独学賢者の学園生活~勉強させられるのは苦手なので、独学で世界を掌握することにしました~

羽毛布団

第1話 出会い


――物心がついたときから、容量の悪い子どもだった。


「だから、なんども言っているでしょっ」


あのとき先生は声を荒げて、僕に言った。


「割り算は『たてる』『かける』『引く』『下ろす』が公式なのよ。これを頭に入れないと、始まらないのよっ」


小学生のとき、割り算でつまづいた経験はあるだろうか。


ぼくはマスターするのに、小学校6年間すべてを費やした思い出がある。


みんなが続々とドリルを解いていくなかで、ぼくだけがいつも取り残されていた。でも、べつに、誰にも迷惑はかけていない。

ぼくが割り算を解けないからって、世界は勝手に滅んだりしない。

でも、そんな容量の悪いぼくを、学校の先生は芳しく思っていなかった。


「……どうしてこんな簡単な問題が解けないんだ、きみは」


そんなの、ぼくが聞きたい。


「将来、大人になったときに苦労するのは、きみなんだぞ」


知らないよ。割り算ができないくらいで苦労する社会なら、いっそ滅んでしまえばいい。


いつもそんな風に思っていた。

だってぼくは悪いことはしていない。

頭が悪くても、運動神経が優れなくても。

だれにも迷惑は、かけていないのだから。


でも、劣等感からは逃げられなかった。


算数を解く時間はいつも地獄だった。

誰もかれもがぼくのことをわらった。


だからぼくは、クリスマスにこんなお願いごとをした。


「割り算ができなくても、生きていける世界に連れて行ってください」


そして、その望みは叶えられることになる。


ぼくがつぎの朝、目を覚ましたのは自宅の暖かいベッドではなく。

耳を生やした獣人や、鎧を着た兵士たちが闊歩かっぽする場所。


それは俗にいう異世界だった。



「……さむっ」


最初に出た感想はそれだった。


そのときの僕の年齢は、だいたい12歳。

――もう、4年も前のことになる。


聖夜の夜に連れ出されただけあって、異世界の街道もクリスマスの装飾で飾られていたことをおぼえている。綺麗だった。レンガ造りの家々は魔法の力で光り、街道の中央には日本とくらべものにならないくらいの巨木ツリーが飾られてあった。


「おう坊ちゃん、そんなかっこうで寒くねえのかい?」


声をかけてくれたおっちゃんがいた。

その人はヤギみたいな顔をしていて、露店の店主だった。


……というか、実際にヤギの獣人だった。


「せめてこれを着ていきな」


彼はそう言うと、パジャマ姿だった僕に暖かい毛皮のコートを着させてくれた。


「今夜は冷えるからな。俺は今日商売で帰れねえから、ほかの誰かの家に泊めてもらいな。なに、いざとなったらそのコートを見せれば、2つ返事で泊めてもらえるはずだぜ」


あとから気づいたことだが、そのコートの裏地には、そのときの通貨にしておよそ十万円ほどの大金が縫われていた。


――あのときのコートは、今でも大事にとっておいてある。


「今夜、泊めてください」


ぼくは、たくさんの人に言って回った。みんなが首を横に振ったが、ぼくはコートの裏地を見せることはしなかった。


「いいよ」


手がかじかんで動かなくなったころ、その女性はほほ笑みながら言った。


「少年。勉強は好きかい?」


「いいえ。大っきらいです」


「なぜか、聞いてもいい?」


「――あんな計算式だけで、人間の本質が図れると思えないからです」


暗い色のローブで目元を隠した女性は、口元をほころばせて言った。


「ああ、その通りさ。勉学の良し悪しだけで、人の本質は図れない」


ぼくは嬉しかった。なぜそんなことを聞いてきたのかは分からなかったけれど、生まれて初めて共感されることの喜びを知った。


「でも、勉学に秀でていたほうが、優れた人間だと思われることは確かだ」


すると、急に手が暖かくなった。

ぽかぽかとしていて、とても気持ちがいい。

彼女の手には淡い光を放つ魔法棒が握られていた。


彼女は目元のローブを持ち上げて、まっすぐな瞳でぼくを見つめて。


「――きみには魔法使いとしての才能がある。うちに来たら、それを伸ばすための訓練べんきょうをしてもらう。それが今晩……いや、今後うちで暮らすための条件だ」


「三食ご飯もついてくる?」


「デザートもつけよう」


「乗った」



「ぐっもーにん、少年。朝だぞ」


目が覚めると、明るい陽光と鳥のさえずりが僕の頭をゆらした。


――女性の家は、山の上にあった。小さいログハウスで、僕はその一室を借り受けることになった。居心地はよかったが、学校に行くより早い時間帯に起こされたことだけが不服だった。


「今日から訓練だが、意気込みのほうを聞こう」


「……できれば、上手くできなくても責めないでください。ぼく、容量悪いんで」


「わかった。善処しよう」


初めて魔法を習うことに、違和感はなかった。

割り算があるなら魔法もあるだろう。

そんな感覚だった。


「そういえば少年、きみの名前を聞いていなかったな」


女性は朝食のスープを喉に流しこみながら聞いてきた。

ぼくは少しだけ考えてから、


「……ユウ、と呼んでください」


僕の本名は、本田優秀(ほんだゆうしゅう)という。


親が僕にこの名前をつけたこと、それ自体に罪はない。

でも、その名前は、僕にとって足かせでしかなかった。

だからこの世界では、『ユウ』と呼んでもらうことにした。


「そうか、なら私のことはミルク先生と呼べ」


「どうしてミルクなんですか」


明らかに偽名だ。


「牛乳が好きだからさ」


ミルク先生は肩を持ち上げながら笑った。


20代(自己申告)で、長い黒髪と華奢な体格が印象的な――美しい女性だった。



「ちなみに私は、魔法の基礎しか教えない。あとは自力で学びなさい」


「……つまり、独学で勉強しろってことですか?」


「そうだ。その方がきみも、伸び伸びと勉強できるだろう? ただし、月に一回、ちゃんと基礎の魔法を使えるかどうかテストを行う。点数は私の独断と偏見で下す。もしいい点がとれなかったら……」


「とれなかったら?」


「晩ごはん抜きだ」


「……がんばります」


典型的ではあったけど、育ち盛りな時期にはいちばん響くペナルティーだ。


「まずは全ての魔法の基盤となる5つの属性からだ。水、火、風、光、闇。この5つにはそれぞれ特色があって、魔法を使うための触媒も違う。まずはそれからマスターしていくぞ。今月の試験は、1週間後だ」


どうしてミルク先生が僕に魔法を教えようとしたのか、今でも本心は明かしてくれない。でも、一つだけ確かなことがある。


僕はこの世界で、魔法を諦めることはなかった。

ということだ。


何はともあれ、こうして僕と先生の修業が始まった。

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