第14話 変化してゆく学園生活(7)


 ライラは高鳴る胸をおさえていた。

(びびびびっくりしたぁ!)

 顔を真っ赤にしてトゥーリエント邸の前で佇んでいる。

 びっくりしたのはデヴォンとの遭遇ではなく、レオナルドに対してだ。

(デヴォンに対抗する以外の意図は無かろうとも――だ、抱きしめられた……兄様たちとは全然違った……)

 こんな顔をしたまま屋敷に入ろうものならミリアンたちに何か言われてしまうだろうか。でもすぐ治まりそうにない。

(兄様たちより、すごく、しっかりしてた。お日様みたいないい匂いがした)

 デヴォンとやり合い、相手が消えた後もレオナルドはライラを大事そうに抱きしめていた。正直ライラはデヴォンのことなどとうにどうでもよく、レオナルドに回された腕のことだけで頭が一杯だった。

(どうしようどうしよう。何をどうするかっていうのも分かんないけど明日からどうすればいいのかな。喋りかけてもいいのかな。なんだか最近普通? っぽいし。ミリアンに相談……したら屋敷の皆に言いふらしそうだからやめといて、キャロンちゃんに相談してみようかな)


 平静を装い部屋に戻り、ブレザーを脱いだところで部屋のノック音がした。「はーい」と返事をすると、可愛らしい箱を片手に入ってきたのはミリアンだった。今日も侍女服のシャツボタンを数個開けて、ただでさえ豊満な胸を強調させている。

「おかえりなさいお嬢様ー。人間界土産で美味しいお菓子を買ってきたんですけど、食べません?」

 そういえば昨日は休暇を取っていたなと思い出す。人間界に遊びに行っていたようだ。

「いいの? 食べるー」

 二人掛けのソファに並んで座り、ミリアンがローテーブルに箱を広げた。

「ワッフルケーキですわ。可愛いでしょう」

 長方形にカットしたワッフル生地にクリームを挟み、透明のセロハンで個包装している。片手に収まるサイズのそれが、抹茶やいちご、チョコレート味など色とりどりに並んでいて視覚的にも楽しいものとなっていた。


「お嬢様のために買ってきたのですわ。日頃これより美味しい精気を頂いてますもの。これからもよろしくお願いしますわ」

「賄賂って訳ですか」

 ならば遠慮なく頂こう。

 ワッフル生地はふわふわでクリーム部分は甘く美味しく、味も数種類あるので飽きがこない。ぱくぱくと食べてしまうボリュームなのが憎い。

 夢心地に食べていると、ミリアンが観察するような目でライラを見ていた。

「ところでお嬢様、学園生活はいかがですか? 気になる異性でもできました?」

 危うく噎せそうになった。


「と、特に?」

「キスしてみたいなぁーとか、一夜の関係持っちゃいたいなぁーとか、アレコレして精気を吸いつくしてみたいなぁー、とか何でもいいですのよ?」

「何でそう、例えがそっち方面ばっかなの……」

「お嬢様はそういった激情が走ったことはありませんの?」

「そういう気持ちになるのが普通の淫魔なの?」

「ううん、どうでしょう。淫魔じゃなくても、それくらいの激情は持つと思いますけど。まだそういった相手が現れてないのですわね。正直ちょっとホッとしていますわ。お嬢様はいつまでもお嬢様のままでいて欲しい……」

 ミリアンは横からライラに抱きついてきた。首筋に唇をあてられ、少しばかりの精気を吸われる。いつものことだ。


「私はお嬢様の精気を吸いつくしてみたいと思ってますわぁ。でも、まず私の方がお腹いっぱいになって倒れてしまいそう。ふふっ」

「そう言いながらまた精気食べてるでしょう。いいけどさ」

「ああん! お嬢様さえ良ければこのミリアン、夜のご奉仕だってシ」

「結構です」

 ライラはべちんとミリアンの額を小突いた。少し力加減を間違えてしまったかもしれない。ミリアンが額を押さえて数十秒呻いていた。

(そう言えば、レオナルド君のお日様の匂い……知ってるような気がする。どこでだろう)



 ライラは、さっきまで一緒に晩餐の席についていた兄に試してみることにした。

「ねーねーファル兄、ちょっといい?」

 ヨハンの作ったフルコースをたっぷり食べたファルマスは、リビングのソファに脚を放り出して寛いでいた。手元には分厚い小説がある。読書家なのだ。

「んー? どうした?」

 ライラはファルマスに近寄って、覆いかぶさるように抱きついた。ファルマスが読みかけの小説を落とす。

「!? どっ、どうした。ライラちゃんから抱きついてくるなんて滅多にないのに。嫌なことでもあったの?」

 慌てるファルマスに対し、ライラは吟味しながら言う。

「……やっぱり、違う」

「違う? 違うってどういうこと」

「何でもなーい。ありがと、ファル兄。ほら、本落ちたよ」

 ぱっと身を離したライラは落ちた本を兄に手渡した。ファルマスはきょとんとしながら「お、おう……」と本を受け取る。


 その後、厨房にいたヨハンにもライラは同じことをし、同じ感想を呟いた。

 いつもと違う様子で脈絡もなく抱きついて離れるという行為に、ヨハンにも「お嬢様、何かあったんですか?」と心配された。


       〇


 数十分後、ヨハンの聖域である厨房に三人が集まっていた。ヨハン、ファルマス、ミリアン。ぴかぴかに磨き上げられたキッチンカウンターにはおつまみのチーズとドライフルーツが用意してある。


「ライラちゃんがおかしい」

「ええ、先程お嬢様に抱きつかれましたが、『違うなぁ』とか呟いて行かれましたよ」

「ヨハンも? 俺もだ」

「あら、私は抱きついてくれませんでしたわ。だから自分から抱きついたのですけど」


 ファルマスがチーズをぱくりと口に放り込む。咀嚼している間、誰も喋らなかった。


「男にだけ抱きついて、『違う』と判断されたのですよね。……好きな野郎でも、できたとか……」

「うわあああああ考えないようにしてたのに」呻くファルマス。

「そんな! さっきお嬢様にそういった話を尋ねましたけど、いるなんて言ってなかったですわ」

「それってミリアンに言ったら言いふらされたり面白がられると思ってじゃないですか?」

「そんなことしませんわ! ……たぶん」

「二人とも、俺、重大なことに気付いた。抱きついて『違う』って言ったってことは、もうすでに野郎Xに抱きつかれた後ってことじゃないか? でないと比較する必要はない、だろ?」

 三人が沈黙した。各々おつまみを口に放り込む。

「そのとおりですわファルマス様。いずれ、いずれこういう日が来るとは分かってはいましたが……っ! 私たちのお嬢様が!」

「その野郎Xというのは、お嬢様の類稀なるあの精気に、気付いているんでしょうか」


 無尽蔵の精気、天上の果実のような甘さ、そしてその力。

 ライラの精気は甘いだけではなく、魔力や体力の供給といった点でも飛びぬけて優れたものだった。


「そこが問題だよな。ライラの精気のことを知ったら、それを目当てに近寄って来る野郎は絶対に出てくる。今じゃもう一人で撃退できるくらいに戦闘力はついているけど、もしも相手がライラの好きな男であったら」

「喜んで差し上げそうですよねお嬢様。ただでさえ無尽蔵にあるから、あまり気にされませんもの」

「さらに問題は、定期的に摂取することによって魔力量が増えるということだよな……ライラは知らないけど」

「私、魔力の限界値は迎えたと思ってましたのに、ここに勤めてからまた増え始めましたもの」

「坊ちゃま方が若年の淫魔に似つかわしくない程魔力があるの、それが理由ですもんね」

「そろそろ坊ちゃま呼びはやめてほしいな、ヨハン」

「おや、いけませんか」


 三人は同時にため息をついた。


「とりあえず、その野郎Xがどいつなのか、調べなきゃな」

「学園内についてはファルマス様が頼りですわよ」

「アルフォード様は事態が起きてからドカンと解決するクチですからね――あんな繊細そうなナリしといて」


 派手な女性関係の浮名を流すアルフォードの、麗しい容貌には想像もつかない内面の激しさを思い、三人とも遠い目になった。繊細で丁寧そうなのに、割と大雑把の行き当たりばったりなのである。


「野郎Xが淫魔だったとしても、ライラちゃんの精気を全て食べ尽くすなんて無理だろうな。倒れるか、悪けりゃ体ん中で暴走してしばらく再起不能だろ。普通の魔族だったら尚更。だからライラちゃんに差し迫って脅威がくる心配はないと思いたいけど……あああライラちゃん、ついにこの時が」

「結局、私たち以外にお嬢様の精気を食べるような輩が現れること自体、許したくないんですわ」

「まぁ、そのとおりですね」

 ヨハンが棚から琥珀色の液体が入った瓶を取り出した。三つのグラスにカランと氷を入れ、それを注ぐ。

「ピートを使ったスコッチウィスキーです。ブレンデッドウィスキー、今の気分にぴったりですよ、たぶん」

「ありがとう」

「乾杯しましょう」

 カチン、と三つのグラスが合わさる音が厨房に響いた。

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