第38話 滑走路

 しばらく園内の散策を続けた後、俺たちは座って休憩を取ることにした。


 見晴らしの良い場所を探し、集合した公園の放送塔付近のパーゴラの下のベンチに座る。


 正面には、空に向かって真っ直ぐ一直線に伸びていくような地面が続いていた。


「綺麗な夕陽だね」


 笹本は輝く景色を眺めながらそっと呟いた。空色は赤く染まり、夕焼けの公園には放課後の教室のような哀愁が漂っていた。


 ふと、彼女の赤い髪が目に止まった。夕陽よりも赤く真紅に染め上がったその髪は、地味めな彼女の外見を一気に派手なものにしていた。


「似合ってないでしょ、これ」


 笹本は髪を手で撫でながら訊いてきた。見ていることに気づかれてしまったようだ。


「いや、そんなこともないが……」


 答えに迷って言い淀む。実際、似合ってないこともない。見慣れてしまえばこれはこれで充分ありだと思えるし、髪の手入れも行き届いているようだから、それほど否定的な要素はないのだ。むしろ、こういうのを好む人も大勢いるだろう。


「ううん、わたしには似合わないってわかってるんだ」


 しかし、笹本自身はきっぱりと断言した。返す台詞もなく黙っていると、彼女は髪を触るのをやめて悲しげな微笑みを空に向けた。


「わたしさ、さっきも言ったけど少し前までは結構落ち込んでたんだよ。何をやってもうまくいかなくて。絵とかももう嫌いになるレベルだった。周りと比べたら全然才能ないんだって気づいちゃったから」


 慰めの声も出ないくらい、言葉が直接心に突き刺さってきた。


「だけど、ちょっとでも違うんだって思いたくて、考えついたのがこれなの。安易な発想だなって自分でも思う。髪の色を変えたって、何かがすごくなるわけじゃないのに」


 笹本は自らの前髪を摘んで色を確かめるように見た。


「成人式に行ったときも、久しぶりに会った子たちから『どうしたの?』って訊かれてうまく答えられなかった。自分でもどうしたんだろう、って。いつの間にか髪だけじゃなくて、考え方も変な方向に染まってたみたい」


 彼女は赤い髪をぱっと手放し、ついと顔をこちらに向けた。


「でも、石狩くんたちと再会してわたしは変われた。昔のことを振り返っているうちに、大切なことを思い出したんだよ」


 それはなんだ、と問う前に真っ直ぐな目で答えが告げられた。


「わたしは絵を描くのが好きなんだってこと」


 笑った笹本の表情は夕陽に照らされてひたすら眩しく映った。


「中学生のときに描いた絵、久しぶりに見返してみたの。そうしたらすごい絵が生き生きとしてて、未翔や美術部の子たちと楽しんで描いていた思い出がぶわって蘇ってきた。これだよこれ、って。目先のやらなくちゃいけないことにとらわれすぎて、ずっと好きだって感覚を失ってた。それを大切にしようって思うようになってから、ちょっとだけ前向きに頑張れるようになれたの。だから、最近は忙しいけど楽しい」


 まるで夕陽に向けて告白するように、笹本は目の前に広がる空を輝かしい表情で見つめていた。


 もはや、俺とは何もかもが違う。


「それからもう一つ、石狩くんに訊いておきたいことがあるんだ」


 そう言って、また彼女は俺のほうを振り返った。


「なんだよ?」


 傷心を隠すために無理やり微笑むと、笹本も薄っすらと笑みを浮かべた。


「林間学校の夜にさ、キャンプファイヤーの炎の周りで未翔たちが踊ってるのを二人で見てたでしょ?」


 いきなりのタイムスリップだったが、すぐに場面ごと思い出すことができた。


「全体でのダンスが終わった後か?」


「うん。あのとき花火が上がっちゃって、最後まで言えなかったんだけど……」


 炎の前でダンスをする会澤と未翔。


 遠くでそれを眺めていた俺と笹本。


 隣で膝を抱えて座る笹本の横顔。


 見えない眼鏡の奥の瞳。


 光景が次々と蘇り、超新星爆発のような花火が打ち上がる瞬間の彼女と重なった。




「『石狩くんはさ、未翔のことが好きなんだよね?』」




 息が止まり、言葉を失った。あのとき聞けなかった分の声まで聞こえてきた気がした。


 俺が呆然としていると、笹本の表情が優しい微笑みに変わった。


「別に、今は答えを求めてるわけじゃないんだ。あの日の自分が訊いておきたかったことを訊いておきたかっただけ」


 このことはもうこれで終わりというように、笹本はふうっと大きく息を吐いた。


「わたし今でも思うんだけど、未翔ってやっぱり不思議な子だった。あれからいろんな人と会ってきたけど、未翔のような魅力を持った人って全然いないんだよ。だから、未翔はどこでもやっていけるって、思ってたんだけど……」


 夕陽を眺めていた笹本の瞳がいつの間にか潤んでいた。


「もっと連絡、取っておけばよかった。そんなことで、何も解決なんて、しなかったかもしれないけど、転校してから、あまりやり取りしなくなって、それで、いなくなるなんて思ってなかったから」


 途切れ途切れの言葉が、震える声が、未翔への真摯な想いを紡いでいる。


 笹本もこうして翔んでいく。


 過去の出来事とちゃんと向き合って、今いるこの場所から目の前に広がっている空へと助走をつけて羽ばたいていくのだ。


 あの夜、未翔は言った。俺のことが羨ましい、と。


 俺の名前は『翔』だから『翔ぶ』ことができて、自分の名前は『未翔』だから『未』だに『翔』べない、と。


 でも、それは間違いだった。


 ごめんな、未翔。


 未だに翔べないのは、俺のほうだ。

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