第15話 ガレージライフの始まり

 朝、例によって夜明けとともに黒犬に起こされる。

 黒藪さんは普段からそこで寝ているらしいソファーで布団にくるまり、いびきをかいている。

 キングはクロマルにつられて目覚めたが、まだ眠そうだ。

 クロマル先頭に、あまり音を立てないように外へ出る、キングもついて来る。

 まだ薄暗い中、すぐ横の放牧地のようなだだっ広い広場にエゾシカが数頭いて目が合う。

 キングが疾走して追いかけ、クロマルはなんだかよくわからないままそれに続く。

 犬が追いかけてどうなるわけでもなく、丸太を渡した牧柵をぴょーんと飛び越え林の中に消えていった。

 キングはそのまま笹薮に突っ込んでいったが、クロマルは柵に躊躇しターンして柵沿いにグルっと回って戻ってきた。

 しばらく待ったがキングは帰ってこない、クロマルは軒下のバケツに入っていた水を飲んでいる。

 放ったらかしておいていいのかわからず、中に入って黒藪さんを起こす。

「キング、シカを追いかけて山のほうへ行っちゃったんですけど」

「あーいいよいいよ飽きたら帰ってくる、これで朝の散歩終了だなダニ取りが面倒だけど、それより鹿いた?」

「100メートル位向こうの草地に」

「絶好の射程だな、銃持って探すといないくせに」

「連中、夜の間は撃たれないのわかってるんでそこらうろついてるけど、日が昇りだすとスタコラサッサよ」

 クロマルはボウルに牛乳を少しもらい、我々はインスタントコーヒーを飲んでいると外で犬の声がした。

 黒藪さんが見に出る、やがて怒声が聞こえ、犬は外のまま戻ってきた。

「あいつ、川に入りやがってビショビショ、家の中には入れられない、ダニは洗い流せたかもしれんが」

「ダニって、よくつくんですか」

 そもそもダニといわれてもよくわからない、想像するのは家ダニとかのホコリみたいな細かいやつ。

「そこらじゅうに居るから気をつけるといいよ、シカやキツネが落としていくから」

 クロマルの方をしばらく見て、

「ほら、いた!」

 テーブルの上のガムテープを少しちぎり、前足の付け根あたりにくっつけて剥がす。

 糊のほうに貼り付いていたのは数本の毛と赤黒い1ミリほどのクモのような物体、それがマダニ。

 気になってクロマルのボディチェックをすると、もう1匹発見。

 黒い体毛で一見わかりにくいが、角度を変えると光の反射加減で明らかに草やゴミとは違うものが判別できた、他には見つからないので一応クリアか。

「目とか耳のあたり目指して這い上がってくるから早期発見できると指でも取れる、一旦喰い付かれたらこんなのじゃとれない毛抜きとかピンセットとかでないと、俺はラジオペンチ」

「人間には喰い付かないんですか?」

「くるよ、いろんな病原菌持ってるから要注意」

「でも、犬と一緒だと体温の高いほう目指すのかあんまりこっちにはこないね」

「こいつら熱源探知するからか、肌寒い春先とかのほうが真夏よりよく喰い付かれる気がするから気をつけてね」

 あんまり聞きたくないようなレクチャーを受け、ついでにこのご近所での注意事項を色々と仕入れておき、ごちそうさまでしたと黒薮家は退散。


 当面の我が家となる車庫に戻る。

 あらためて見るが全体はベージュでやや色褪せ、ところどころ錆が浮いている。

 大きさは間口と高さが3メートル弱くらいで奥行きが6メートル、都会でも似たようタイプは見かけるがサイズはゆったりとしている。

 パッとしないし森の中にぽつんと場違い、中古でいいから安くて大きいのという注文通りとは言えるが。

 床はコンクリートなど打たれておらず土間というか緩く砂利が敷かれただけ、基礎などはなくアングル-断面がL字の鉄材が杭の替わりに打ち込まれ、そこに太い針金で固定されている。

 かなりの重量があるものだし、この程度でも風で飛ばされることはないだろうが。

 自分は菓子パン、クロマルはカリカリの朝食をとり、湯を沸かして紅茶を飲む。

 やるべきこと買いたいモノいろいろあるが、まだ早朝もいいとこで店も役所の開いていない。

 クルマの中の寝台は解体状態なので、米軍放出品のコットを組み立てる。

 畳まれた状態から広げ、枕元と足元に当たる部分の支柱をキャンバスに通し、その穴を本体側の出っ張りにはめ込むだけ。

 手順は簡単だが穴にはめ込むのにめちゃくちゃ力がいる、初めて組み立てた時はやり方が間違っているのかと途方にくれた。

 おかげで組み上がるとフレームの強度は高くキャンバス部もテンションが高く体もほとんど沈み込まない。

 さすがのミリタリースペック、デブの米兵でも大丈夫な堅牢さ。

 久々だったので組むのになおのこと力を使いひと汗かいてしまった、眠気は全く感じなかったが、とりあえず寝袋敷いて横になる。


 いつの間にかウトウトしてしまい、目が覚めると傍らにいたはずのクロマルがいないことに気づく。

 はっと起き上がり探しに出ると、木の伐採された敷地の外れ森との境界の辺りでウンコしていた、笹薮の中もウロウロしたのかまたダニついてるし。

 このダニ、どうにかしないと困ったもの、ノートPC引っ張り出しネット繋いで対策を検索してみる。

 すぐに出てくるのがフロントライン、ノミ・ダニ忌避の定番らしい、ネットショップみつくろって注文といきたいが、果たして現在の住所に届くのだろうか。

 ま、なんとかなるだろうとポチッと、他にもダニ関係のグッズをいくつか注文。

 ダニも問題だが、クロマルがフラフラと出歩くのも困ったもの。

 こんなトコロまできて鎖につなぐのはなにか違う、そもそも近所を気にせず散歩に追われないため移住してきたということもある。

 見える範囲を囲って、その中はフリー、家の周りがドッグランが理想。

 理想と現実の間でクロマルはロングリードに係留され、自分だけで町に所要と買い物に出かける、クロマルを乗せていると荷物の積載に制限がでる。

 町に出て最初に向かったのは町役場で転入の手続きと飼い犬の登録もする、ちょうど狂犬病の予防接種の時期らしく案内のチラシをもらう。

 ホームセンターで買いたいものがいろいろあるが、ホームコンビニしかないのでそこへ向かう。

 コンビニといっても24時間営業していているわけではなく、小さいだけ。

 手押しの一輪車のネコ車と工事現場とかで使うリール式の電源の延長コード、コンパネを数枚他小物を購入、コンパネは斜めにヘッドレストに立てかける感じに無理やり押し込む。

 そしていいもの見つけたと、たいそう苦労してレジに運んだのがロールになった金網で1メートル幅50メートル巻き、大きさはたいしたことなかったので持ち上げて肩に乗せたがよろめく重さ、台車を取りに行けばよかった。

 それに合わせて1メートル半くらいの木の杭を売り場にあるだけ十数本と針金と掛矢を追加購入、掛矢(かけや)は両手で使う木槌のデカイやつで杭打ちに使う。

 隣りにある食品スーパーで食料品とビールと氷を仕入れ、道の駅でポリタンに水を汲んでクロマルの元へ戻る。

 スーパーの惣菜コーナーで買った弁当類とビールで昼食、クロマルには同じく惣菜の白身魚フライをおすそ分け。

 少し昼寝して作業開始、金網のロールを広げ、杭打ちして針金で固定していく。

 金網は防獣用とかそういう用途のかなりしっかりした物なので、ある程度自立するがそれでも数メートルおきには支えが必要。

 50メートルの1ロールだと車庫の周りを小さくぐるっと囲う程度しかないので、車庫自体も柵の一部として出入り口前に15メートル角程度の犬用放牧地を構築、少し柵の足りないところはクルマで蓋をして、それでも足りないトコロはバケツとネコ車でバリケード。

 そもそも1メートル程度の高さだと成犬のラブラドールなら飛び越えるのではと思われるかもしれないが、クロマルにはジャンプ機能が装備されておらず心配ご無用、バケツやネコ車のバリケードも大いに有効、別に体に障害があるわけでもないのだが彼には見えない結界のような何かがいろいろとあるらしい、普段は面倒くさい要介護の所以なのだがこういう場合は楽で助かる。

 ドッグランが完成したので、係留から解いて車庫から追い出す。

 他の荷物も一旦出して、床板としてコンパネを中に敷き詰めて荷物を戻し居住空間を整備、昨日は使用する機会がなかったが作業灯を付属のクランプで固定して照明に、実家から運んできた灯油燃料のフジカストーブに給油して火を入れる。

 まだ日は沈んでいないとはいえ気温はかろうじて二桁、作業していたので感じなかったが薄着でじっとしていると肌寒い。

 寝床になるコットの上にリッジレストのデラックスタイプ厚手で大型のロールマットを置き封筒型の夏用寝袋を敷布団代わりに、その上にダウンの寝袋を広げ、車内からクッションを枕として持ってきて寝床も完成。

 しきりに存在をアピールするクロマルを連れて早めの散歩に出発、ダニルートを避けて舗装された町道に出て歩く。

 普通の市街地だと数十メートルも歩けば次の区画で曲がり角があるものだが、ひたすら直線路が続く。

 ワンブロックの単位が500メートルなのか、2キロ以上歩いて牧草地の周りをぐるっと回り元の場所へ戻る、久しぶりの散歩らしい散歩にクロマルも満足そう。

 やがて薄暗く寒くなってきたので、シャッターを閉めて作業灯を点灯。

 風呂に入りたいなと思いながら車庫内の源泉を横目に夕食、昼とほぼ同じメニューにカップ麺を追加。

 バーボンのロックで軽く晩酌し、さあ寝るかと作業灯を消して手元のランタンに切り替え寝袋に潜り込んだところ、クロマルがこっちを向いて唸っている。

 飛び乗ってこそこないが、コットの縁に前足をかけ何やらアピール。

 マジかと思いながら寝袋から抜け出て、奴を抱き上げてコットの上に乗せてやると足元がフワつく感覚にしばらく警戒していたようだが、そのまま丸くなってしまった。

 引っ張ってなんとか寝袋は取り戻したが、すでにど真ん中でがっつり寝られている。

 狭いコットの上で下半身が落ちそうになりながら再度寝袋に入り、これじゃあ車中泊してた頃のがマシじゃんかと思う。

 ガレージ生活の初夜が始まった。

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