第17話 彼我の差




 シヴァと、神を名乗る少女が対峙するオフィス。



 そのオフィスの外の廊下にて、修誠と真琴は身を低くして聞き耳を立てている。


 壊されたドアから中を窺うだけでは、電気が点いていないという事以外はまるで中の様子は分からない。


 どうもその暗い室内で誰かと誰かが会話をしているらしいのだが、そこからではその声の主を視認する事は出来ないのである。



 部屋の外から分かる情報はそれだけだった。


 しかし、そのオフィスの中からは言いようの無い気配が漂ってきている。


 まるで圧迫感のようなその気配。


 その為に、二人は激しく喉が渇き、脂汗を垂らし、呼吸すらも困難になっていた。



 そんな中、二人は耳打ちをするように最小の声で会話をする。


(あまりはっきりとは聞こえませんね…)


(うーん、男の声と、女の子の声。女の子の方は少し幼く聞こえるけど子供なのかな…?)



 中から聞こえてくる声は酷く断片的ではあるが、いくつか聞き取れる言葉もあった。


 それらを繋ぎ合わせて会話の内容を構築しようと試みる真琴であったが、あまりにも断片的すぎてその中身が見えてこない。



 しかしその中でも気になる言葉は幾つか出てくる。


 その一つにカミという言葉。


(紙…? 髪? 噛み? 榊君はどれだと思う…?)


(なんかどれもしっくりきませんね…)


 真琴は顎に指を当てて考え込む。


(案外、神様のカミかもね…。あんな生き物がいるんだから神様だっているのかもよ)


(いやゴブリンと神様は一番縁遠い存在でしょ…)


 そう言われた真琴は、それもそうかと再び考え込んだ。



 その後も暫くその場で聞き耳を立てる二人。


 ぼんやり聞こえてくるその言葉を繋ぎ合わせては、二人でその辻褄を論じ合っていた。



 そんな時である。



 部屋の中から漏れだす気配に大きな変化が起こったのである。



 それまでとは全く異質な気配。それが部屋から噴き出して修誠と真琴に襲ってきたのだ。


 恐怖というよりももっと異質な、名状しがたいその気配。


 その気配の前に、二人はまるで蛇に睨まれたように硬直してしまった。


 人間の力ではどうする事も出来ないような存在、それこそ当に神の前にでもいるような錯覚に陥ってしまう。


 そんな状況の中で、二人はだらだらと脂汗を流し、呼吸をする事も忘れてしまいそうになっていた。



(こ、これ、中で何が……!?)


 修誠は真琴に問うが、その答えは返ってこない。


 もちろん、それが何かなど誰にも分からないことではある。しかしこの異常事態に修誠も訊かずにはいられなかったのである。



(何かが起こってるみたい…だね……)


 せめてもう少し中の会話の内容が聞き取れたら、真琴がそんな事を考えていると部屋から伝わってくる気配にまた更に変化が起こる。



 さっきの神に当てられたような気配とは真逆のようなもう一つのどす黒い気配。


 それが対抗するように部屋の中で膨れ上がっていくのだ。


 もちろん修誠と真琴にそこまで詳しいことは分からない。しかし、その二つが激しく衝突していることは感じ取れた。



 二人を途轍もない恐怖が襲う。



 それはまるで魂に訴えかけているかのような、そんな恐怖心である。


 二人はその恐怖心のせいで全身が震えて動けなくなってしまった。



 そして、そんな二人を窮地に陥れるような事が起こる。



 それは、静まり返る廊下に響く振動音。



 ブーという機械的なその音に、二人の心臓は止まりそうになった。



 二人の心胆を寒からしめたその音の正体、それはスマホのバイブレーション機能の音である。



(し、しまっ…!)



 それは、電源を切り忘れていた修誠のスマホに着信が入った音だった。


 昔の携帯に比べれば静かになったバイブレーション機能ではあるが、相手はあのゴブリンである。こんな小さい音であっても聞こえている可能性がある。



 二人の緊張は一気に高まった。

 


 修誠は慌てる手でスマホを取り出そうとする。


 しかし、こういう時に限ってなかなか取り出せないものである。


(榊君、早く切って!)


(ちょっ、ちょっと待って…)


 手が震えるせいで上手く取り出せず、もたつく修誠。


 ようやくスマホを取り出し画面をタップしようとするも、その指が震えて上手く操作ができない。



 そうこうしている間に――



「おい人間、ここで何をしている?」


 その声は二人のすぐ後ろから聞こえてきた。



 慌てて振り返る二人。


 そして修誠と真琴は、その目にシヴァの姿を映したのだった。



 人とよく似た姿。しかしそれはまるで獣のような鋭い眼光で、それがそのものを人ではないと理解させる。その身に纏う気配は二人が今までに感じた事の無いほどの異様なもので、まさに物語の中に出てくるモンスターと対峙しているかのようだった。



 二人に対し不敵に口角を上げるシヴァ。


 修誠はその笑みに背筋の凍りそうなほどの恐怖を覚え、あの一か月前の光景を思い出す。あのとき炎の塊を投げてきた化け物が、今まさに自分の目の前にいる。その化け物がいかにも獲物を見つけたという眼差しをこちらに向けて自分を見ているのだ。


 これ以上ないくらいに心臓が早鐘を打つ修誠。しかしそれでも警察官としての性か、この状況を打開する方法に頭を巡らせている。


 一方の真琴は少し違った。


 すーっ、という音を出しながら、息を細くゆっくりと吐く真琴。静かに呼吸を整え、まっすぐにシヴァを凝視する。そうする事によって自分の中の恐怖心を抑え込んでいく。


 そしてそれと同時に姿勢を正し、はぁっという息吹により何倍にも自分の力を高めるのである。



「おい、何をしているのか聞いているだろ?」


 シヴァの声は威嚇するものへと変わっていく。


 それを敏感に感じ取った修誠は、これは不味いと声を発する。


「ま、待ってくれ。俺たちは君に危害を加えようとかそういうつもりは全く無いんだ」


「何をしているか聞いてるだろ。余計な事を喋ると殺すぞ」


 シヴァの眼光が一層鋭くなる。


 今にも獲物に襲い掛かりそうな凶暴さに満ちた目に、修誠の恐怖心はさらに高まった。



「し、下を歩いていたら上からガラスが降ってきてな。それで、何かあったのかと…、見に来ただけなんだ……」


 少し愛想笑いを浮かべながらそう話す修誠を、シヴァは上から下へと舐め回すように睨みつける。


「……ああ。お前、嘘を言ってるな。俺たちゴブリンは鼻が良い。嘘を吐いてるやつは、何となく臭いでわかるんだよ」


「い、いや、嘘じゃない! 本当だ! 本当に様子を見にきただけなんだ信じてくれ」


 必死に弁解しようとする修誠だが、それがシヴァに通じるはずがなかった。



「いいや嘘だな。人間はすぐに嘘を吐くから嫌でも分かるんだよ。おい、お前みたいなやつを正直者に変える方法を知ってるんだが、試してみるか?」


 そう言ってシヴァがその手を修誠に伸ばそうとした、その時である。



 シヴァが手を動かすよりも一瞬だけ早く真琴の体が動く。


 

 合気というのは気を合するという。相手と合気し一体化する事により相手よりも早く動き、そして相手を無力化してしまうのだ。


 もちろん真琴にはまだ達人といえるほどの腕は無いが、この時の真琴にはそれに迫る程の集中力とキレがあった。



 シヴァの手が修誠を掴もうと動くその動きに合わせて、真琴はその手を取る。


 そしてその手に触れた瞬間、真琴は全体重を乗せるように相手を崩しにかかったのだ。


 このまま態勢を崩して技を掛ければ相手を無力化できる。


 真琴はそう確信した。



 しかし。



「おっと…」


 一度はぐらついたシヴァだったが、自分の片手を摑む真琴の手をもう一方の手で掴み返した。


 するとそこからは、シヴァの体はもうピクリとも動かなくなってしまった。


「なっ! 何で!?」


「何か面白いことやろうとしたみたいだが、残念だったな」


 

 力というのは体の中心から離れるほどその強さを失っていく。その弱い部分に自身の全力を当てる事によって、相手は力を出す事が出来なくなりその自由を奪えるのである。


 技が決まったと思った真琴はもちろんそうなると思っていた。


 しかし実際にはそうはならなかったのである。



「くっ、これなら!」


 真琴はすかさず切り返し、次の技に入る。


 足を摺りながら腰を落として自分の態勢を変えると、掴まれている手をくるりと返してシヴァの関節を取りに入った。



 しかし、またもやシヴァの腕はぴくりとも動かない。


 それはまるで岩を相手にでもしているかのように、その体は動いてはくれないのだ。



「無駄だ。そんな力じゃ俺の小指も動かせねぇよ」


「そ、そんなバカな…!」


「残念だなぁ、お前にもう少し力と体重があれば俺の関節は取られてたかもしれないのにな」


 そう言いながらシヴァは真琴の手首を鷲掴みにする。


 そしてそのままその腕を高く上に持ち上げる。すると持ち上げられた真琴は、その足が床から浮いてしまった。



「くっ、放して!」


 真琴は足をバタつかせながら身を捩って振りほどこうとするが、シヴァの手はがっしりと真琴の手首をつかんでいて離れない。


 しかし尚も暴れる真琴。


 バタつかせる足で蹴りを入れたりと何とか抜け出そうと試みるのだが、力の入らない状態ではまるで傷を負わせることは出来なかった。



「おお、活きが良いな。これは良い胎になりそうだ」


「い、痛い…。 手を…放せ!」


 シヴァの握りしめる手首からみしみしという音が鳴る。


 痛みに顔を歪める真琴であるが、そこに。


「おい! 森さんを放せ!」


 そのシヴァの腕を掴んで修誠が止めに入った。



「なんだ嘘吐き君。この雌がそんなに大事か?」


「ふざけたこと言ってないでさっさとその手を放せ……、っ!?」


 修誠はシヴァの腕を取って真琴を引き剥がそうとするが、シヴァの腕はまるで鉄で出来ているように動かない。


「おい、気安く俺に触るなよ。俺は雄には興味無いんだよ」


「くそっ、いいからその手を放せ!」


 修誠は無理に声を張り上げた。


 必要以上に声を張り上げたには幾つか理由があるが、一番の理由はもちろん恐怖心を拭うためである。シヴァの腕を掴んだ瞬間、修誠は自分との膂力に圧倒的な差を感じてしまったのだ。その為、無理にでもその恐怖心を払拭する必要があった。



「さ、榊君、私はいいから君は逃げて」


「いや、何言ってんですか! 置いていけるわけないですよ」


 修誠は動かないシヴァの腕を尚も強く引っ張って真琴から引き剥がそうとする。



「ああ、そういう鬱陶しいのいらないから」


 そう言って腕に纏わりつく修誠を振り払う。


 シヴァは軽く振り払ったつもりだったが、修誠はそれで数メートルほど飛ばされてしまった。


「く、くそっ!」


「おいおい、それくらいで吹っ飛ぶなよ。こっちの世界の人間はひ弱だよなぁ」


 シヴァは溜息混じりにそう言った。



「……こっちの世界? 何の事だ?」


「んぁ? こっちの世界はこっちの世界だろ。つか、そんな事はどうでもいい、質問するのはこっちなんだからよ」


 そう言ってシヴァは、手首を握って吊るしたままの真琴を修誠へと見せつける。


「おい、何を…!?」


「正直に質問に答えないと、この雌がどうなるか分からないぞ」


 シヴァは脅すように声のトーンを落とした。


 それと同時にその手首を握る手に少し力を込める。


「ぅあああああ!!」


「も、森さん!! お、おい、やめてくれ! 何でも答えるから」


「よーし、従順なやつは嫌いじゃないからな」


 そう言って笑みを浮かべるシヴァだが、その凶暴そうな視線に修誠は背筋が寒くなった。



「じゃあそうだな、まずは何から訊くかな? お前ら、俺の後を尾けてきていたな。何者だお前ら、目的は何だ?」


「お、俺たちは、……警察だ」


「ほぉ、警察か…」


 警察という言葉を聞いた瞬間、シヴァはその口角を上げる。


「俺は一ヵ月前のコンビニでお前たちと戦闘になったときにあの場にいた。それでお前の顔を知っていたんだ」


「さ、榊君……」


「ああ、あの時の。なるほど、そう言う事か」


 修誠の言葉に納得した顔を見せるシヴァ。


 その顔を眺めながら、なんとか時間を稼げないかと修誠は頭を巡らせる。


「そ、それで後を尾けたんだが……。俺たちが尾けてきていると、分かっていたのか…?」


「あ? ああ、俺たちは鼻が良いって言っただろ。同じ匂いがずっと近くにいればすぐに分かるに決まってるだろ」


「そ、そうか……」


 たいして時間稼ぎにもならなかった事に修誠は歯噛みする。



 しかしその時――


「ぃぎあああぁぁ!!!!」


 めきめきという気持ちの悪い音と共に、真琴の叫び声がその廊下に響き渡った。


「な、何をしてる!? ちゃんと正直に答えてるだろっ!」


「お前が勝手に質問してくるからだろ。あーあ可愛そうに、腕の骨が砕けちまったじゃねぇか」


「も、森さん、大丈夫ですか!?」


「あぁ…ぅぅ……。うう…うぅぅ……」


 目を虚ろにさせながら呻き声を上げる真琴。


 激痛の為に意識を失いかけているのか、修誠の声に返事は無かった。


 

「ったく、ちょっと力を入れただけなのによ。お前らちょっと脆すぎじゃないか?」


 シヴァはそうぼやきながら真琴の腕から手を放すと、握っていた方とは逆の手首に握りなおした。


 そして再び真琴の手首を持ち上げると、修誠の目の前へと突き付ける。


「さて、こっちの手首も砕かれたくなかったら余計な事は喋るなよ」



 その言葉に威圧感を放つシヴァ。


 修誠はそれにごくりと生唾を飲んだ。



「わ、わかった…。それで…、俺に、何を訊きたいんだ?」



 そう訊ねる修誠に、シヴァは少し沈黙した後に。

 


「そうだな…、じゃあ警察の情報でも聞かせてもらおうかな」



 にやりと笑ってそう答えた。





 

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