第3話 前途多難な学園生活(3)

 狼はゆっくりライラの方へ近づいてきた。その体に木漏れ日が差し込み、全貌が露わになる。毛は薄い水色で、体長は両手を横に広げたよりも長く、乗ることも出来そうな程にがっしりとして大きかった。今すぐライラを取って食おうとはしていないが、何やら吟味している様子だ。

 ライラは身の危険を感じると共に、感動もしていた。

「綺麗だね……」

 水色の毛はきらきらと輝いているようで、ふわふわだ。陽の下で見る金色の瞳は透き通るように綺麗。どこか厳格で雄々しい雰囲気を持つ顔は勇ましく美しかった。

 ライラの言葉が聞こえたのか、狼は尻尾を振った。喜んでいるのかもしれない。


「こ、こんにちは?」

 狼は更にライラに近づき、首を縦に振った。

「あなたもお弁当、食べる?」

 狼は首を横に二、三度振った。会話が通じている。

「もしかして、私を食べるの?」

 狼は半目になった。呆れられている。

「あなた、ここの森の魔獣? それとも誰かの使役獣?」

 狼はその質問を無視し、ライラのすぐ近くに寄って四足とも折り曲げて座った。そして目を伏せる。

 初対面であるのに気を許してくれたように思え、ライラは感激した。残りの弁当を食べ終え、鞄にしまって狼を向く。

「ねえ、あなたに触ってもいい?」


 狼は閉じていた目を開けてライラを見ると、また目を閉じた。そして尻尾を左右に一度だけ振った。許可する、と言われた気がした。

 ライラは恐る恐る手を伸ばし、耳の後ろから体の側面にかけて撫でた。想像通りふわりとして毛並みはサラサラ、とても気持ちがいい。

「きっもちいい……」

 狼の尻尾がフリフリと振られる。ライラは夢中になって何度も狼を撫でた。

「可愛い……」

 狼がぐるるると唸った。

「もちろん格好いいよ! もちろん!」

 ライラが慌てて言うと、狼は唸るのをやめた。それがまた可愛いとライラは思ったが口には出さない。

「ねえ、私ここで上手くやっていけるかなぁ」

 気付けば不安を口にしていた。狼の目がぱちりと開く。

「ごめん、心の声がもれた。ふわふわして癒されるからさぁ」

 いいから続きを喋れ、と狼の目に言われた気がするので、ライラは続ける。


「私ね、魔力が全然なくって……あ、それは分かるって? すごいねぇあなた。あとね、魔族としてもちょっと出来損ないなんだよね」

 狼の目は、ふーん、とでも言いたげだ。それがどうした、とも見える。

「はい、頑張ります。あともう一つ、友達ができればいいんだけど。できるかな?」

 狼は興味がないといった体で目を閉じた。ライラは苦笑しながら撫で続ける。そうするとある考えを思いついた。

「いいこと思いついた! あなたがなってくれない? 私の友達に」

 狼はバチリと目を開け、すっくと立った。座っていたライラが見下ろされる形になる。

「お、怒った?」

 狼はライラをじいっと見つめたあと、その顔をべろりと舐めた。

「いいの?」

 狼は面倒くさそうに自分の顎をライラの頭の上に載せた。尻尾はゆるやかに振られている。了承の意だとライラは受け取り、嬉しくなって狼の首元に抱き着いた。

『ウォオッ?』

「ありがとう~‼」


 ぎゅうぎゅうと抱き着くライラを、狼は仕方ないなといった風に見下ろした。

 しばらくされるがままを許していた狼だが、頭をぶるりと振り、ライラの拘束を解いた。フンッと鼻をならし、四本足を折り曲げて座る。

「たまに、ここで会ってくれる?」

 狼は縦に首を振った。ライラが破顔する。

「ありがとう! ああ……なんだか安心したら、急に眠気が」

実のところ魔王の衝撃波で疲れていたライラを睡魔が襲う。昼休みが終わるまでまだまだ時間があった。急にウトウトし始めたライラを見た狼は、座っている体を湾曲させ、全身で半円を描くように尻尾の先を顎の方へ置く。そして、誘うように地面をぱたぱたと叩いた。

「そこに寄りかかってもいいの?」

 狼は肯定も否定もせず尻尾をぱたぱたと振るので、ライラは甘えてみることにした。立ち上がって尻尾を跨ぎ、狼のすぐ傍に腰を下ろす。ふわふわの毛並みの横腹に身を預ける。ふわふわと暖かく、狼からはお日様のようないい匂いがした。

「気持ちよすぎて……ねむい……」

 木漏れ日が差し込む中で、ライラはゆっくりと瞼を閉じた。



 体を揺すられる感覚がする。なんてふわふわなんだろう――と思ったところでライラは目を覚ました。

「寝てた! 昼休み終わっ……ってなかった。セーフ」

 狼は、やっと起きたか、とでも言いたげな視線を送っている。ライラがもたれかかって寝てしまってからも、狼は律儀にその姿勢を保ち、寝心地の良いベッドとして提供してくれていたようだ。

「ありがとう。優しいね」

 狼は鼻をならした。尻尾はぺしぺしと地面を叩いている。

「そろそろ教室に行かないと……あああ……」

 狼は鼻面をライラの体に当てて、ぐいぐいと押した。早く行け、ということらしい。

「い、行きます、ちゃんと行きます。だから、また会ってね」

 狼はライラの顔をぺろりと舐めると、森の方へ踵を返し、一瞬のうちに視界から消えた。ザッと木々が揺れる音が聞こえたのでおそらく跳躍したのだろう。驚くほど速かった。


「行っちゃった。綺麗な狼だったなぁ。使役獣ではなさそうだったけど、この森に棲んでるのかな」

 ライラは鞄を拾って教室のある校舎へと向かった。自分がいる場所が敷地内でも外れた場所だと気付き、駆け足になる。若干息を切らして教室に着くと、既に殆どの生徒が教室にいた。新しく入ってきたライラに皆少し注目し、目をそらす。ライラはほっと息をつき、学籍番号で指定されている席に着いた。黒板から一番後ろ、窓から二番目の席だ。右隣りには既に男子生徒が座っていて、三人で集まって談笑している。左隣はまだ来ていない。

 教室を見渡すと、いくつかグループが出来上がっていた。入学前からの知り合いだという雰囲気も多い。少し心細くなる。


(どうしようかな……。いや、でも、全員が全員知り合いとかは無いと思うし)


 教室の後ろの扉から、強い気配を纏った者が入ってきた。彼はライラの左隣の机に鞄を置いた。その纏う気配に、教室内が静まり返る。強者ということを本能的に悟ったのだ。

 ライラもそのただ者でない気配に気づき、そっと左を見た。同じく、気配の主もライラを見る。

 背の高い、藍色の髪を持つ男だった。襟足はすっきりとしているが前髪が長めで、そこから覗く眼光が鋭い。綺麗な水色の瞳をしている――と束の間ライラは魅入った。すっと通った鼻筋、整った顔立ち、ライラの周りにいる淫魔族とは別の荒々しい色気を放っていた。美しいのに恐ろしい、そんな威圧感がある。淫魔の美しさは他の者を吸い寄せるとすると、彼の美しさは他を圧倒させるものだった。

 ライラとその彼が見つめあう。クラスメイトたちも二人の動向を窺っていた。


「は、はじめまして」

 ライラが恐る恐る口にすると、彼はふと我に返ったかのように目を瞬かせた。

「……はじめまして」

 そんなに怖い魔族じゃないかもしれない――ライラは少し安心して、自己紹介をした。

「私、ライラ・トゥーリエントといいます。これからよろしくお願――」

「トゥーリエント?」

 言葉途中で不機嫌な声に遮られる。ライラはびくりと肩を揺らした。水色の瞳をした彼は、不機嫌を隠そうともしない顔でライラをねめつける。


「トゥーリエント伯爵家か? 淫魔の」

「はい、そう、です」

 彼が大きく舌打ちをした。目元をゆがめ、ライラを睨みつけた。その威圧感にライラの肩が縮こまる。


「俺は、お前ら淫魔が嫌いだ」


 教室内がしんとした。

 純粋な嫌悪をぶつけられて、ライラは固まる。

「特にトゥーリエント家は」

 彼はそう言うと、ライラの方をもう一切見なかった。教室中の注目も霧散していく。ただ、実力者であろう彼からこのような宣言を受けたライラに、関わろうと思う者はいないだろう。

 ライラは青ざめた。彼の方を向いていても怒らせてしまいそうなので、机に突っ伏して頭を抱える。前途多難だ。


(アル兄、ファル兄、エリック、淫魔って嫌われてるの?)

 ライラは泣きたいような気持ちだった。

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