一章 3-1

 四月の第四金曜日。

「寒いんだけど」

 誰にともなく言いながらパーカーのファスナーを首元まで上げる譲を振り返り、その服装では寒かろうと眉を顰めた。

「そんな薄着で来るからだろ」

「薄着って、普通だろ。もう四月も末だぞ。ゴールデンウイークだぞ」

 不満げな譲は、長袖のTシャツにパーカー、デニムのパンツといったで立ちだった。日中、日差しがあればその格好でも十分だが、日が落ちるとまだ冷える。これまで何度も「春」という言葉に騙されている雪は、しっかりと厚手のジャケットを羽織り、保温系インナーを着込んでいる。

「東北めんな。コートをクリーニングに出していいのはゴールデンウイーク明けてからだ」

「マジか……さすが雪国」

「宮城を雪国っつったら他の五県から怒られるぞ」

「そんなに? そういえば、桜も四月に咲くんだな。向こうじゃ春休みには咲くけど」

 これだから東京者は、と雪は大袈裟にかぶりを振った。

「卒業式に桜が咲くなんてのはフィクションだ。ここじゃ入学式にも間に合わない。桜吹雪どころか本物の吹雪だっての」

「まさか、そんなわけないだろ」

「本当だって」

 言い合う雪と譲に、苦笑気味の壱矢が口を挟んだ。

「せっちゃんのは言い過ぎでしょ」

 譲が壱矢を見る。

「だろ? 入学式に吹雪くわけが……」

「最近は随分暖かくなって降らなくなったけど、始業式に大雪降った年はあるよね。町中でも膝くらいまで積もったの」

 小学校低学年の頃に大雪の始業式があったことを思い出し、雪は頷いた。

「ああ、あったな、そんな年」

「……すみません東北嘗めてました」

 思わずといった様子で敬語になる譲へ、雪は尊大に頷いて見せる。

「うむ、わかればよろしい。―――で、結局来てるわけだが」

 授業が終わって一度解散し、参加者だけが裏山の入り口に集合することになっているので、制服の生徒と私服の生徒が入り交じっている。任意参加だが、雪が見た限りでは、クラスの三分の二ほどが集まっているようだった。

 小型の懐中電灯を手にした壱矢が重々しく口を開く。

「ヘタレと呼ばれることを恐れて己の意に沿わぬ行動を取る、その様こそがヘタレと呼ぶに相応しいのではなかろうか」

「かっこつけても無駄だ。いや、あんまかっこよくない。大体、ヘタレって呼ばれるよりは参加した方がましっつったの壱矢だろ」

「それはそれ、これはこれ」

「……今、思いつきで喋ってるだろ、おまえ」

 ため息混じりに言いながら雪は、大きな黒い塊と化している裏山を見上げた。入り口に立っている街灯の下に集まっているため、周囲がやけに暗く見える。

 県立仙央高校の生徒が勝手に「裏山」と呼んでいるだけで、隣接しているとはいえ学校の敷地外にある。山には何本かの遊歩道が巡らせてあり、高校生の足なら、どのルートも二十分ほどで踏破できる距離だ。ちらほらとだが明かりもついている。

(……ま、大丈夫だろ)

 不穏な気配があれば雪が大抵察知できる。そこまで神経質になることもないかと楽観することにする。

 参加者を確認し、お化け役は先ほど準備しに行った。一組副担任の野坂のさかが片手を挙げて生徒の注意を引く。

「はーい、じゃあ始めまーす。今は懐中電灯消しなさい。スマホも。使うときに電池がなくなっちゃうよ。―――まず、クラス委員から説明があります」

 野坂に促され、月子が進み出る。もう一人のクラス委員、常陸ひたちは準備に行っているのだろう。

「コースはここから入って、山頂の広場を経由して東口に抜けるルートです。山頂には織田先生と常陸くんがいるので、道に迷うことはないと思います。グループは何人組でもいいですけど、できれば一人か二人組、多くても三人くらいで。あんまり大人数になるとお化けが可哀想だから」

 月子の言葉に笑いながら、生徒たちは適当に組み合わさる。壱矢が雪と譲を見て首をかしげた。

「この三人でいいよね?」

「うん」

「ああ」

「じゃあ、くじ引いてくる」

 声を揃えて頷く二人に頷き返し、壱矢は月子の持つくじを引いて戻ってくる。その間にも、一番の組が早速スタートして行った。

「五番だよ。最後から二番目」

 戻ってきた壱矢が「5」と書かれた紙切れをひらひらと振ってみせる。待ち時間が長いのを知って、雪はげんなりと眉を下げた。

「ええー。早く終わらせたいのに」

「どうせ全組終わってお化けが撤収してくるまで待ってるんだから、何番でも一緒だって」

 笑いながら告げられた壱矢の言葉で、もう一つの懸念事項を思い出し、雪は更に気を滅入らせる。

「で、お化けの中に日村がいるのか」

 壱矢が苦笑めいた表情で頷いた。

「いるだろうね。手ぐすね引いて待ってるだろうね」

 裏山を見上げていた譲が振り返って顔を顰める。

「日村ってオケ部なんだろ? なんでお化けやるんだよ。もっと向いてる、演劇部とかいるだろ」

 物騒なことを言い出す譲へ、雪は片手を振る。

「いや、演劇部員がお化けやって異様に本格的になったらどうすんだよ」

「それは困るな。笑えるくらいが丁度いいのか」

「……佐瀬、それ日村の前で言うなよ」

「言わねえよ。面倒なことになりそうだ」

 三人で他愛もないことを喋っているうちに順番が来て、月子に呼ばれて入り口へ向かう。彼女は手にした名簿にチェックを入れながら、三人を裏山へ促した。

「五番目は、神倉に佐瀬に鷹谷ね。いってらしゃーい。……気を付けてね」

 人の悪い笑みを浮かべ、含みを持たせて言う月子に送り出され、壱矢が懐中電灯のスイッチを入れた。緩やかな石段が暗闇に吸い込まれるように続いている。入り口に立つ街灯の光はすぐに届かなくなり、ぽつぽつと着いている常夜灯は闇を完全に払うには至らない。

 さほど進まないうちに遠くから甲高い声が聞こえて、雪は眉を顰めた。

「なんか……悲鳴上がってないか?」

 前の組は女子三人だったはずだ。月子が時折電話をしていたので、途中でグループが重ならないよう、お化けや頂上の常陸たちと連絡を取り合っているのだろうが、そう大きな山でもないので、前の組の声と思しきもものが時折風に乗って届く。

 壱矢にも聞こえたようで、彼は首を捻りながら道の奥を懐中電灯で照らした。

「悲鳴って言うか、笑い声みたいだね」

 やや安堵した様子で譲が応じる。

「やっぱり面白お化けなのか」

「面白い方がいいよ、散歩の人なんかを間違えて驚かしたら大変だし」

 壱矢の言葉を聞いて雪はスマートフォンの画面を着けてみた。時刻はまだ七時前で、近所の住民が犬の散歩などをしている可能性は十分にある。

「それは頂上にいる先生たちが、こっちで肝試しやってますよって教えるんじゃ……」

 譲が呟いた瞬間、彼の真横の茂みが派手に揺れ、黒い人影が飛び出してくる。

「泣く子はいねがー」

 それは片手に包丁を持った鬼の姿をしていた。

「おお、なまはげだ」

「初めて見た! ……肝試し関係なくね?」

 恐怖とは別方向の驚きで声を上げる雪と譲を他所に、壱矢はなまはげに明かりを向けて小さく笑った。

「去年の文化祭で演劇部が使った衣装でしょ、それ」

 なまはげがゆらりと壱矢を振り返る。

「演劇部の衣装呼ばわりする悪い子はいねがー」

「そういやあったな、そんな芝居」

 去年の文化祭の舞台発表を思い出し、雪は頷いた。実際の舞台は見ていないが、事前に渡されたプログラムに演目が載っていた。

「撮っていい? 二人も寄って。はい、せーの」

 譲がスマートフォンのカメラで、なまはげと雪、壱矢を写真に収める。

「このなまはげ装備、手作りなのか? 凄いな。つか、なまはげを肝試しに使うって、秋田の人に怒られんじゃねえの? なまはげって神様のたぐいじゃなかったっけ」

「いや、ほら……うん」

 急に無口になったなまはげは、作り物の出刃包丁を指示棒のように振って先を促した。驚かすのは諦めたらしい。そして、次のグループを待つためだろう、がさがさと茂みに戻って行った。三人は顔を見合わせ、先に進むことにする。

「なんでなまはげ選んだんだろうね、正月でもあるまいし。見た目が鬼っぽいから?」

 首をかしげながら言う壱矢に、雪は苦笑する。

「まあ、シーツ被っただけ出てこられるよりはなんぼか……」

 言葉の途中で、ぴしゃ、と爪先が水を踏んだ。不思議に思って足下を照らせば、石段の窪みに水溜まりができている。

「……水?」

 呟くと、壱矢が懐中電灯で半円を描くように周囲を照らした。

「ここ数日、雨なんて降ってないと思うけど」

「ってことは……」

 譲が言い終わらないうちに、今度は何か軽い物が弾む音がした。てん、てん、とそれは石段を転がり落ち、ちょうど三人の足下、水溜まりに触れるか触れないかというところで止まる。

「……鞠だな」

「鞠だね」

「うん、鞠だ」

 転がってきたのは昔話に出てくる子供が持っていそうな古風な糸巻き鞠で、雪は嫌な予感を全身で感じつつ、スマートフォンのライトを付けた。すると、闇の中に草履を履いた小さな足と細い足首が浮かび上がる。

「……わあ」

 なまはげとは段違いの本格的な雰囲気に、雪は顔を引き攣らせる。壱矢と譲も同じようで、二人とも声もない。

「鞠つき……遊びの……子供らの……」

 か細い歌声と共に小さな足が動き、石段を一段ずつ踏みしめるように下りてくる。

「一人が……御山おやまに……連れられて……」

 明かりの範囲に進み出た、丈の短い子供用の着物を纏った小柄な少女の顔は、半ば以上髪に隠されている。闇に白く浮かび上がるような手足と細い顎。対照的に赤い唇が微かに動き、歌を紡いでいる。

「残った鞠は……あと三つ……赤いの、白いの、黄色いの……」

 少女は三人まであと数段という場所で足を止めた。乱れた髪の隙間から僅かに見える双眸が三人を捉え、唇がゆっくりと笑みを刷く。

 固まる三人の中で、最初に動いたのは譲だった。

「え……江戸川乱歩か!? とりあえず撮っとくな!」

 言ながらスマートフォンで写真を撮る彼に、そうじゃない、と雪は首を左右に振る。

「いや、むしろこれは横溝の方の雰囲気だ!」

 我に返った様子で壱矢も声を上げた。

「このままだと見立て殺人が起きるよ! 歌からしてあと三人死ぬ! 多分赤と白と黄色に染められて死ぬ!」

 少女は騒ぐ三人を見て、がっかりした様子で口を開いた。

「……案外冷静だね」

 つまらなそうに呟くのは彩葉の声で、こちらも拍子抜けしたように譲が言う。

「なんだ。日村か」

 子どもの幽霊―――彩葉は、不満気に唇を尖らせる。

「もー。せっかく演劇部から衣装借りて、頑張ってメイクしたのに」

「また演劇部かよ」

 軽々しく衣装を貸し出しすぎではないかと呆れる雪に、壱矢が笑みを返した。

「まあ、着物くらいならありそうじゃない? 村娘の役とかさ」

 頬を膨らませている彩葉の頭を撫でそうな口調で、譲が労う。

「さっきのなまはげよりは怖かったぞ」

「そう? 怖かった? えへへ」

 不満げな表情から一転、髪を掻き上げて嬉しそうに笑った彩葉には、最早お化けの面影はない。彼女はにこにこと石段の奥を指差した。

「じゃあ、このまま進んでね」

 言われた通りに歩を再開しようとしてふと、雪は問う。

「まだ出るのか? お化け」

「出るよー。ふふふふふ」

 彩葉の不穏な笑い声に送られ、三人は少々憂鬱になりながらも奥へと向かった。

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