第29話 竜の里

 空は突き抜けるような青に染まっていた。

 眼下には先ほどまであたしたちが立っていた竜翼の丘が見え、それに覆いかぶさるかのように翼の形の影がいくつも暗く落ちていた。 一面に広がる丘の緑が小さくなると少し遠くにあたし達が出発したテーラの城を見つけることができた。

「すごい……」

 思わず口にした言葉にあたしとティリスを載せていた竜、イェロクリスはふんと得意げに鼻を鳴らす。 彼が翼を動かして風を切る音が心地よく響く。

「僕ちゃんはダウンしているわ」

 そう言って隣に並んだのは青い鱗を持った竜で、その背中に乗っているのはガクとチッタのはず……だったがチッタの姿が見えない。 と、思ったのもつかの間、どうやら彼はガクの背中にしがみ付いているようだった。

「チッタはどうしちゃったの?」

 問いたあたしにガクが困ったような顔で返した。

「具合が悪いみたい」

 その言葉にあたしの後ろに乗っていたティリスがああ……と頷き、あたしは首をかしげた。

「チッタは高いところが苦手なのよ。昔、木から落ちてからずっとね」

「そうなんだ。……大丈夫かな?」


 少しの間だし大丈夫でしょうというティリスにあたしは頷き、再び周りの景色に目を移した。 もうテーラの町並みはとても小さくなっており、あたしたちが大きく迂回してやってきたペペ山脈の山並みが見えた。 山頂の方にはまだ雪が積もっているようで、あたしは故郷の日本にある富士山の美しい姿を思い出して少し寂しさを感じていた。

 と、ふと山並みの向こうにディクライットの城の頭が見えた。

 あたしの旅の始まりの場所だ。

 高いところに来るとあんな遠いところまで見えるんだ……。

 そう思いながら風の音を聞いていると不意に誰かに話しかけられた。

「お前が竜の証を持つものか」

 声の方を振り向くとそこには大きな紅い翼を持った男性がいた。 いた、というのは誤りで、正確にはイェロクリスと共に彼は飛んでいるのだった。

 驚愕に言葉を失うあたしに、彼は続けた。

「もうすぐ里に着く。挨拶はその時でいいだろう」

 そう言って彼は翼を翻すと一気に急降下していき、イェロクリスと他の竜もそれに続くと凄まじい空気の抵抗が襲い、あたしたちは竜のでこぼことした背中にしがみつくのに精一杯であった。

 チッタの悲鳴が、聞こえた気がした。




 その種族の里は、とてつもなく深い谷の底に位置していた。 地に足がついた瞬間元気になったチッタは興味深そうに谷の中を駆け回っており、ティリスにたしなめられたことによってやっと戻ってきたのであった。

「それにしても、翼を持った種族がいるなんて……」

 不意に呟いたガクに、先ほどあたしに喋りかけた紅翼の青年が答える。

「ならば精霊と話せる種族がいるなんて、と返そうかな」

 ガクがばつが悪そうに笑ったが、それには何も反応を示さず無表情でそっぽを向いた彼は、少し気難しい性格のように思えた。

「まぁいいじゃないかルシウス、俺らは他の種族にあまり姿を見せない」

 明るい声でそう言いながらこちらに向かって歩いてきたのは緑色の髪に純白の翼を携えた青年で、その隣には誰よりも大きく黒い美しい翼を携えた青年が彼と並んで歩いていた。 彼らが踏みしめる谷底の砂がカツカツと音を立てていた。

「エイドス。俺はこいつらと仲良くするつもりはないぞ」

 声をかけられたエイドスという男は苦々しく笑ったが隣の黒翼が代わりに答えた。

「この子は……仲間」

 彼の草原色の瞳と目が合い少しドキッとする。

「そ、そうだ仲間! あたし、そのことであなたたちに話を聞きたくて……!」

「そうか……私はアーロン。君は?」

「あたしはユイナ。ちょっと複雑な事情なんだけど……」

 聞こう、と言ったアーロンの微笑みに、安心感を覚える。


 あたしが実はこの世界──ツーランデレンヴェルトとこの世界の人々は呼んでいる──の住人ではないということ、元の世界に変える方法を探していることなどの今までの経緯をようやく話し終わると、エイドスが唸った。

「それなら、俺らの種族の説明をしなければならないな」

「あなたたちの種族?」

「ああ、俺たちの種族……この世界の住人にはオリゾント族と呼ばれているものだが、これは元々、この世界に住んでいた者たちではないんだ」

 その言葉にティリスが驚愕の声を返した。

「というと、あなた達もユイナのように?」

「いや、俺は他の世界には出たことはない。他の世界に住んでいたのは俺たちの祖先の頃の話だ。そこのアーロンも同じく。だがルシウスは……」

 言いかけた彼をルシウスが余計なことを言うなと言わんばかりに睨みつける。

「他の世界に行ったことあるの? すげぇ! どんなとこ? 強い魔物とかいるの?」

 そんなことは御構い無しに食いついたチッタにルシウスは長い溜息をついた。

「魔物はいない。空虚な場所だった。まだ世界が始まる前の場所。つまらないからすぐ戻ってきたさ。はぁ……つまり、私達オリゾントの血を引く者は世界と世界を渡る力を持っているということだ。俺たちはそれを〈空渡り〉と呼んでいる」

「〈空渡り〉?」

「そう、私達ははるか昔、別の世界からこの世界にやってきた、いわば渡り鳥のような種族なんだ。一族を通して、様々な世界の始まりから終わりを見てきた。それを後世に伝えていくのが、私達の仕事だ。そのために〈空渡り〉という力を使って、世界同士を行き来しているんだ」

 そう答えたアーロンにガクが口を開いた。

「ということは、ユイナは君達の血を引いているということか?」

 そうだ、とアーロンが頷く。

「そのペンダントは、元々は我らの種族の一人のものだ。彼は別の世界に行くと行って二度と戻ってはこなかった。おそらく君はその子孫なのだろう。それで、ある時君自身が持つ〈空渡り〉の力が覚醒し、発動してしまった」

「じゃあ、ユイナがもう一回その〈空渡り〉の力を使えば元の世界に帰れるってことー?」

 チッタの言葉に、そういうことだな、とエイドスが返した。

「ただ、それには問題がある。この子はまだ〈空渡り〉の力を制御しきれていない。安易にその力を使えばまたここに来た時のように思いの寄らぬところに飛んでしまうかもしれない。この世界よりも恐ろしいところへ。それは危険が大きすぎる」

「じゃあ、どうすればいいの? 他に方法は……」

 あたしが辺りを見回すとルシウスと目があった。

「ある。世界の扉を別の方法で開くことだ」

 ティリスがその言葉に首を傾げた。

「世界の扉? ……あの、世界と世界の間へ繋がっているという?」

 ディクライットの教育はこの世界のものにしてはかなりまともなようだな、と皮肉を言うルシウスに、ティリスが本当にあるなんて信じられないわ……と、口をこぼした。

「この世界で伝説とされているものはあながち事実であることが多い。竜もお前達の国では伝説だろう?」

「……考えを改めないとならないようね」

 小さなため息をついたティリスに、そういうこともあるさ、とガクが声をかけたのが聞こえた。


「ね、ねえ、世界の扉って一体なんなの? あたしは初めて聞いたんだけど……」

 それにはアーロンが答えた。

「世界の扉は一つの世界にひとつずつ存在している。異界へとつながる扉のことだ。その世界によって呼び方は異なるが……。とにかくその扉を開けることによって扉と扉の間の無の空間に入ることができる」

 無の空間……その言葉の響きに、あたしは少し恐ろしさを覚えた。

「その、無の空間に入ると、どうなっちゃうの?」

「普通の生き物なら、消滅する。しかし私達のように〈空渡り〉を許されたものならその間を通って別の世界の扉をくぐり、移動することができるのだ。〈空渡り〉の力はその扉を自分の力で両方とも開けることだ。他にも消滅しない例はあるが……」

「じゃあ、どうにかしてその、世界の扉ってのを開けばユイナは元の世界に戻れるってわけか」

 ガクの言葉にエイドスが頷く。

「俺たちは自ら飛ぶことが可能だから考えたこともなかったが、かつてのシェーンルグドの民、クワィアンチャー族は別世界の研究もずっとしていたらしい。その研究の中枢であり〈空渡り〉ができる俺たちを精霊として祀った遺跡がここから北東、ぺぺ砂漠の真ん中に九つ位置している。そこに行けば何かわかるのではないか?」

「それって……カル・パリデュア遺跡のことか?」

 ガクが問うとエイドスがそうだ、と返した。

 カル・パリデュア遺跡……。あの黒の男、クラリスと初めて会った時にも聞いた言葉だ。その時あたしが探しているものがそこにあると彼が言っていたのは本当だったのだろうか。

「これで、次の目的地が決まったわね」

 ティリスの言葉に、全員が頷いた。

 里の小さな子どもがうまく飛べずに転んだのを見てアーロンが駆けて行き、ルシウスも面倒くさそうに、だが少し顔色を変えてそれについていった。

 谷から見える空が少し陰っていて、これから向かう遺跡がどこか不穏なものに感じられた。

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