第37話 王都の夜




 寄り道をしていたらすっかり遅くなってしまった。

 とっぷりと日は暮れて家々の明かりが灯り、夜のにおいが都に満ちる。その中をクルトは駆け足で商会へと戻っていた。


「やべー、怒られる……」


 呟きながら急ぐクルトだったが、道の向こうから響いてきたけたたましい車輪の音に思わず足を止めて振り返った。

 こんな時間に全速力で馬車を駆けてくるだなんてどこの馬鹿だ、と思ったのだが、すごい勢いで通り過ぎた馬車を見送ったクルトは目を丸くした。


「あれ?あいつって……」


 見覚えがあった。クルトと母親の運命を変えた少女、彼女の横にくっついてこちらを睨みつけているいけ好かない男だ。


「アカリアの……」


 クルトは小さくなる馬車をみつめて、首を傾げた。



 ***



「やれやれ。仕方ないとはいえ、しばらくの間は金魚が品切れになるな」


 店を閉める作業をしながら、ミッセルは嘆息した。

 男爵令嬢をいつまでも留めておくわけにはいかないのだから仕方がないのだが、出来ればアカリアにはずっと王都にいて欲しいものだ。

 そんな風に考えながら片づけていると、エリサが心配そうに外の様子を窺っていた。買い物に出したクルトがまだ帰ってきていないのだという。

 クルトのことだから、どこかで寄り道でもしているのだろうと思ったが、外はすっかり暗くなっている。もうしばらく待っても帰ってこないようなら、誰か探しに出そうと思ったちょうどその時、クルトが駆け込んできた。


「おっさん!あいつがすごい勢いで走ってったんだ!」

「あいつ?」


 クルトの剣幕に、ミッセルは片づけの手を止めた。


「あいつったらあいつだよ!アカリアにいつもくっついてるムカつく奴!」



 ***




 どれくらい時間が経ったのか、真っ暗な倉庫にコツコツと足音が響き、扉が開き光が差し込んだ。


 私は身を固くして戸口を見た。入ってきたのは小柄な中年男だった。


「どうも。ゴールドフィッシュ男爵令嬢。無礼な真似をして申し訳ありません」


 にこやかに歩み寄ってくる男を、私はぎゅっと睨みつけた。


「安心してください。危害を加えたりするつもりはありません。ただ、ちょっと商売の話がしたいだけですよ」

「商売……?」


 男はニヤリと品のない笑みを浮かべた。


「ええ。金魚という生き物にたいへん興味がありましてね」


 私はぐっと口を噤んだ。自分を狙うのだから、目的はおそらく金魚だろうと予想はしていた。

 ゴールドフィッシュ男爵領のどこで金魚が穫れるのか聞き出したいのだろう。もしくは、私を人質にしてキースから情報を引き出すつもりかもしれない。


 絶対に何も喋らないぞと決意を込めて睨みつけると、男は小馬鹿にするように笑った。

 そして、こう言った。


「いや、金魚以上にお嬢様に興味があるのです。なんでも、とっても珍しい『スキル』をお持ちだとか」

「!?」


 思いがけぬ言葉に、私は動揺した。


 私が金魚を出しているとばれている……?

 いったいどうして。誰かに見られていた?


 怯えた表情になった私を見下ろして、私の手を縛っていた縄を外して男はふんと鼻を鳴らした。


「今頃、うちの者がお兄様と交渉しているところですよ。きっと、貴女のことが心配なお兄様は賢明な判断をしてくださることでしょう」


 それだけ言うと、男は私を残して倉庫から出ていった。

 私は冷たい汗をかき、身を縮めた。


 あいつらの狙いは、私の『スキル』を使って儲けること……私の身柄を盾にして、キース様を脅迫するつもりだ。


 なんとかして、ここから逃げ出さないと。

 私は男が出て行った戸口ににじり寄った。扉の向こうには人の気配がある。おそらく見張りがいる。

 ここから逃げるには、見張りをなんとかしないと。


 私は無事に逃げる方法を探して、頭を悩ませた。





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