第34話 琥珀色の灯火

 その朝、あたしは異変を感じて目を覚ました。

 ――何かがおかしい。

 ただ漠然とそうとしか言えない状況にいわれのない不安感を覚える。 手についた砂漠の砂を払いながら起きてきたチッタがなんか変な感じーっと言いながら皆の方に歩いて行った。

 あたしだけじゃないんだ……。

 少し安心したあたしは彼について行った。


 オアシスの湖のほとりではもう既に皆が焚き火を囲んでいた。 早朝である今はまだ太陽が上がっていないため、少し肌寒い。 一番に声をかけたのは父だった。

「ああ結衣菜か、おはよう。よく眠れたか?」

「え……あっうんよく眠れたよ! ぐっすり! えへへ、おはようお父さん。おはよう、みんな」

 昨晩のことを思い出して咄嗟に誤魔化した自分におはよう、と声をかける皆に笑顔を返した。 と、隣り合わせに座っていたガクとエリスさんが会話をしているのが聞こえた。

 正直、昨日の話を聞いてしまった以上、どういう顔をして二人を見ていいのかわからない。

 複雑な心情を抑えながらあたしはチッタの横に腰を下ろす。


「……まずいな」

 頭痛がするのか、頭を押さえながらガクが言った。

「ティリスが朝ごはん失敗したのー?」

 そういったチッタにティリスが違うわよと返す。

「何がまずいの?」

 問いたティリスにガクが答えた。

「……精霊達の活動が止まってる。一体どういうことなんだ……」

 具合が悪そうに顔を歪ませる彼にエリスさんが言った。

「……世界のバランスが崩れている証拠ね。急がないとまずいわ」

 そういえば、とティリスが言った。

「今朝起きてから、一つも風が吹いていないの。私達以外はまるですべて死んでしまったみたいに動いていないわ。もしかしてそれが?」

 そうだ、とガクが返す。

 そうか……だから変な感じがしたんだ。


 辺りを見回すと、木も草も水も、遠い空に浮かぶ雲ですらもその動きを止めているように見えた。 と、空を見上げたその時、急に辺りが夜に包まれたように暗くなった。

 騒めくあたし達を黙らせるように突然ある方向から純白の光の柱が立ち上った。

「なんだあれは……」

 つぶやいたお父さんの後ろに隠れながらあたしはそれを眺めていた。 白くて美しくも見えるがどこか恐ろしさを感じさせるような光。

 遺跡の方角よ、といったティリスにエリスが返す。

「先を急いだ方がいいようね。すぐ出発しましょう」

 光の柱は、あたし達に早く来いと言わんばかりに、その明るさを増していた。




 その後あたし達は九日もかけてやっと遺跡の本殿が目視できるところまで来ていた。

 例の白い柱は何時間か登った後、跡形もなく消えており、いったい何だったのだろうとみんなで話していたのだった。

 ただ、悪い予兆には変わりのないように思えた。 相変わらず風は吹いておらず、ガクによると精霊の活動も再開していないらしい。

 ぺぺ砂漠にはレーゲンヴァームの他、砂でできた腕のような魔物のレーゲスツや鶏のような姿をしたレヒンヒェン等の魔物がとても多く存在しており、暑さと激しい戦闘で、確実にあたし達の体力は削られているのであった。

 途中本殿ではない遺跡を二つほど見つけ、中に入ってみたが儀式に使えるような場所ではなく、やはり本殿に行くしかなさそうだという結論に至ったのであった。

 遠くにそびえる本殿はここから見てもとても美しく、そして大きいように見えた。

 他の遺跡に入った時にも思ったことだが、カル・パリデュア遺跡はどうやら水晶で出来ているようで、継ぎ目なく造形されているその建物はまるですべて一つの水晶から削り出したかのように滑らかなのであった。

 あんなの、一体どうやって作ったんだろう……。

 ガクの使う不思議な力を見ていると、すこし頷けるような気はした。 と、その時、突然地面が動いた。


 動いた、というのは間違いではなく、現実に足元の砂がスルスルと流れていくのだった。

 足を取られ流されそうになるあたしをチッタの腕がつかんだ。

「気をつけろ結衣菜!何かいるぞ!」

 叫んだチッタの腕に何かが刺さった。 おそらく毒針か、アリジゴグのように砂が流れていく真ん中にその針の主が姿を現した。

「レゲンアーマイゼよ! 砂の輪に入らないで!」

 エリスさんが叫んだが、そうは言われてももう逃れられない位置にあたし達はいて、チッタが手を離したら最後、おそらく魔物の捕食距離まで一気に流れ落ちてしまうだろう。

 魔物の針が刺さった腕が限界なのか、苦痛に歪むチッタの顔が見える。 駆けつけたお父さんがチッタを引き上げようとするが毒針を避ける魔法をかけたためにこちらに集中できない。 と、ティリスが荷物の一つでどこかで廃棄しようと言っていたゴミをアリジゴグの中に投げ込んだ。

 気を取られた魔物が見に行った隙にあたし達は引き上げられ始めたが気づいた魔物が怒り狂い、憤怒の声を上げる。

 恐ろしい数の毒針が飛び、お父さんの魔法では防ぎきれなくなるその瞬間、あたしは叫んだ。

「エーフビィ・ドナー!」

 あたしの手から轟音を伴い、雷がほとばしる。

 ティリスが向こう岸で耳をふさいでいるのが見え、一瞬ののち、焦げたような匂いがしたかと思うと、魔物は黒い煙となって空に消えたのであった。

 引き上げられたあたし達はやっと安堵の声を漏らした。

 チッタの毒をお父さんが魔法で癒し、他に怪我人もいなかったため、あたし達は先を急ぐことにしたが、疲労からか青いはずの空が灰色に見えるような気がした。




 カル・パリデュア遺跡の本殿にたどり着いたのはその日の夕刻であった。 本殿も他と違わず水晶をくりぬいたような出で立ちで、装飾もきらびやかに魔宝石が沢山付けられているのであった。 長い階段を登って扉の前にたどり着いたあたし達は、そびえ立つ遺跡を見上げていた。

 上手くいくかわからないけど、と言って扉の前に立ったガクが言った。

「我は血を継ぎしもの。精霊の加護を受けし魂の継承者である。汝、扉を守護する魔法、キュレン王家の名を持ってその主を開く時なり」

 彼が言い終わると一時の沈黙の後、扉が光を伴って開かれた。 やっぱりガクは王族だったんだ……。

「行こう」

 彼に皆が続き、あたしは扉の前まで来ると、立ち止まった。

 皆が歩いて行った先、その先には闇が広がっている。


 ここに入ってしまったらもう戻れないような気がして、その恐怖があたしの足を動かすのを阻んでいた。

「結衣菜、行こう。私が付いている」

 父に背中を押され、あたしは一歩踏み出した。

 皆が扉をくぐると、それはゆっくりと閉められ、扉が完全に閉まってしまうと、辺りは本当の闇に包まれた。


 静寂。


 恐怖だけが、そこにあった。

 不意に、あたし達のいた遺跡の入り口から奥に向かって燭台に火が灯り、明かりがついた遺跡はより一層、不気味な美しさを放っていた。

 と、その奥から誰かが歩いてくる音が聞こえた。

 姿を現したのは長い赤髪を一つに束ねた女性で、その屈強そうな体よりも大きく、重たそうな大剣を持っていた。

 その鋭い目は琥珀色を帯び、どこかで見たことがある。

「ようこそ、カル・パリデュア遺跡へ。世界の存続を願う者達よ」

 その声が、遺跡を支配していた。

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