第21話 日常を歩む(5)
レオナルドの申し出もあり、ライラは彼に魔術を教えてもらうことになった。殆ど講義の予習復習である。戦闘能力に優れているレオナルドに手合わせしてもらえるのは勉強になり、ライラの《怪力》の使い方も幅が広がった。反撃の仕方も、大狼族目線の指摘は参考になる。
レオナルドの方は、「それ、《怪力》って言葉で片付けていいような性質じゃないと思う……知らずに魔術を使ってるんじゃないか? だから他の魔術をするのが下手とか――詳しく調べてもらうのがいいんだろうけど、適任がいねぇ。似非教師(デヴォン)は論外だしな」と頭を悩ませていた。見た目にそぐわず、ものすごく面倒見のいい男である。
キャロンとは一緒に勉強したり、お茶会に誘われて行ってみたり、ライラが誘って人間界へ遊びに行ったりもした。夢の国のテーマパークで、キャロンは猫耳カチューシャをつけ、ライラは黒く丸い耳のカチューシャをつけて楽しんだ。人間界へのゲートはトゥーリエント家にあるものを使ったので、その日、ライラは自宅の夕食に招いたのである。
屋敷に入ったキャロンは目を輝かせ、「トゥーリエント本邸なんて、レア! レアですわぁ!」と興奮冷めやらぬ口調であった。来客用の個室を使い、二人で夕食を食べていると次兄ファルマスも遊びに来た。妹の友達に挨拶したかったらしい。「妹をよろしくね、フォレストさん」と軽く頭を撫でられたキャロンは、頬を染めて睫毛を震わせた。こんな反応をする友人をライラは初めて見た。兄が去った後、「あんなお兄様がいたら、そりゃあ、そこらのイケメン(エリック)を見ても動じませんわね~。間近でお会いしたのは初めてですけどかっこいい~」と両手を握り合わせながら語ってくれた。
エリックとは特に変わらず。たまに屋敷にやって来ては、持参してくれたお八つを食べ、世間話をして帰っていく。そそくさと帰るのは兄たちに見つからないようにだろう。
そんな風に、平和に二ヶ月が過ぎた。予想外なことに、ヘルムとの接触も無かった。肩透かしを食らった気持ちだ。
魔術基礎演習はやはり苦手である。心の中でため息をつきながら、ライラは先程の実習内容を反復する。水系統の魔術で、水球を飛ばすか、水流を出現させるかが課題であった。努力の末も、親指と人差し指で作れる程度の水球しか出来なかった。
防御は論外である。デヴォンの操る荒れ狂った水流を、本来なら防除魔術で防がなければならないところを――魔術発動まで間に合わないし、できたところで無理だと観念したライラは、とっさに拳一つで相殺した。「……いやまぁ、見事なんだけど、ねー」とデヴォンも言葉が詰まる。最初こそ驚いていたクラスメイトたちであったが、最早見慣れた光景である。ライラは「本当すみません……」と言う他ない。
どうしようか、なんかもうどうしようもない気がする……と諦めながら着替えていると、意を決したようにクラスメイトが喋りかけてきた。更衣室にはもう、ライラとキャロンと、そのクラスメイト二名しかいない。
「あのね……ずーっと気になってたんだけど、レオナルド君とどういう関係なのっ?」
「え」
驚くライラの後ろで、キャロンは「まぁ、そうですわよね~聞いてくるの遅いぐらいですわよね~」と呟いている。
「さっきも、レオナルド君、ライラさんに親し気にデコピンしてたし。あんな笑顔向けるのライラさんにだけだし。ってか最初仲悪かったのに、ある日突然仲良くなってたし……!」
デコピンは、防御魔術が上手くできなかった罰である。全然痛くはない。笑っていたのは、『無理に魔術で防がなくても、その拳で対処できるんなら、別にいいと俺は思うけどな』とライラを励ますためである。ライラの放課後先生は優しいのである。
「レオとは、お友達――」
「それ! いつの間にかレオって呼び捨てで呼び合ってるんだもん!」クラスメイトはテンションが上がった。
戸惑うライラを見かね、キャロンが口を開いた。
「間に入ってごめんなさい。ええと貴方、レオナルドのことが好き、という訳ではありませんの?」
「えっ……違う違う! そりゃ、かっこいいなーって思うけど、好きとかではないし、獰猛っていうか強すぎてやっぱ怖いし。それより二人の仲が! 気になる! わくわく!」
レオナルドのことを怖いと言い切った彼女は確かナナリーという。隣にいる彼女の友達が「ごめんね突然。ずっと聞きたくて仕方なかったみたいなの」とフォローを入れた。
「実際ライラさんはどうなの? レオナルド君、私から見るとさぁ、絶対トクベツ扱いしてると思うんだよね! わくわく!」
ライラは瞳を大きく開き、二度瞬いた。肩の力を抜いて、へらりと笑う。
「それは私が、魔術が苦手だからだよ。ちょっと教えてもらってるの」
そう、それだけだ。レオナルドは面倒見がいい。
「私を好きになる魔族なんて――必要だと思ってくれる魔族なんて、いないよ」
にこりと笑った。なのに、キャロンをはじめ三人が黙り込む。
「も、もおお、私の可愛いライラ? 恥ずかしいからって何言ってますの!」
「ありがとうキャロンちゃん。えへ」
キャロンがライラに抱きついてきて、クラスメイト二人がほっと息を吐く。四人で雑談しながら教室に帰った。
〇
放課後は、レオナルドによる魔術講義が行われる。魔術基礎演習の復習をし、ライラが望む魔術の反復練習をする。レオナルドは《怪力》を使った戦闘訓練をもっとした方がいいと考えているため、手合わせの時間もとる。
場所はお昼休みに使っている構内の外れ。レオナルドが結界を張ったなかで行うので、魔術が漏れることはない。ライラは何かお礼を、と言ってくるのだが、好きでやっているので気にするなといつも言っている。
今日もライラはカラカラになるまで魔力を使い、その上くたくたになるまで体術の稽古をした。ふらついている。
「いいから休め」
レオナルドが言うと、ゆっくり頷いたライラが、物欲しそうに見上げてくる。
「……な、なんだよ」
情熱的に輝く瞳でじっと見られ、レオナルドはたじろぐ。
「狼さんに、なってもらってもいい……?」
「……」
そういうことかよ、とレオナルドは心のうちで石ころを蹴った。とは言えライラが望むのならばやぶさかではない。毛並みの美しい狼の姿をとると、ライラが嬉しそうに抱きついてくる。
(こいつ、人型の俺と獣型の俺、同じだと思ってないだろ)
そしてライラは三秒で眠りに落ちた。狼はため息をつきながら、尻尾をまわしてライラの体を支える。三十分経ったら起こそうと決めた。
「ライラ、寝ていますの?」
足音を忍ばせながら来たのはキャロンだ。苦手意識の強い彼女にも、この二ヵ月でだいぶ慣れた。面倒なのでお互い名前で呼び合うくらいには仲良くなった。
『さっきな。魔力切れギリギリだ』
「そうですの」
レオナルドは、おや、と思う。キャロンの様子がいつもと違い、敵意が少ない。レオナルドに何かを話そうか迷っている――珍しい。
『何か、あったのか』
「貴方、案外空気読めるところありますよねぇ。そうね、何かあったといえば、あったのだと思いますわ」
『褒めてるつもりかソレ』
「ねぇレオナルド。貴方、ライラのことが好きですか」
『……は?』
「ごめんなさい、ナシにして下さい。どちらにしろ私に言いませんよね。今日ね、ライラは貴方とどういう関係なのか、尋ねられていたんですの。そのときライラ、『私を好きになる魔族なんていない』って言い切ったんです。曇りない笑顔で。あの言葉が、どうしても引っかかって……」
『そうか。俺も、ライラの自己評価がとてつもなく低いことは、気付いてる』
「もしも好意があるのなら、分かりやす過ぎるくらいじゃないと、伝わらないと思いますの」
キャロンはそれを言いたかったのだろう。他でもないレオナルドに。
『気遣いに感謝する、キャロン』
「私が貴方にこんなこと言うなんて、今日は熱でも出てるのかもしれませんわ」
当初こそ敵意丸出しだったが、今はそうでもない。レオナルドはキャロンの頭脳と魔術を認めているし、キャロンもレオナルドの圧倒的な強さを認めている。その間にあるのは、いつも笑顔を絶やさないライラだ。意図的なのか天然なのか、ポヤポヤした空気を醸し出して緩衝材の役割を果たし、いつの間にか二人は認め合う仲になっている。
そのライラは安心しきったように眠っている。狼型のレオナルドの傍にいると、いい匂いに包まれて幸せな気分になるのだそうだ。そう言われたときのレオナルドの心中は複雑だった。喜んでいいのか、果たして異性としての意識は皆無なのではないか、何なのだこのとぐろを巻くモヤモヤは――。
「しかしまぁ、信頼されてますわねぇ」キャロンは苦笑する。
『……狼の姿の方が、こいつは好きそうだ』
レオナルドの心中が分かったのか、キャロンはお腹を抱えて笑い出した。
「そのような弱音を私に吐くなんて、相当まいってるんですのね。ぷくくくく……」
キャロンに対して取り繕うのも無駄なので、狼は静かに目を伏せた。
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