第7話 未来人の謎 その三

「未翔が未来人なんじゃないかとわたしが考える理由は、最後にクラスのみんなでサプライズでやった未翔の送別会での出来事があるからなんだけど、みんなは未翔の送別会があったの覚えてる?」


 笹本が確認するように俺たちを見回す。


「あったあった。中二の終わりの修了式の日だったよね」


 即座に会澤が懐かしむような声を上げ、俺も頭の中で思い出す。


 イベント名『未翔のサプライズ送別会』は、クラスのみんなで秘密裏に企画した、文字通りお別れすることになる未翔をサプライズで祝い、これまでの感謝とこれからの激励の言葉を告げるために開かれた会である。


 中学二年の春に来て一年間しか一緒にいなかったが、誰にでも分け隔てなく接していた未翔との思い出はそれぞれが持っていた。だから、当日はクラス全体が感動に包まれていた。最高の送別会だったと思う。


 今までで一番の、そして多分これから先を含めても。


「その送別会の二週間くらい前だったかな、未翔がスケッチブックに描いてた絵を見て……」


「スケッチブック? 笹本さんの?」


「ううん。あっ、そっか。未翔のスケッチブック見たことないんだ?」


 笹本の視線が首を傾げる会澤からこちらに移ってきたので、俺は知らないと頭を振った。笹本は氷川にも同様に視線を送ったが、氷川も見たことがないというリアクションを取った。


「学校には持ってきてなかったもんね」


 自分だけが知っている未翔の姿。それが嬉しいのかどこか優越そうに、けれどもそのことを自慢するふうでもなく、ただ純粋に未翔とのやり取りを懐かしむように語り出す。


「未翔って絵が上手だったんだよ。中二の春に転校してきてすぐ、未翔がわたしのいる美術部を見学しに来たことがあったの。そこで彼女がささっと描いたりんごのデッサンを見て、思わず『前の学校で美術部だった?』って訊いちゃった。陰影の付け方もうまかったし、経験者なのかなって。そうしたら『独学だよ』って。本格的に勉強すれば、未翔はわたしなんかよりもすごい才能があったと思うな」


 笹本はそっと笑い、ほんの少しだけ俯く。


「そういえば、新島は部活に入ってなかったっけ」


 氷川が思い出したように声を上げた。


 その通り。氷川が言うように未翔は帰宅部だった。けれど、社交的だった未翔ならどの部活でも入ることができたはずなのだ。爽やかなスポーツ系の部活はもちろん、文化系の部にいても合いそうな気がする。どこに入部してもうまくやれただろう。


 ならばなぜ入らなかったのか、という疑問については、笹本がちゃんと答えてくれた。


「それは未翔がみんなを気遣うタイプだったからだよ」


 俺と似たような見解だった。笹本はどこかやりきれないといった表情で続けた。


「ああ見えて、未翔は気遣い屋さんだからね。きっとあとから入ってその部の空気を乱したくなかったんだよ。美術部に入らなかったのもそのせいなんだって思ってる。未翔は最後まで理由を語らなかったけど」


 クラスであれ部活であれ、集団というものが出来上がるとそこに空気感と呼べるものが自然と形成される。


 形がないのに形があって、曖昧模糊として摑みようもないのに、意識を向ければ必ず感じ取れる何か。さりげない台詞や表情、自覚的もしくは無自覚的。定義も条件も定まっていないのに存在感だけはやたら大きくて、それにもかかわらず誰一人としてその全容を説明できるものはいない。ゆえに恐ろしい。


 加えて、未翔が部活に入らなかったのには、彼女がそれなりに目立つ人間だったこともあるだろう。


 当時、新島未翔は俺たちの中学でアイドル的な人気を誇っていた。


 転校生という特異性、可愛らしい顔立ち、人懐っこい性格。それらの要因がすべてプラスに働き、未翔の存在は瞬く間に学校中に知れ渡った。


 生徒の中には、転校してきたその週に告白した者もいたらしい。学校の体育館裏の有名な告白スポットに未翔を呼び出し、どんな台詞かは知らないが彼女に思いを告げたのだ。


 そんな未翔フィーバーはしばらく続いた。その間、どのくらいの人に告白されたのかは定かではないが、とにかく最初の一、二か月は至るところで彼女の噂話がなされた。


 だから、どこか特定の部活を選ぶなんてことは難しかったに違いない。


 その考えを裏付けるように、会澤の証言が追加された。


「実は俺が所属してたバスケ部でも、新島さんをマネージャーにしようって計画があったんだよね。先輩に言われてさ、同じクラスだからって俺が声をかけることになって。それで新島さんに話を持ちかけてみたんだけど、『ごめんね』ってうまいことはぐらかされちゃった。あの調子だと、いろんな部活から誘いを受けてたんだろうね。迷惑な素振り一つ見せなかったけど、悪いことしちゃったかなと今でも思ってるんだ」


 力のない会澤の悲しい笑い声が響いた。


 もしこの場に彼女がいたら、それは本当に笑い話のようになったのかもしれない。あのときはさ、とはにかみながら、ちょっとの後悔や懐かしさと一緒に甘酸っぱい思い出の一つとして語られる。そんな未来もあっただろう。


 でも、それは想像の未来だ。


 俺は一つ息を吐いて、笹本に話しかける。


「それで、スケッチブックがどうかしたのか?」


「あっ、そうだったね」


 しんみりとした雰囲気に飲まれていた笹本は我に返り、どこまで話したかを思い出すように口を半開きにして宙を見つめた。やがて、途切れた点を発見したようで、黙った俺たちを見回して「それでね」と続きを語り出した。


「結局、未翔は美術部に入らなかったけど、その出来事をきっかけにクラスでもよく話すようになったの。そのうちに未翔はわたしの家にも遊びに来るようになって、だいたいいつもスケッチブックを持ってきてた。絵について話す友達はいなかったみたいで、毎回嬉しそうに開いて見せてくれて、わたしも部活や趣味で描いた絵を得意げに披露したりして。そうやってお互いに絵を描いては見せ合いっこして盛り上がってた」


 寂しく微笑みながら、まるで昨日のことのように話は続けられる。


「送別会の二週間くらい前にも、未翔はスケッチブックを持ってわたしの家を訪れたんだよ。その頃には未翔が転校してしまうこともわかってたし、もうすぐお別れなんだってことはお互いに感じ取ってたと思う。でも、その話はあえてせずに、いつもと変わらずに二人で絵を見せ合ってた」


 笹本の話を聞いているうちに、俺と未翔の間にも同じような場面があったことを思い出した。


 別れのときが近いとわかっていても、言えない言葉というのはある。


 あの日、俺が言った『最後の言葉』を、彼女はどう思ったのだろうか。


 脳裏に未翔の表情が浮かんだが、今は笹本の話に集中しなければならなかった。俺は額に手をやり、記憶を奥深くへ無理やり押し戻した。


「そんなふうに過ごしてたら途中で未翔がトイレに行く場面があってね、わたしは一人自分の部屋で待ってたんだけど、そのときになんだか急に寂しくなったんだよ。いなくなるってこういうことなんだ、って少しわかった気がした。……本当は何もわかってなかったんだけど」


 そっと呟いて、笹本は顔を歪める。


 今となっては『いなくなる』の意味合いが違ってしまった。


 ゆえに、その当時わかったことも、そしてわかっていなかったことも、だんだんとわかるようになってきたのだろう。


 だからなのだというように、笹本は自分の取った行動を素直に白状した。


「部屋から一旦未翔がいなくなって、彼女のいた場所にスケッチブックだけがポツンと残されていた。もう絵も見ることができなくなるんだって思ったら、なんとしても記憶の中に残しておかなくちゃ、ってなって、パラパラとスケッチブックを捲ってみたの。そうしたら、わたしが今までに見せてもらったことがない絵もたくさんあって、こんなに描いてたんだってちょっとびっくりした」


 勝手に見てしまったことを申し訳なく感じているようで、声音からは「ごめんなさい」という未翔へのメッセージが伝わってきた。


 それでも話を進めるべく、笹本はゆっくりと俺たちを見回した。


「それでね、その中で一枚、不思議な絵を見つけたの」


「不思議な絵?」


 会澤が興味津々な目をした。笹本は黙って頷いた。


「どんな絵だったんだ?」


 俺が尋ねると、笹本は足元に置いてあったリュックサックを膝の上に乗せ、中身を漁り始めた。


 まさかその絵を持っているのか、と思ったが、小さなリュックから取り出されたのはF4サイズのスケッチブックではなく、L版サイズの写真だった。


「送別会の最後に、みんなで集合写真撮ったの覚えてる?」


 そう言いながら見せられたのは、懐かしい写真だった。


 今の俺たちからしてみればあどけなさを感じる中学二年生の自分たち。メッセージやイラストが描かれた黒板の前で、各々ピースサインをしたり、独自の変なポーズを取ったりしている。


 みんなちょっと目が赤いのは、多分泣いていたから。


 それでも笑顔なのは、楽しかったから。


「若いなぁ、みんな」


 会澤が吐息混じりに呟く。二十歳の俺たちが中学生に「若い」という言葉を使うのはいかがなものか、と思わなくもないが、それ以上の表現がないくらいにしっくりきてしまったために納得せざるを得ない。


 たかが六年しか経っていないのに、その写真の光景は遠い世界の出来事に思える。


「その送別会の写真と絵にどんな関係があるの?」


 笹本が出した写真に思わず顔を近づけていた俺と会澤とは違って、遠くから傍と眺めていた氷川が冷静に問いかけた。


「なんていうかね……」


 笹本は逡巡し、言葉を選ぶようにして呟いた。


「未翔の絵がこの写真とそっくりだったの」


 聞いていた俺たちが一斉に息を呑むと、笹本は慌てて付け足した。


「そ、そっくりって言っても、全部が全部同じってわけじゃないよ。一人ひとりの細かいポーズとかはもちろん違うし、そもそもこれが誰って特定できるような絵でもなかった。でも、構図がすごく似ていたの。説明しづらいんだけど、もしこの写真を見ながら描いたとしたらこんな感じになるだろうなって思うような」


 それはつまり……。


「なるほど。だから新島は未来人で、未来に撮るはずのその集合写真を元にしてスケッチブックに絵を描いたって言いたいわけね」


 俺がまとめるよりも早く、氷川が先に話を整理した。


「う、うん、そういうこと。会澤くんが成人式の日に『新島さんは未来人だったんじゃないかな』って言ったとき、わたしはこのことを思い出して家に帰って写真を探してみたの。もしかしたら、次に集まるときに必要になるかもしれないって気がしたから。わかりにくいエピソードでごめんね。でも、みんなにこの話ができてよかった」


 無事に伝え終えてほっとしたのか、笹本は胸に手を当てて安堵のため息をついた。


 笹本の主張もまた、個人的な主観に基づくものだった。


 絵がそっくりというのは感覚的で曖昧な証言である。もし未翔が描いたというその絵が目の前に存在したなら、少しは信憑性も増したかもしれない。


 でも、それがない以上、笹本の目だけが、記憶だけが頼りの推論だ。


 けれども、絵について詳しく勉強している笹本が「構図がすごく似ていた」と言うのだから見当外れではないだろう。類似性の証明は本来慎重にやるべきだが、今この場においてそれを求めるのは無理がある。だから、そうだったと受け入れるしかない。


 その上で、今の俺たちにできることを考える必要がある。

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