第10話 魔法売買の禁忌

「ボクにも原因が分からないなんて、それ以外考えられないからネ」


 メルは思考が追い付かない直人なおとたちに、行定ゆきさだが猫になった原因は魔法売買によるものだと考える根拠を告げた。なおも話を続ける。


「魔法売買が、この世界のことわりに触れるって話は前にしただろう?」


 たしかにそんな話をされた記憶がある直人は黙ってうなずく。


「行定が猫になった原因が魔法なら、ボクに分からないわけがないんだヨ。世界の理を破った結果、キミたち人間が受けるペナルティのことはボクにも分からない。つまりはそういうことなんじゃないカナ?」


 冬華とうかは「なるほどね」と呟いて、小山内おさないに向き合う。


「ねぇ、おじさん。もし、本当に禁止されてる魔法売買に手を出しちゃってたら、ユッキーは逮捕されちゃうの?」


 メルの言葉を比較的すんなり受け入れた冬華は、心配そうに尋ねた。

 小山内の話によれば、魔法庁は魔法売買を行なっている朝比奈あさひなを懲戒に処するつもりらしい。魔法売買に関与していたとするならば、行定ゆきさだにも同じくなんらかの罰があるものと考えられる。

 しかし、小山内は冬華の心配を即座に否定した。


「いいえ、私たちが処分する対象は、あくまでも魔法相続士です。ですから、魔法庁から東条とうじょうさんに対して、何らかの処分を下すということはありません」


 それを聞いて、冬華はほっと胸をなでおろす。当事者である行定は、記憶が欠落しているために実感が持てないのか、ひたすら目をパチクリさせていた。


「まぁ、当然の話だヨ。だって、行定は既に罰を受けているんだからネ。行定はを奪われているはずだヨ。その結果が猫の姿なんじゃないカナ? どういう理屈なのかは、全く分からないけどサ。その上、魔法庁からも処罰を受けたんじゃ、二重罰になるヨ。その反面、魔相士は禁忌に触れても何も失うことはない。だから、魔相士には魔法庁の処分が必要ってことだろう。ネ?」


「そのとおりです。そもそも私たちは、魔法と魔相士を管理する組織ですが、警察組織ではないのです。ですから、むやみやたらに一般人に制裁を加えることなどできません」


 冬華も行定もメルと小山内の話を聞いて、納得した様子だった。しかし、直人だけはいまだに腑に落ちていない。


「そもそも、本当に東条さんは魔法売買に関与したのかな? 売買というからには、何らかの魔法を買うか売るかしたってことだろ?」


「そういうことになるネ。何を売ったのかは検討がつかないとしても、何を買ったのかは検討がつくんじゃないかい?」


 冬華が「あっ」と声を上げる。


「冬華は気がついたようだネ」


「うん。巽くんの耳を治す魔法を買ったんじゃないかな?」


「さずがだネ!」


 メルは嬉しそうに宙返りをして反応した。


「ちょっと、待てよ。それはおかしくないか? みんなで会いに行ったとき、巽くんの耳は治ってなかったじゃないか。世界の理は、魔法売買が未遂でも触れてしまうものなのか?」


 冬華は巽の通う聾学校を訪れたときのことを思い返した。そして、そのときたしかに巽の耳は聞こえていなかったことを思い出す。


「本当だね。耳を治す魔法を買ったなら、すぐに巽くんの耳を治すよね。だって、一緒に第二の島このしまに来てたんだもん。ってことは、耳を治す魔法は買えなかったのかな? でもでも、それだと先生の言うとおり、未遂でも禁忌に触れて、この世界の理を破ることになっちゃうってことだよね?」


 冬華は、「どういうこと?」と首をかしげた。冬華の疑問にまたしてもメルが答える。


「未遂では、この世界の理を破ることにはならないヨ。行定が、巽の耳の治療のために第二の島このしまに来たのは、おそらく間違いない。他にここにくる理由もないだろうしネ。その過程でなのか、いきさつはさだかじゃないけれど、どこかで魔法売買のことを知ったんだろうネ。でも、行定は、お目当の魔法を手に入れられなかったんだヨ」


「それじゃあどうして、禁忌に触れることになったんだ? 未遂に終わったんだろう?」


「買う方は、ネ。おそらく行定は、耳を治す魔法の対価として、何らかの魔法を差し出しているんじゃないカナ。売買とは言うけど、なにも対価が金銭に限られているわけじゃないからネ。対価として用意していたものはしっかり取られたんだと思うヨ。つまり、渡す方は、しっかり目的を遂げているってこと。だから、この世界の理、禁忌に触れたのサ」


「なるほど。でも、売るって……どんな魔法を売ったんだろう」


 冬華は深くうなずいて、頭の中を整理するように一度大きく目玉を回す。


「東条さん。何か心当たりはありませんか?」


「別にキミ自身の魔法じゃなくてもいいんだヨ。所有者の個人情報と暗号情報クリプトグラフィがあれば、他人の魔法でも売ってしまうことは可能だからネ。まぁ、それにしたって、情報を手に入れられるくらい近い関係、例えば親とか子供くらい近しい人の魔法に限られてくるだろうけどネ」


 直人の質問を捕捉するようにメルが付け足す。

 腕を組んで考えていた行定は、何かを思いついたように顔をあげた。


「義理の娘の魔法。ひょっとして、わしは、あれを売ったのか……。わしは……わしは……」


「義理の娘が魔法を所有していたのかい? 詳しく聞かせておくれヨ」


 メルは狼狽える行定にもお構いなしに質問をする。


「……え、えぇ。わしのせがれが巽の父親なのですが、倅は巽が産まれてすぐに病気で死んでしまいました。それに、母親も……」


 行定はそこで言葉を詰まらせた。


「あの、話しにくいことでしたら無理にとは言いませんよ」


 直人はつらそうな行定を思いやる。しかし、行定は即座に首を振った。


「いえ、お話しすべきです。わしの家系は、平凡な家系で、誰も魔法など持ち合わせてはおりませんでした。この世に魔法というものが存在すること自体、倅が嫁のみどりを連れてくるまで実感がなかったくらいです」


 行定はそこで一度言葉を切った。話すべきことを整理するように視線を落とすと小さくうなずいて先を続ける。


「巽の母親は魔法所有者でした。先代より、強力な魔法を受け継いでいるとのことでした。その魔法というのが……そのなんと言いますか、やっかいで……。その魔法が原因で巽の母親は死んでしまった、とわしは思っております」


「魔法のせいで? その魔法というのは……?」


「わしも詳しいことは分からんのですが、他人の思考を読み取ることができる魔法だと言っていました」


「それはすごいネ!! きっとレベル4以上……無制限に限界なく思考を読み取れるなら、レベル5でもおかしくない」


 巽の母親が所有していた魔法は、いわゆる思考盗聴魔法だ。

 メルの言うとおり、無制限に誰彼構わず思考を読み取れるとすれば、強力な魔法に違いない。欲しがる人間は少なからず存在するだろう。売り物としては、この上なく上等なものだ。


「強力なのは強力なのだと思います。ですが、それほどいいものだとは思えませんでした。人様の考えなど分からないほうがいいこともたくさんあるとわしは思いますよ」


 メルは、行定の言葉の意味が理解できずに首を捻った。いちいち口にしなくても相手の考えていることが分かる。表面上の好意の裏に潜む悪意を瞬時に察知できる。これほど便利なものはない、と考えていた。


「巽の母親は、人の悪意にさらされて、常に人を疑って、倅以外の誰かと親しい関係を築くことができないような人でした。間違いなく魔法のせいでしょう。倅が死んでからというもの、巽の母親は「自分に何かあったときは巽を頼む」と事あるごとに言ってきました。その度に縁起でもないことはやめてくれと言っていたのですが……。ある日、巽の母親は、自分の魔法の情報とやらを託してくれました」


「ユッキーはお母さんに信用されてたんだね。きっと、お母さんはユッキーの心を読んで安心したからそれを託したんだよ」


「そうだといいのですが……。巽の母親はそれをわしに託した数日後、自殺しました」


 その場の全員が言葉を失った。


 魔法のレベルの高低と実益は必ずしも一致しない。あまりにも強力すぎる魔法は、所有者の身を滅ぼすこともありうる。

 巽の母親は、自らの魔法が原因でその精神を壊してしまった。メルには理解できないことかもしれないが、人間の精神はそれほど頑丈にはできていない。


「巽の母親の魔法を巽に受け継がせることなど、わしにはできませんでした。巽の母親は、その魔法のせいで自殺してしまった……とわしは考えています。そんなものを巽に渡すことなどできません」


「どっちみちボクらのところに来なければ、レベル4以上じゃ、手続きはできなかっただろうけどネ」


 深刻に語る行定の言葉にメルは軽い反応を示す。意味が分からず、行定は首を傾げたが、メルはめんどくさそうに「先を続けて」と促した。


「ですから、皆さんがおっしゃるようにわしがもし魔法を売ったとするのなら、それは巽の母親の魔法以外にありえません」


 行定は確信を持ってそう告げた。

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