転移ゴブリンの日本侵略

憑杜九十九

第一章

第1話 そのゴブリンの名は




 森を抜けた先にある小高い丘。


 そこに一陣の風が吹き抜ける。


 それはまるで獣が啼くように、それはまるで魔が嗤うように、木々を大きく揺らして草木を鳴らす。


 そんな不気味な雰囲気と、少し湿った匂いを運ぶ風が吹き抜ける先。


 そこには一匹のゴブリンが単独でその丘に立ち、そこから人の街を見下ろしていた。



 そのゴブリン、ゴブリンにしては珍しく人間のような体躯を持ち、人間のような面相をしている。人間のようと言っても耳の形や肌の色など細部に違いはあるのだが、それはじっくりと観察してみないと分からない。


 さらにゴブリンとして珍しいのが、シヴァというおかしな名を持っていることである。


 ゴブリンと云うものは群れを一つの個とし、それぞれが群れの手足のようにして動くものである。それ故に、一匹のゴブリンが名前を持つなどという事は無い。では何故シヴァなどという名前を持つに至ったのか?


 それは一人の魔族による。


 その魔族は何を思ったのか、何かの謀だったのか、もしくは単なる気まぐれだったのか、その真意は判らない。しかし、その魔族によって名前を与えられたシヴァは、その体躯を強靭にし、強力な魔力と知性それと、ゴブリンには似つかわしくない野心を手にしたのだった。


 しかしそのせいで、群れでは異質なものとなってしまったシヴァ。知性を持ってしまったゴブリンに、もう群れの一部として動くことは出来なくなってしまったのだ。それ故に、今もこうして唯の一匹で行動しているのである。



 そんなシヴァが今、丘の上に立って見下ろすのは人間の街、王都グランディエスト。


 巨大な壁がぐるりとその広大な街を幾重にも囲み、その広大な街のはるか遠い中央部には、荘厳な城がまさにここが王都であると存在感を示すようにそびえ立つ。


 しかしシヴァの見詰める先はそんな中央の城などではない。丘から正面には大きな門が見え、そこに出入りするために人間の行列が出来ている。その様子をシヴァは興味を示したのか、さっきからずっと眺めているのである。


「どうすればあの門を越えられるのか……」


 この所のシヴァの頭にあるのはいつもこれだった。あの城門を越えて群れを王都の中に侵入させ、人間に気付かれないようにあの中に群れの巣を作る。そうする事ができれば、多少危険は伴うが効率よく人間を手に入れる事ができ、群れの規模も今よりさらに大きくする事ができるのだ。



 シヴァがそんな事に頭を悩ませている時だった。


「シヴァ…、やっぱり…、ここだったか……」


 一匹のゴブリンが、間の伸びた喋り方でシヴァに声を掛けてきた。


「ムトか…。族長の使いか?」


 このゴブリンにムトという名前を付けたのはシヴァである。


 魔族の行う名づけというのは、人間のそれとは異質なものとなる。名付け親は対象となる者に名を付ける際、自身の魔力を使い対象の能力を引き上げる。そうして自分の眷属を増やしていくのだ。


 シヴァもそれを真似て群れの中の一匹のゴブリンに名前を付けてみた、それがこのムトである。


 しかし、シヴァが未熟であったためか、ムトの能力はシヴァのそれよりも大きく劣る。



「そうだ…。すぐ戻ってこいって…」


「そうか、分かった。だがその前にあれを見ろムト」


 シヴァはそう言うと、ムトを一瞥し王都を指さした。


「人間の…街…?」


「そう、あれが人間の作った街だ。分かるか? あれが人間の強さでもある」


「よく…、わからない…」


「俺たちゴブリンにあんな建物を作れるか? あんな巨大な壁を作れるか? 穴を掘って巣を作る事しかできない俺たちではあんな物は作れない。そんな知能しか無いようでは人間の後塵を拝すだけだと思わないか? ムト、俺はあの人間の強さが欲しいんだよ」


 ムトは少し考える仕草をするが…。


「ちょっと難しい…、ムトにはよく分からない…」


 理解の追いつかないムトを見てシヴァは嘆息する。


 何せこのムトですら群れの中では知能の高い方なのだ。他のゴブリンに至っては喰う事と交配する事しか頭にない、ましてや群れ全体の事などは群れの長以外に考えている者などいないのだ。このシヴァを除いては。


 自分にもう少し力があれば、シヴァはそう思わざるを得なかった。


「ムト、お前はあの行き交う人間を見て何も思わないのか!?」


 シヴァは少し声を荒げてそう言った。


「んん…? なんか、楽しそう…?」


「……はぁ、やれやれだな……」


 シヴァからまた溜息が漏れる。


「いいかムト、ちょっと想像してみろ。あれだけの人間をお前の好きに出来るとしたらお前はどうするよ?」


「…んん。…喰って、犯す」


「逆だろっ、せめて犯してから喰え。いいか、俺ならこうする。食料用、繁殖用、労働用、この三つに人間を分けて飼うんだよ。そうすりゃ安定と繁栄が手に入る。これが成れば俺たちゴブリンがあんな強大な国を持つ事も夢じゃないだろ?」


 話すうちに若干の興奮を覚えたシヴァは、王都を指さしながらその瞳を輝かせた。


「シヴァの言う事…、難しい。でも…、何か楽しそうだ…」


「はは…、まあ少しでも分かってくれりゃ良いよ。……じゃあ、戻るか」


 シヴァは王都を一瞥する。いずれその野望の前にあの街を蹂躙してみせると、そう心に誓いながら。


 そして、ムトと共に群れへと戻るべくその場を後にした。




   ☆




 ゴブリンの群れは主に洞窟のような穴蔵を作ってそれを巣としている。


 その中は幾つもの部屋に別れ、それぞれ用途を別にする。ある部屋では人間や獣の骨や肉を貪り、ある部屋では人間や亜人種の雌に種付けの為に交接をしている。


 その悪臭の漂う巣の中は、それぞれの本能に塗れ、人間にとってはまさに地獄絵図と呼ぶに相応しい世界である。



 その巣穴の最奥。


 灯りのない通路を抜けた先にある、巣穴の中でも一番広い部屋。その部屋の中に弱々しく灯る火の向こう、そこに一際体躯の大きなゴブリンが獣の皮の上に座っている。


 背丈はシヴァよりも一回り大きく、しわがれた声に強い魔力。ボロ布を纏うのみの他のゴブリンとは違い、大きな黒いマントで全身を包む。それは、明らかに他のゴブリンとは存在を異にする雰囲気を醸し出している。


 このただならぬ気配を持つゴブリンこそが、この群れを統べる長である。


「族長、お呼びで」


 シヴァはその族長の前で膝を突く。


「おおシヴァ、戻ったか」


 人間の目には薄暗い部屋の中に二匹の声だけが聞こえてくるように見えるだろう。しかし、ゴブリンは穴蔵に住む習性があるために暗闇に適応した目を持っている。なので少しの火の灯りだけで十分に部屋を見通せるのである。


「は、人間の街を見に行っておりました」


「うむ、相変わらずだのぅ。人間の街など、よく飽きもせぬものだ」


「はい、飽きません。人間は知れば知るほど面白いのです、族長もあの街を間近で見てみれば解ります」


 族長は片目をぎょろつかせてシヴァに眼光を飛ばす。しかし、シヴァはそれを受け止め、真正面から族長を正視した。


「ふん、わしに人間の街を見てこいとはよく言ったものだ」


「族長、我々が人間を出し抜く為には、まず人間を知る事が大事なのです。このままでは、いつまでも――」


「そんな事は訊いておらんよ。シヴァ、わしがお前をここに呼んだ理由がわからぬか?」


 シヴァは、またその話かと嘆息する。


「勝手が過ぎると仰りたいのでしょう」


 そのシヴァが発する呆れたような声が、族長の神経を逆なでた。


「そうだお前が勝手をすればそれを真似する者も出てきおる。解っておるのならもっと自重せよ」


「しかし、もっと多くの人間を手に入れる事が出来れば、その方が群れにとっても良い事でしょう? その為にはまず人間の事を調べなければなりません」


「そう言い続けて何を成せた? 我らの様は何か変わったか? お前のしている事は群れを乱しているだけであろう!」


 聞き分けというものを持たないシヴァに、族長は徐々にその語気を強めていく。


「それはこれからです。人間をよく観察し、奴らの力を手に入れれば我らはもっと群れを大きくしてゆけるのです」


「人間の街を眺めておったらそれが叶うというのか、そんなものは夢物語というものぞ」


 シヴァは言葉に詰まった。


 実際に族長が言うように、シヴァはまだ何の成果というものを出してはいなかったからだ。シヴァのおかげで多少人間を狩りやすくはなったのだが、それ以上の結果をまだ出せていない。


 この事は、シヴァも意識している事ではあったし焦りでもあった。なので今はまだ夢物語という言葉に、シヴァは返す言葉を持ち合わせていない。



「シヴァよ、過ぎたる想いは身を亡ぼす元ぞ」


 族長は落ち着きを取り戻した口調で、シヴァに対し諭すようにそう話す。


「……肝に銘じておきます」


 もちろんこれでシヴァが納得したわけではない。今はまだ堪え時であると、シヴァはそう弁えただけの事なのだ。


「うむ、それでよい。ところでシヴァよ、用事は他にも……」



 シヴァはそれからしばらく族長の話に付き合わされる事となった。


 話の内容というのは、これと言って中身の無いものばかり。最初はうんざりしながら聞いていたシヴァであったが、知能の低いゴブリンが多い群れの中にあっては族長といえど溜まるものがあるのだと、シヴァはそう理解する事にした。




 そんな族長の長い話から解放され、シヴァはムトと共に巣穴の中のある部屋にやってきた。


 ゴブリンの巣は大きく分けて、繁殖、食事、寝所、育児と四つの部屋に別れる。その中で、今シヴァとムトがいるのは寝所の部屋である。


 現在、その部屋の中では数体のゴブリンが睡眠をとっている。群れの数は五十匹程なので、ここにいるゴブリンは群れのごく一部と言ってよい。では他のゴブリン達はというと、今は割と繁殖の部屋が賑わっている時間帯のようだった。



「まったく、族長の話はいつも長いんだよ……。ムトもそう思うだろ?」


 一緒にいるムトに愚痴るように、シヴァはそう吐き捨てる。


「族長もシヴァも…、話長い…」


「ぐっ、……なんだよ、お前は俺の眷属だろ。ちょっとは話を合わせろよな」


 シヴァはそう言ってムトの頭を指で弾いた。


 こういう時、ムトの知能がもっと成長しないかとシヴァは溜息混じりにいつも考える。せっかくムトという名前を与えたのだが、ムトは体躯も知能も中途半端。他のゴブリンに比べれば随分とましなのだが、それはシヴァの満足するものではなかったのだ。


「ところでなムト、俺は人間の街の弱点になるかもしれない場所を見つけたぞ」


 だからこうやって色々な話を聞かせて、少しでもムトの知力を上げようとしているのだった。


「弱点…?」


 ムトもそんな話に、一応の興味は示す。


「ああ、人間の生活に無くてはならないものってのがあるんだが、何か解るか?」


「……?」


「それは水だよ。水が無いと人間は生きられない、だから人間は街を川の近くに作るんだ」


「うむ…、水か…」


「おい、なんか偉そうだな…。まあ、いいか。それでだ、人間の街というのは大抵の場合がその近くの川から街まで水路を引いている。それが何故かというと、そうする事によって水を運ぶ手間を省いているんだよ。ここまでは良いか?」


 ムトはこくりと頷いた。


 本当に理解しているのかは疑わしいが、シヴァはとにかく話を続ける事にした。


「そこで俺はある事に気が付いたね。川から引っ張ってくる水の量に比べて、街の中の水路の数が少なくないかと…」


「おお…、何でだ…?」


 ムトのその問いにシヴァは口角を上げ、ゆっくりと地面を指差した。


「地面の下だ。地下に穴を掘ってそこに水を通してるんだよ。ムト、ここまで言えばもう人間の街の弱点が解っただろ?」


「うむ、全然わからん…」


「ぬっ、お前ちょっとは考えろよな…。いいかムト、街の周囲は城壁で囲っている、その城壁の上には見張りがいて周囲は常に警戒されている。空からの侵入も許さないだろう。でも地面の下からだったらどうだ? 俺たちゴブリンなら地下の水路から容易く街の中に侵入できると思わないか?」


 ここで少し間が開いた。


 シヴァが何の反応を示さないムトを訝しんでいると。


「…嫌な予感する…。俺…、それやらない」


「お、おい。ちょっと待て、やらないって何だよ。お前は俺の眷属なんだから、やらないとか無いんだよ」


「嫌だ…、シヴァ一匹でやれ…」


「お前、ふざけんな! 眷属は言う事きくもんだろうが! いいから、やるんだよ!」


「嫌だ、やらない…」


 眷顧隷属の間柄では珍しい遣り取りではあるが、ムトは時折こうしてシヴァの支配に逆らう事がある。シヴァの悩みの種でもあるのだが、その事をシヴァ自身は悪い気はしていない。



 ――そうして暫くの間、シヴァとムトの間で言い争いをしている時だった。



「まったくお前は何で俺の言う事を…、ん? ……何だ?」


 シヴァの目の前を、淡く光るものが横切ったのだ。


「光が…。おいムト、何だこれ? ……これは、文字?」


 部屋の中をよく見てみると、光で出来た文字のようなものがあちこちに浮遊しているのだ。


 それはまるで光蟲が辺りを漂うように、シヴァとムトの周囲を飛び回る。


「シヴァ…、何をした…?」


「お、俺じゃねぇよ……。一体何なんだよ、この文字みたいなのは……!?」


 その光の文字は徐々に増えていく。


 一つが二つ、二つが四つにと。


 薄暗かった巣穴の中が明るさを帯びるほど、その文字が次から次に増えていくのである。


「この文字……、魔力を感じる……」


 どんどんと増えていく光の文字。


 ただ、この中にあってもシヴァの意識は、この状況を分析しようと頭を働かせていた。


(魔力を感じるということは魔法の類ということか…? これは何かの術式ということか…?)



「はっ! まずい、これは人間の攻撃かもしれん! ムト、族長を守れっ」


 シヴァがそう言ったときだった。


 謎の幾何学模様が部屋一面に広がったのである。


 今までに見た事もない文字、その模様、そして増々膨れ上がっていく魔力にシヴァの理解が追い付かない。


(こ、これほどの膨大な魔力を、たかがゴブリンの群れを攻撃するのに使うのか……?)


「シ、シヴァ…、これは一体…!?」


 そうこうしている間に、その光の文字と幾何学模様はあっという間に巣穴全体へと広がっていく。


 巣穴の中にいる他のゴブリン達は、この状況にただ狼狽えて混乱しているだけ。シヴァとムトに至っても、理解の範疇を超えたそれを前に眺めているだけで何も出来ないでいた。


 そんな混乱する群れを嘲笑うように光がさらに強くなっていく。


 その様子を見ながら、遂にはシヴァの脳裏にあるものが過ぎる。


 それは、自身の死と群れが全滅するという事だった。



 ――そして、目が眩むほどの光が、巣穴の隅々にまで広がった。



 真っ白な光に包まれ、音も色も消えてしまった世界。


 呼吸をしているのかさえ判らない。


 そんな景色も何もない世界で、分かる事といえば妙に暖かくて心地が良いという事だけ。


 これが死んだ後の世界か、シヴァはそう思ったがそうでない事がすぐに判ることになる。



 真っ白な世界が終わり、ゴブリン達の目に飛び込んできた信じられないような光景。



 そこは――



「な、なんだ、ここは……!?」




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