人が王太子に許可もなくその子を山に捨ててきたんだと」

「へぇ、そりゃ大層なことをしたもんだな」

「その家臣がどうなったのかはしらねぇが、 ミアー。古いシェーンルグドの言葉で不必要なものってな名前をつけて捨ててきてしまったらしいぜ。怒った王太子は産後間もない妃を連れて城を飛び出したんだそうだ」

「ひどい話だな。そんな赤子の状態で放置されて生きてることもないだろうに」

「まぁな。案の定、見つからなかったらしい。しかも王太子がいなくなった混乱に乗じて例の反乱が始まったんだと。元から機会を伺ってたのかもしれねえが、呪われた子ってのはあながち間違いでもないのかもな」

「それにしても恐ろしい速さで滅びた国だよなぁ。ディクライットとジェダンの連合軍も恐ろしい強さだったらしいが、まるで元からなかったみたいに消えちまって」

「仕方がないだろう、あんな独裁国家。そういや、その王太子、未だにその女の子のこと探してるって噂だぜ。星屑色の髪色をした人を、ディクライット領の外れで見かけたってな」

「それはさすがに嘘だろう?」

 そんなことを言って酒を飲み干した男達の笑い声が遠くに消えていった。


 再び、場面が変わった。

 行き倒れた少女に、声をかける若い女性。

「お母さん……?」

 皆も同じものを見ているのだろうか、ティリスが呟いたのが聞こえた。

 どことなくティリスに似た面影を纏った女性は少女を優しく包み込み、その子と幾らかの時間を過ごしたようだった。

「ミアー。私と一緒に、ディクライットに行きましょう。私には娘がいるの、まだ幼いけれど、きっと仲良くなれるわ。ね、そうしましょう?」

 そう声をかけた女性に、少女はふるふると首を横に振る。

「私は、両親を探す。本当の親に会って、一緒に暮らす。……剣を教えてくれたこと、優しくしてくれたこと。感謝している。ありがとう、フィリス」

 どう説得しても承諾しないであろう意志が、そこに見えた。

 仕様がないと思ったのか、女性は彼女の頭を優しく撫でると、幾らかのお金を残して、去っていった。


 また、場面が変わった。

 その時の少女は、少し嬉しそうな顔をしていた。

「もうすぐ、もうすぐ会えるんだ」

 半ば駆けるように歩いていった彼女が覗き込んだのは、街のはずれにある小さな民家の窓だった。

 姿を見せる銀色の髪の女性。

 彼女と同じ瞳の色を持ったその女性は、一目でその血の繋がりを明らかにしていた。 ただ一つ違うのは、綺麗なうねりを持ったその髪が、星屑の色をたたえていたこと。

「アロ、あの子はまだ帰らないのか」

 同じく少女に似た面影を持った男性が言った。

「今日もお友達と一緒ですって。もうすぐ帰ってくると思うけれど」

 そんな会話が聞こえていた。 と、突然民家の反対側に位置する扉が開く音が聞こえた。

「父さま、母さま! ただいま帰りました!」

 走って入ってきたその少年は勢いよく父親に抱きついた。

 そのまま少年をかかえた男性は自分の顔の高さまでその体をあげると、同じように彼を抱きしめる。

 母親なのであろう、その女性が微笑む。 いたって普通の、幸せな家庭。 その中心で微笑む少年の髪色は、星屑の色をたたえ、その瞳の色は母親のものと同じであった。

「……不必要だ」

 少女の声だった。

「私は、あそこには入れない」

 見ていた景色が、血色に変わった。




 気がつくと、元の景色。

 遺跡はその水晶の色を取り戻していた。

「私は、お前を殺しにきたのだ。私を孤独に貶めたお前を、私から全てを奪ったお前を」

 口を開いた彼女の瞳からは、涙がこぼれていた。

「お前の姿を見たとき、初めは混乱するばかりだった。私がいるべき場所に、別の人間が、それも、呪われた子ではないお前がいたのだから。私の居場所など、もとよりなかったのだ」

「……俺は……」

 ガクは返す言葉を失い、彼女を見つめるだけであった。

「あるいはあのときフィリスについて行っていれば、別の道もあったかもしれない。だが、あのときの私には両親を探すという以外の選択肢はなかった」

 ティリスが、胸を痛めたように彼女から目を背けた。

「愛されなければ、すべて滅びてしまえばいい。そう思い始めたのはその頃だった。そんな時、この世界のバランスを取っている存在、そこに倒れている双子の存在を知った。二人を引き放せば世界が滅びに向かうということも、それを利用してお前をここまでおびき寄せるというのも、そうして思いついた」

「でも、そんなの……」

 ガクが何かを言おうとしたが、ミアーが阻んだ。

「間違ってるとでも言いたいんだろう。そういうところが、気味が悪いんだ。いくら虐げられようと、暴力を振るわれようと、何故その人達を許せるんだ。何故奴らを憎悪しないんだ!」

「それは……」

「……お前のせいで、両親も死んだんだ。お前がいたから、彼らは……これは復讐でもあるんだ。だから、お前には今ここで死んでもらう。その後に、この世界を壊す。そして、私も死ぬ!」

 ガクが目を丸くする。

 振り上げた彼女の剣が、彼の肩を貫いた。

 元々まだ剣術を始めて間もない彼には相当な一撃だったようで、なんとか彼が持つ不思議な力でその猛勢を食い止めようとしていたが、どうしようもなくゆっくりと壁際に追い詰められていくのだった。

 ミアーは手加減をしているようで、その不気味な笑みがやけに恐ろしく感じた。


 ガクの通った跡を、血が辿っていた。

 ついに、彼の背が遺跡の壁についた。

 弾き飛ばされた彼の剣が、激しい音を立てて床に転がった。

 絶体絶命。

 彼の細い首には彼女の鋭い剣の先が向けられていた。

 ガクが殺されちゃう……!

 そう思って、あたしは目を逸らした。

「殺すなら、殺せばいい。それであなたが幸せになるなら、それで、あなたのその悲しみが癒えるなら!」

 そう叫んだ彼の目は何よりもまっすぐ、彼女を捉えていた。

「言われるまでもない!」

 叫んだ彼女が剣を振りかぶった。

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