第13話 鬼狩り

 

阿曽媛あそひめ羅刹らせつさん、無駄な抵抗はせず、大人しく彼女をこちらに引き渡してください」


 日本刀を手にした鬼無里きなさ紅葉くれはが冷たく命じる。

 漆黒の刀身に赤い波紋。何百年も血を吸い続けている禍々しい妖刀だ。

 その切っ先を羅刹へ向けて、腰を落とし油断なく構える。

 少しでも変なそぶりを見せたら即座に斬りかかるだろう。


「嫌だと言ったら?」

「警告したはずです。私はクラスメイトであっても容赦しません」


 えっ、と状況を理解できない桃仙ももせはクラスメイトの顔を行ったり来たり。二人の間に漂う剣呑な気配に息を呑む。


「ちょっと待って! 一体どういうこと!?」

柊姫ひいらきさん。その鬼から離れて早くこちらへ。危害は加えません。貴女を保護するだけです」

「意味が分からないよ! …………今、鬼って言った?」


 さりげなく述べられた鬼という単語を危うく聞き逃すところだった。そう言えば、羅刹は、いざとなったら紅葉を頼るといい、と述べていた。となると、羅刹の正体を知っている可能性が高い。

 しかし、この二人の間の軋む空気は何だろう。まるで敵同士ではないか。


「ええ、言いました。彼は人間ではありません。鬼です」

「それは知っているけど……」


 オロオロと混乱するだけで驚かない桃仙に訝しげの眼差しを向ける紅葉。


「もしかして、正体を告げたのですか?」

「ああ」

「昨日、彼女は鬼に襲われたのに?」

「知っているのなら何故助けなかった!? 彼女は怖い目に遭ったんだぞ!」


 突然声を荒げた羅刹に桃仙は驚き、紅葉は一瞬飛び出そうとした。

 彼の身体から怒気が溢れ出し、周囲を威圧する。


「取り囲んでいるお前たちにも聞いている! ―――鬼狩りども!」


 ゾワリ、と毛が逆立つ鬼気が放たれる。紅い瞳が睨みつける。

 周囲の景色が揺れた。屋根の上に姿を現した鬼狩りたちが武器を構えている。彼らはずっと潜んで取り囲んでいたのだ。

 羅刹のあまりの迫力に思わず後退りしてしまった者もいる。


「……鬼狩り? もしかして鬼無里さんも? 阿曽媛君と同じ鬼じゃなくて?」

「そうだ。彼女たちは鬼狩り。鬼を殺す専門家たちだ」


 紅葉の正体は、かつては陰陽師とも呼ばれた鬼狩りである。

 鬼から密かに人間を守る陰の守護者。鬼殺しの専門家。見鬼の才を持った異能使い。それが鬼狩り。

 彼らは数百年、いや数千年経った今でも日本の裏で活動を続けている。その使命は令和の現代まで脈々と受け継がれてきた。


「やはりバレていましたか」

「それはこっちのセリフだ」


 羅刹も紅葉もお互いの正体を述べたのは今が始めて。お互いそうだろうなと確信を抱きつつ、鬼と鬼狩り同士、何も接触はしていなかった。


「で、何故だ? 何故彼女を助けなかった?」

「……私たちのどの家で鬼巫女である柊姫さんを保護するのか揉めていました。対応が遅くなったことを謝罪します」

「ちっ! これだから人間は! 対応が遅くなった? お前たちは何もしていないだろう!?」

「ええ、その通りですね。ですが、これ以上貴方のような鬼の傍に置いておくことはできません。大人しく私たちに従ってください」


 有無を言わせない命令。羅刹は戸惑っている隣の桃仙に視線を向ける。


「柊姫さん、君はどうする?」


 桃仙は突然話を向けられて激しく動揺。声を裏返す。


「わ、私!? えーっと、どういう状況?」

「鬼無里さんたちが保護してくれるってさ。安心と言えば安心。だが、鬼無里さんは信用できても、上のやつらはどうか知らない。だろ?」

「……ノーコメントです」


 目を逸らしてのノーコメントは肯定の証だ。紅葉自身、本家の人間を信じてはいなかった。


「だそうだ。信じれないってさ。鬼狩りの一族は他にもある。強い鬼が出現しないように柊姫さんを殺そうとする奴もいるだろう」

「私、同じ人間にも狙われるの? 不憫過ぎない? 前世が悪かったのかな?」

「さあな? 残る選択肢は、危険な鬼である俺の傍にいること。俺も鬼とは言え男だからな。気を付けないと襲われるぞ?」


 鬼のようにニヤリと笑う羅刹。脅そうかと思ったのだが、桃仙は満更でもなさそうに頬を朱に染める。

 予想だにしない反応に羅刹は思わず呆然。

 一体何をしたんですか、と紅葉は蔑むような冷たい視線で羅刹を睨んでいる。洗脳か魅了を疑っている表情だ。

 逡巡した桃仙は、恥ずかしそうに羅刹の腕を取って、彼の背中に隠れた。


「えーっと、じゃあ、阿曽媛君で……」




「―――残念ながら、お前たちに選択肢はないぞ」




 第三の人物の声が背後から聞こえた。聞き覚えのある軽薄そうな男の声だ。

 振り向こうとする直前、羅刹の首に冷たいものが押し当てられる。動けない。

 それは銀色に光る日本刀。実に嫌な気配を刀から明確に感じる。


「……お前か、頼丸よりまる

「正解だ、親友」


 刃を突き付けていたのは羅刹の親友、みなもと頼丸よりまるだ。

 彼も鬼狩りの一族。紅葉と幼馴染という時点で察していた。


「おっと動くなよ。少しでも動くと斬れるぞ。というか、マドンナの桃仙ちゃんと一つ屋根の下で一晩過ごしただと!? 羨ましいぞこの野郎! 死ね!」


 今にも嫉妬と私怨と怨嗟で今にも斬りかかってきそうだ。背後から血の涙を流す気配を感じる。


「その刀、名のある鬼殺しか」

「ご名答! 名刀だけに。銘は童子切安綱どうじぎりやすつな。かの三大鬼神の一柱、酒吞童子を殺した鬼殺しの刀だ。鬼のお前にはちっとばかしよく効くぞ、羅刹」


 刀から漂ってくる冷たい嫌な気配。羅刹に流れる鬼の血が刀を拒絶している。

 鬼殺し。鬼を殺すことだけに特化した鬼特効武器。この刀に傷つけられれば癒えにくく、羅刹には軽い傷でも致命傷となり得るだろう。


「俺たちは害のない鬼を殺すつもりはない。意味は分かるよな?」

「……彼女を傷つけたら、俺は自分を抑えられないぞ。人だろうが鬼だろうが殺しを躊躇わない」

「わかってるよ。って、枯れてるお前がそこまで入れ込むとはな。惚れたか?」

「……軽口に付き合う気分じゃない」


 紅い瞳で背後の親友を睨む。頼丸はおどけた様子で大げさに反応した。


「おぉー怖っ! 安心しろ。桃仙ちゃんはそこの胸無し女と一緒に生活だ」

「誰が胸無し女ですかっ!? そこの鬼の前に貴方を殺しますよ!」


 幼馴染同士の言い合いを無視して、怒気を霧散させた羅刹は肩をすくめた。


「だそうだ。柊姫さん、俺たちに選択肢はないようだ」

「えぇっ!? そ、そんなぁ!」

「俺を見つめられてもなぁ……」


 潤んだ瞳で羅刹を残念そうに見つめる桃仙。恋する乙女の表情に、頼丸は訝しむ。


「……お前、桃仙ちゃんに何したんだ? マドンナにそういう風に見つめられるなんて羨ましすぎんだろ! 死ね! 今すぐ斬ってやる!」

「私、何もされてないよ? 鬼から助けられて、裸を見られて、一緒にお風呂に入って、ご飯食べただけだよ? お願いしても阿曽媛君は一緒に寝てくれなかったし」

「ちょっと柊姫さんっ!?」


 キョトンとした表情で彼女は全て吐いてしまった。止める間もなかった。

 背後から突き付けられている刀がプルプルと震える。肌が切れそうで怖い。


「お前、桃仙ちゃんの裸を見て一緒にお風呂に入ったのか……さては悪い鬼だな! 成敗してやる! 死ねぇ! そして詳しく話を聞かせやがれぇ!」

「うおっ!? マジで斬りかかってくるな! その刀はヤバいって!」

「死に晒せぇ! そして、桃仙ちゃんの裸はどうだったか教えろぉー!」


 本当に斬りつけられた刃を羅刹は紙一重で避ける。頼丸は次々に刀を振るう。

 男子のじゃれ合いにため息をついた紅葉は、刀を鞘に納めて目を丸くしている桃仙の傍に寄った。


「柊姫さん、今日から我が鬼無里家で貴女を保護します。というか、なんて破廉恥な鬼ですか。昨夜はエロ鬼に何かされましたか?」

「ん? 全然何も。覚悟してたし、ちょっと期待もしてたんだけど、全くなかったの。私、魅力ないのかな?」

「いえ、十分魅力的だと思いますが」

「超美人の鬼無里さんに言われても説得力ないよぉ~。喧嘩売ってる?」

「何故ですかっ!?」


 紅葉の心が地味に傷つく。

 ちなみに、この会話を桃仙の親友の彩世あやせが聞いたら、目が笑っていない美しい笑顔で二人を殴りつけ、無言で怒りのセクハラを始めただろう。


「ぜぇ……ぜぇ……避けるなよ」

「はぁ……はぁ……避けなきゃ死ぬだろうが」


 男二人は肩で大きく息を吐いて手を膝に置いている。どうやらじゃれ合いは終わったようだ。


「エロ鬼、エロ猿、もう気は済みましたか?」

「誰がエロ猿じゃ! 貧乳鬼婆!」

「誰が貧乳鬼婆ですかっ!?」

「お前だお前!」

「俺だってエロ鬼じゃねぇーよ!」

「付き合ってもいないクラスの女子とお風呂に入るなんてエロ鬼としか言いようがないでしょう!?」

「そーだそーだ! それは俺だってエロ鬼だと思うぞ!」

「誘ってきたのは柊姫さんだ! それに水着を着ていた! 裸じゃない! プールみたいな感じだ! お湯だっただけで!」


 三人の言い争いを見ていた桃仙が一言。


「みんな、仲が良いね」


「「「 どこがっ!? 」」」


「そういうところ」


「「「 ちっ! 」」」


 三人は顔を見合わせて同時に舌打ち。やはり仲が良いと桃仙は思う。

 ぐったりとと疲れ切った羅刹が言う。


「お前ら、俺を鬼鬼言いやがって」

「実際、お前鬼だろ」

「そうです。鬼を鬼と言って何が悪いんです?」

「確かに、俺は鬼だ。でも、完全な鬼じゃない」


 その言葉に、紅葉と頼丸の目が見開かれた。唯一分かっていないのは桃仙だけ。


「俺は半人半鬼! 半分鬼で半分は――――人間だ!」


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