第4章 経過報告

第27話 ダーツ

「すげぇな石狩、本当に初めてなのかよ」


 高らかに褒める会澤の横で、俺は手に残っていた最後のダーツを投げた。指先から離れた三本目のダーツはフラフラと飛びながらボードの『14』のところに当たった。たまたまダブルのエリアに入ったので28点だ。あとの二本は『12』と『16』のシングルで、三本の合計点は56点だった。


「やばっ、このラウンドも50点超えか。これはマジで負けちゃうかもなぁ」


 焦ったように頭を掻く会澤だったが、声音にはまだ余裕があった。


 一方で、本当に焦燥して視線をキョロキョロさせたのは笹本だった。


「会澤くんも石狩くんもレベルが高いし、わたしやっぱり見てるだけにすればよかった」


 笹本は自信なく肩を落とした。次は彼女のターンだった。


「笹本さん、頑張って。とにかく的を狙って楽しく投げりゃいいのよ」


 会澤に緊張をほぐされ、覚悟を決めた様子の笹本は頷きとともにダーツ盤に対峙した。裸眼で赤髪の彼女の立ち姿はこの場の雰囲気には合っていた。慎重に三本投じて、少ない点数ではあったがしっかりと全部得点ゾーンに刺さった。


「おっ、いいね!」


 会澤は景気良く拍手し、ほっとした表情の笹本と交代でボードの前に向かった。


 俺たちは会澤の誘いで地元にあるダーツバーに来ていた。初心者である俺と笹本は入ったことがなかったが、会澤はしばしば訪れているらしく、入店するときも慣れた様子で店員と会話していた。


 前回、ファミレスで会ってからまた少し時間が経った。テスト期間のため京都へと戻った氷川は今日は不参加で、俺たちは三人で予定を合わせて集まった。


 目的は未翔の件の経過報告、なのかもしれないが、誘ってきた会澤のメッセージには「遊びたい」の言葉しかなかった。


「うわっ、点数伸びねぇ。なんか恥ずかしいわ」


 やっちまったというような声が響く。会澤の放ったダーツは三本とも高得点となる中心の『ブル』と呼ばれる場所の近くに刺さっていたが、すべて微妙に外れていた。


 俺たちが今やっているゲームは『ゼロワン』というらしい。大まかなルールとしては、最初に持ち点を決め、刺さったダーツの得点を持ち点から引いていって、最終的に先に0にしたほうが勝ちというものだ。最後はオーバーせずにぴったり0にしないとバーストとなり、バーストする前の数字でやり直しになる。


 つまり、最初はどんどん得点して早く持ち点を0に近づけていき、最後はちょうど0になるようにうまく狙えということだ。ちなみに、持ち点は初心者でも勝負ができるという『301』に設定した。


「次、石狩の番だよ」


 会澤に促され、俺は軽く返事をした。飲み物を一口飲んでから、ダーツを左手に三本持ち、右手に一本ずつ持ち替えて投げていく。今回は『9』『11』『7』のいずれもシングルで、合計すると27点だった。


「石狩くん、毎回着実に点取ってるよね。コツとかあるの?」


「確かに。初心者なのに悪くても20点以上は稼いでるもんな」


 尊敬と感心の眼差しを向けられて、抵抗がありながらも俺は持論を展開した。


「いや、コツっていうか、真ん中狙ってもどうせ当たらないから、平均して得点の高いボードの左半分を狙うようにしたんだよ」


「あっ、今の三本も、さっきのも全部左側か」


 当たったダーツを回収する俺の後ろで、会澤が気づいて驚きの声を上げる。


「そう。でも、解せないんだよな、このダーツ盤の数字の並び。なんか法則があるのか?」


「へっ? あー、あれじゃん? 『20』とか大きい数字の隣には小さい数字があるとか?」


「まあ、それはそうなんだが」


 改めてボードを眺める。『20』の両隣は『5』と『1』、『19』の両隣は『7』と『3』であり、確かに小さい数が配置されてはいる。


 だけど、その数字でなければならない必然性はどうしても感じられない。何か見落としがあるのだろうか。


「そもそも、左半分と右半分で数字の合計に乖離があるのがおかしいんだよ。まず1から20の数字をそれぞれ足していくと210なわけだから……」


「ちょ、ちょっと待ってよ。なんでそんなはやく210とかわかるわけ?」


「それはまあ、考え方があるんだ。ガウスだったら小三くらいで1から100まで簡単に全部足せる。そういう逸話が残ってるしな」


「……ガウスって誰?」


 いかにも思考停止状態というように、会澤はぽかんと口を開けていた。


「数学者だ。天才だよ」


「頭良いの?」


「そうだな」


「石狩より?」


 ふざけてる様子はなく、会澤は本気で訊いているようだった。無知であることほど恐ろしいことはないな、と呆れつつも俺は真面目に答えた。


「ガウスと比べたら俺なんか千分の一の能力もない。だいたい、比べるだけでもおこがましい。殴られるぞ」


「ガウスに?」


「……いや、ガウス本人が直接殴ってくることはないな。没後百年以上経ってるし」


 俺が呟くように突っ込みを入れると、横で話を聞いていた笹本が口に手を当ててふふっと笑った。


「わたし数学とか全然できなかったし、ガウスって人もかろうじて名前を聞いたことあるってくらいだったけど、石狩くんがそういう話をすると面白いね。やっぱり好きなものを熱く語ってるのを見ると自然にそう感じるのかも」


 晴れやかな笑顔で一人納得しながら、嬉しそうにダーツへと向かう。


 だがその陰で、誰の視界にも入らないところで、途端に俺は我に返っていた。


 この期に及んで、いったい俺は何をしているんだ?


 苛立ちを募らせつつ、それをできるだけ表に出さないように話を切り替えた。


「そんなことより、今日は結局ダーツで遊んで終わりなのか? 未翔の件について話し合ったりはしないのかよ?」


 今日の集まりの主催者であり、未来人説の提案者でもある会澤に問いかける。すると、彼は「あー」と間延びした声を上げてから拗ねた顔になった。


「なんかさ、考えてはみたんだけどやっぱ俺には難しいわ。どういうふうに推理していけばいいのか全然わからん」


 話題にしなかったのは進捗がなかったからなのだろうか。ダーツを投げ終えて戻ってきた笹本も同情するように彼に続いた。


「わたしも正直言ってどう考えたらいいのかわからなくて。いろいろと思い出しはするんだけど、うまくまとまらないというか」


 どうやら二人とも論理の組み立てに苦戦しているようだ。単なる個人的な推測や想像だけでは駄目で、他の人が聞いて同意できるような証明や筋書きが必要なので、その部分での考え方に戸惑っているのだろう。


「石狩はどうなんよ?」


 会澤に尋ねられ、俺は現状を隠さずに報告することにした。


「第二の謎と第三の謎に関しては一応見通しがついてきた。推理として披露するにはもう少し時間がかかると思うが」


 俺の発言を聞いた二人は同時に目を丸くした。


「マジかよ? なんかわかっちゃったわけ?」


「第二の謎と第三の謎ってことは、氷川さんとわたしのだよね? すごい! わたしなんて自分が経験したことなのにまったく見当ついてないよ」


 興奮気味に食いついてきた二人に対し、俺は待つようにと手で制した。


「まあ、落ち着けって。披露はまだできないって言っただろ?」


 実際のところ、現段階ではまだ推理の目算が立っているだけにすぎない。


 以前、俺は「新島未翔が未来人である」という仮説に対して、その根拠となった三人のエピソードにそれぞれ議題をつけた。


 それが以下の三つだ。




 第一の謎 新島未翔はなぜ組体操での怪我を予知できたのか?


 第二の謎 新島未翔はなぜ生徒手帳の在り処がわかったのか?


 第三の謎 新島未翔はなぜ未来の絵を描くことができたのか?




 これらは前回の集まりの中で出た話を俺がまとめ、みんなにデータとして送ったことによって共通認識となっている。だから、第二の謎とか第三の謎とか言えば、皆がどのことについて話しているのかがわかる。




 氷川が落としてずっと探していた生徒手帳を未翔がいとも簡単に見つけた、第二の謎。


 サプライズで行った送別会の集合写真の光景を未翔が先に絵に描いていた、第三の謎。




 この二つの謎については、中学生のときの未翔の性格などを前提に考えた結果、ある可能性に行き着いた。


 もちろん、それが真実であったかどうかを完全に知ることはできない。


 だが、大事なのはそれが正しいかどうかじゃない。それに納得できるかどうかだ。




 組体操で怪我をする直前の会澤に「怪我に気をつけて」と未翔が予言した、第一の謎。




 この謎についても、実はまったくアイデアが浮かばないわけではない。もしかしたらこうだったのではないか、という候補は存在する。


 だが、他の二つと違って何か大きな出来事が抜け落ちている気がするのだ。きっかけとなる部分が弱いから、頑張って推理しても無理矢理感が出てしまう。


 そうなると、実際に体験した会澤に何がなんでもいろんなことを思い出してもらうしかない。


「一つ会澤に訊きたいんだが、未翔とのやり取りで何か思い出せることはないか? どんなことでも構わない。予言した日のことだけじゃなくて、その前でも、その後でもいい」


 俺が真剣に尋ねると、会澤は何かを思い出したのかぽんと手を叩いた。


「そうだ。前に石狩たちと会ってからいろいろ振り返ってみて、言い忘れてたことがあるって気づいたんだった」


 今度こそ忘れないようにと、会澤は俺たちの目を見て慎重に語り始めた。


「予言した日のことじゃなくてもいいって言われて思い出したけど、怪我をして入院した後、新島さんが病院にお見舞いに来てくれたんだよ」


「入院中ってことは、予言してから数日後ってことか?」


「そうそう。クラスのみんなとかバスケ部の人とか、結構たくさんお見舞いに来てもらったんだ。石狩も、笹本さんも、何人か友達連れて来てくれたよね。そういえばさ、氷川さんも来たんだよ、上田先生と一緒に」


 俺と笹本は顔を見合わせた。お互い別々に、俺は同じクラスの男子と、そしておそらく笹本は仲良くしてた女子たちと一緒に行ったのだろう。氷川も行っていたというのは多少驚きではあったが、意外とそういうところは義理堅いタイプなのかもしれない。


「でさ、新島さんなんだけど……」


 会澤の声のトーンが深刻なものに変わる。


「一人で来たんだよ、彼女」


 予想外の情報が飛び出し、俺も笹本もはっと息を呑んだ。


「みんな誰かと一緒にまとまって来てたからさ、新島さんが一人で来たときは結構びっくりした。俺、思わず『一人?』って訊いちゃったよ」


 会澤のお見舞いに行くとき、病院の場所とか面会の仕方とかに自信がなかった俺はクラスの男子を積極的に誘った。


 行こうという気持ちはあっても、中学生くらいだとまだみんなその手の不安はあったりするものだ。だから人集めに苦労することなく自然とメンバーが集まった。


 それに、大人数で行って賑やかに済ませてしまうのが一番良いと考えたのもあっただろう。


 そう考えたのは俺たちだけじゃなくて、笹本たちのグループも、他の生徒たちも同様だったに違いない。


 だから、一人で病院を訪れる者などいなかったのだ。未翔を除いては。


「未翔とはどんな会話をしたんだ?」


 俺が尋ねると、会澤は急にしゅんとした表情になった。


「それが、話した内容はあんまり思い出せないんだ。一人で来たっていうのはインパクトがあったから覚えてるけど。多分、俺は何喋ったらいいかわからなくて、ひたすら話を合わせてたんだと思う。向こうもそんな感じだったかな」


「そうか。まあ、そんなもんだよな」


「でも、言われたことの中で一つだけ明確に覚えてるのがある」


 同調した俺に対して、会澤は強い意志を持って否定すると、再現するように未翔が言ったという台詞をなぞった。


「ごめん、わたしのせいだ」


 思わず言葉を失った。会澤は曖昧な笑みを浮かべる。


「つまりさ、新島さんは未来から来て俺が怪我をするのを防ごうとしたのに、それができなかったから謝った……なんてことはないかな? どうよ、この推理は?」


 俺は即座に否定しなかった。というより、できなかった。


 常識的に考えて、会澤のこの発想には飛躍がありすぎる。未翔が未来人であるということを前提にして作られた暴論だ。根拠がないものに根拠がないものを重ねただけの空想論だ。


 けれども、想像できてしまった。


 怪我をした会澤の前で謝ったという未翔の姿が、未来から来たと言いたくなるような底の知れない複雑さを纏った未翔の残像が、自分はその場にいなかったのにもかかわらずこびりついて離れなくなった。


「まあ、いいんじゃないか。合ってるかどうかはわからんけど」


「えっ? あ、サンキュー」


 肯定されるとは思っていなかったのか、会澤のぎこちない謝辞が返ってきた。俺はそれに構わず続きを述べた。


「とにかく、今得た情報も何かに活かしていこう。俺たちが経験したことや覚えていることはそれぞれバラバラだけど、それらをうまく組み合わせることによって、当時は気がつかなかった未翔の隠された真実に少しは近づけるかもしれない」


 新島未翔の行動には未だに謎に包まれた部分が数多く残されている。


 まだまだ先は長い。これからしばらくは真相の究明に時間を費やすことになりそうだ。


「納得のいく推理が完成したら報告する」


 だから待っていてくれ、と俺は心の中で願いを込めるように唱えた。


 いったい誰に対しての言葉なのだろう。わからない。


 でも、いつか来る『そのとき』まで、俺は……。

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