第31話 帰り道の思い出

 中学生のときに何百回と歩いた帰り道。通い慣れたいつもの道。


 その繰り返した帰り道の途中で、俺たちはかけがえのない物語を生み出していた。


 けれども、大人になってから思い出せることは少ない。誰かと笑い合って帰ったことも、一人で泣いて帰ったことも、いつの間にか忘れてしまう。


 だからなのだろう。どこかで帰り道を歩く子供たちを見たときは「どうかその瞬間を忘れないで」と願わずにはいられない。


 だけど、それはきっと叶わない。


 自分がこうしてあの頃と同じ道を歩いてみてもほとんどの場面を思い出せないように、いつかすれ違ったあの子たちも大切な帰り道を忘れていくのだ。




 さて、ここからは俺の話だ。思い出せないなりに思い出した、中学生だったときの話。


 俺は中学生のとき、部活に入っていなかった。特に入部したい部もなくて、中一の最初から帰宅部だった。


 だけど、そういったパターンは珍しくて、俺たちの中学の生徒は九割方何かしらの部に所属していた。途中で幽霊部員になる者はいたが、それらを含めても部活動をやっていないのは少数派だった。


 そういったこともあって、部活が一斉に休みになるテスト期間などを除けば、俺にとっての帰り道というのは基本的に一人で過ごす時間になっていた。


 そんな俺の帰り道に少しだけ変化が起きたのは、新島未翔が俺たちの学校に転校してきたときからだった。


 転校初日。始まりのその瞬間から未翔は大人気だった。


 常に周りには人だかりができていて、最初は同じクラスの人だけでなく、他のクラスや、先輩、後輩までもが見に来る状態だった。それでも未翔は嫌な顔ひとつせず、みんなに明るい笑顔で対応していた。


 俺はそんな様子をずっと遠巻きに眺めていた。


 自分には関係ないと思ったからだ。大変そうだな、という他人事感満載の同情とともに、自分とは別次元にいる彼女のことを離れたところから見ていた。


 だから、最初に帰り道で話しかけられたときには驚いた。


 横断歩道で信号待ちをしていたら、突然俺の横に現れて未翔は俺の名前を呼んだのだ。


 俺のことを認識していた。それにまず驚き、さらに初めて話したのにそのまま会話は続いて、結局お互いの家の方角が分かれる場所まで二人で一緒に帰った。


 楽しかった。でもこんな偶然、もう二度と起こらないだろうと思った。最初で最後、たった一度きりの出来事だと決め込んでいた。


 けれども次の週、再び帰り道の途中で未翔と会った。初めてのときと同様に未翔が俺のことを見つけて話しかけてきてくれたのだ。三度目も、それからほどなくして訪れた。


 偶然は重ならない。こうして何度も遭遇するのには理由があった。


 俺たちは同じクラスで、しかも同じ帰宅部だったのである。


 そのことに気がついたのは何度か一緒に帰ってからだったが、部活に入らなかった未翔と俺の下校するタイミングはどうしたって近くなる。同じような時間に学校を出る二人が帰り道の途中で出くわすのはそれほど珍しいことではなかった。


 とはいえ、一緒に帰る機会はそんなに頻繁には訪れない。何日も間が空くのは普通で、何週間も会わないことだってあった。だからこそ、その一回一回が貴重だった。


 俺たちが帰り道で話す内容はその日によって違った。決まった話題というのは特になく、だいたい話すのが上手な未翔がクラスで起こったことなどを楽しげに語っていた。他愛もない話だったが、俺は未翔の話を聞くその時間が好きだった。


 そんな日々を過ごすうち、いつしか俺は帰る途中で未翔の姿を探すようになった。今日はどこかで会えるだろうか、と期待で胸を膨らませた。帰り道での大きな楽しみを未翔は与えてくれた。


 でも、一緒に帰ろうと約束したことは一度たりともなかった。


 未翔が誘ってくることはなかったし、俺のほうも勇気がなくて誘えなかった。


 それをきっかけに関係がこじれて、一緒に帰れなくなるのが怖かったのかもしれない。


 ただ一度だけ、俺は未翔のことを校門の前で待っていたことがある。


 中学二年の修了式の日――未翔の最後の登校日だ。




 その日、俺たちのクラスでは帰りの会の時間を使って、最後のイベント『未翔のサプライズ送別会』が開かれていた。


 まず初めに感謝と激励の言葉を何人かの生徒が代表して読み上げ、それからみんなで少しずつお金を出して買った花束とプレゼントを未翔に手渡し、最後に全員で集合写真を撮った。


 送別会は無事終了した。だが、帰る時間になっても未翔の周りには別れを惜しむ人たちが溢れかえっていた。もうこれで本当に最後だから、「ありがとう」とか「元気でね」とか、そんな言葉がたくさん教室内に飛び交っていた。


 でも、俺はその輪の中に入ることができなかった。近づいていったところで、まともに何か話しかけられる気がしなかったからだ。


 会澤を含む、クラスで仲良くしていた男子数名に別れの挨拶を済ませ、俺は鞄を持って一人教室を出た。部活に向かう人も同様に教室を後にし始めていたが、帰宅部の俺は家に帰るだけだった。


 二年一組の教室を出て、昇降口で靴を履き、校舎の外へ歩き出した。


 時間帯は今と同じく、昼前だった。空を見上げたら太陽が眩しくて目をこすった。普段より長く両目に手をやった。


 心の中はどうしたらいいのかわからないという想いで溢れていた。


 どんな答えを求めているのか。そもそも何が問題なのか。問も解も定まらないから、取るべき行動が何一つ決まらなかった。


 だが、桜の木がある校門をくぐったところで、そんな俺の足は勝手に止まった。


 後ろから来た名前も知らない生徒たちに抜かされる間も、俺の体はずっとその場で立ち尽くしていた。


 しばらくそうしているうちに、ようやく俺は未翔を待っているのだと気づいた。だから、待つことにした。


 けれど、未翔は十分経っても二十分経っても、姿を現さなかった。


 きっとみんなに囲まれて教室を出ることができないのだろう。あとどのくらいかかるのだろうか。だけど、時間は関係ない。何分だって待とう。でも、もし未翔が一人じゃなかったら。そのときは挨拶だけして、他の誰かを待っているふりしてやり過ごそう。見えなくなるまで距離を置いてから一人で帰ろう。


 待っている間、そんなことばかりに頭が回り続けた。


 校舎のほうから未翔が歩いてくるのが見えたのは、待ち始めてから三十分くらいが経った頃だった。彼女は両手に花束とプレゼントを持って、辺りの風景を見回すようにしながらこちらに向かっていた。


 一人だった。


 俺は校門の外側の陰に隠れ、未翔が出てくるのを待った。


 門を通り抜けたところで、未翔は立っている俺に気づいた。


「……翔、くん」


 驚いていた、のだと思う。ぎこちなく返事をする俺のことを彼女は目を丸くして見ていた。


 お互いに動けず、しばらくその場で立ち尽くした。


 本来ならば、俺のほうからすぐに「一緒に帰ろう」と誘いをかけるべきだった。


 ずっと待って準備をしていたのだから、待っていたのは俺のほうなのだから、俺がその台詞を言ってしかるべきだった。


 でも、先に「帰ろうか」と呟いたのは未翔だった。俺はそれに黙って頷くことしかできなかった。


 最後の帰り道を二人で歩き始めてからも、相変わらず俺はまともに喋れなかった。


 何も言えずに教室を飛び出したくらいだから、場所を移したところで何かが言えるはずもなかったのかもしれない。


 未翔は黙ったまま、それでも離れず一緒に歩いてくれた。時折、話しかけてもくれた。転校するのは未翔のほうなのに、最後の最後まで気を遣わせてしまった。


 話したいことはたくさんあるはずだった。伝えたいことだらけなはずだった。だけど、それらはまったく言葉になってくれなかった。


 俺はこの帰り道のことを今でも後悔している。何か言えただろうと本気で自分を責めたい気持ちになる。


 だが、俺が最も悔いているのは、言ってしまった言葉のほうだ。


 言ってしまった言葉は取り替えられないから。


 その場面は、俺と未翔が一緒にいた最後の瞬間。


 いつも俺たちが別れる場所。でも、そのときはいつもとは違う。今日で最後。もう会えないかもしれない。


 論理的に考えて、筋道を立てて、ふさわしい言葉を弾き出そうとした。


 けれど、考えれば考えるほど様々な感情が複雑に入り混じって、自分でもわけがわからなくなった。


 確かなのは今しか言えないということ。


 混沌の末に、俺は『最後の言葉』を未翔に告げた。


 ……なんであの言葉を選んでしまったのだろうか。




 あれから、六年。


 大人になった俺は再び足を止めた。


 ここが、俺と未翔が最後に立っていた場所。


 あの日の『約束』はもう果たされないかもしれない。


 それでも、今は未来人の謎を追い続ける。


 たとえ、俺だけになったとしても。

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