第4話 散歩の鬼、爆誕

 クロマルの朝は早い、通常は夜明けとともに始まる。

 夏場はサマータイム適用でその1時間前から、日が昇りきる前に散歩を終えないと黒犬はアジアジに焦げてしまうのだ。

 そして日中は息を潜め、夜になると活動再開というドラキュラ生活。

 炎天下ではさすがにトイレ程度で遠くまで行こうとはしないが、それでも出発前後に水をかける要冷却、台風の中でも飛び出していく。

 かつて散歩の鬼と呼ばれた黒ラブ、何が奴をそこまで駆り立てるのであろうか。


 今は熱中症の心配もなくなったいい気候なので、6時起床といったところ。

 寝起きの牛乳から、小一時間で朝のコースをグルッと廻り朝食、ドライフードにヨーグルトにトーストのコースメニュー、これ犬用ですから。

 人間のほうはコーヒーに牛乳たっぷり砂糖なし、ドーナツとか菓子パンとか甘めで柔らかいものをモソモソと頂く。

 その脇ではクロマルがおすわりで待機し、おこぼれを待ち構えている。

 ようやくご満足いただけたら眠り、2時間程したら再起動、そして散歩の催促、夜までこの繰り返し。

 もう職場へ行く必要もないので、せいぜい相手をしてやる。

 いつも犬の散歩してると、母も近所で噂になっていたものだ。


 それでも母が健在だった頃は問題なかったのだが、入院がちになり、やがて帰らぬ人となった後のクロマルは鍵犬状態。

 自分の勤務先は近かったしマイカー通勤可能だったので、昼に抜け出してトイレ散歩に帰っていた。

 家からリモート対応できることは可能な限りそうして、早く帰るようにしていたが限度もある。

 玄関の鍵を開けた途端に飛び出てきて、止まらないのではと思えるほど延々とオシッコ。

 かと思えば、さして暑くもなかったのに熱中症になっていたり。

 留守番 → トイレ我慢 → 水飲まない → 熱中症 という流れ。

 これで、もしエアコンが故障などで止まったらと考えるとぞっとする。

 会社を辞めたのはもちろん夢の実現のためということだが、クロマルを放置しておけないということも大きかった。

 困ったやつだが唯一の家族、これでクロマルまで失ったら……

 そんな愛犬は自分にとって二代目、クロマルの前に先代がいた。


 築の父は多趣味かついろいろとこだわりの多い人で、収集癖もありいろいろとコレクションしていた、母曰く「道楽者の浪費家」。

 登山や釣りなどのアウトドア用品、カメラ、オーディオ機器、オートバイ、あとは本、CD、映画やドラマを撮り貯めたビデオライブラリ。

 母の評価は「ガラクタの山なんとかして欲しい、使わないのに同じようなものばかり、ビデオもどうせ見直したりしないのに」といったところ。

 アウトドア志向といっても実際に出かけていくのはそれほど多くなく、道具をいろいろと買い集め眺めていじって楽しむほう。

 あとは登頂記や航海記、昔の探検隊の記録などの本を多く読んでいた、自称「アウトドア書斎派」らしい。

 酒もタバコもギャンブルもやらず、所詮はサラリーマンの小遣いの範疇でやっていることに目くじらたてるほどのこともないのだが、どんどん物が増えて家が狭くなっていくのが母には気に入らなかったようだ。

 母はこれと言って趣味もなく、「平凡が一番」というのが口癖で、何かというとまだ小学生の自分に「将来は公務員になりなさい、公務員が一番」と、暗示というかすりこみをかけていた。

 両親は一応は恋愛結婚らしいのだが、どこでどうしてこうなったと思う不思議な夫婦だった、でもまあ別段仲が悪かったわけではない。


 中学に入る前にその父が病死し、そこからしばらくは母との二人暮らしだった。

 やがて、二人だけでは寂しいということで、新たな家族として犬を迎え入れた。

 オスのゴールデン・レトリバーで名前はバディ、よき相棒にという意味で築が命名した。

 やがて体重40キロの堂々とした体格に成長、決して太っているわけではなく骨格がそもそも大きかった。

 人好きで、天気がいい日は庭へ門の隙間から道行く人に愛想を振りまいていた、誰からも愛されていた。

 相棒というか兄弟というか半身といったほうがいいかのように、学校に行っている間以外はいつも一緒。

 若干ストーカーじみているほどで、自分の部屋に入れると興奮して走り回ってうれションするのでドアの外まで。

 散歩の途中でコンビニに寄った際、店の前のガードレールにリードを繋いでいたら、自分の方に近づこうと食いちぎられる寸前だったこともある。

 外出して家に戻ると常に大歓迎、玄関ドアのすりガラスの向こうで黄金の巨体が飛び跳ねているさまが見えた。

 バディは自分のことを人間と思っていたふしがある。

 他の犬には冷淡とまではいかなくとも、あまり興味を示さなかった。

 齢をとって少し偏屈になり、他の犬と何度かトラブルを起こす困った点もあったが、とにかく情の深い最高の相棒だった。

 やがて自由な学生の身分から、いわゆる社畜に身を落とすことに。


 一般によく使われる社畜という言葉、特にラノベとかでは何故か大人気。

 嫌々出勤して毎日遅くまでサービス残業といった程度では普通すぎてあてはまらないと思う。

 そういった状況をなんの疑問もなく受け入れる、抵抗もせず屠殺場まで連れ出されるのが社畜であろう。

 という意味で自分は社畜ではない、そこまでブラックでもなければ、いずれ逃げ出すつもりだから。

 特にやりたいこともないし、母がうるさいし、自由に使える金も必要ということで就職した。


 勤め人になってからは、犬のことは母に任せっきりでかまってやる余裕もなくなった、家には寝に帰っているだけだった。

 バディの最期は年の瀬も押し迫り、仕事上で大きなトラブルを抱えて修羅場だった頃。

 休日に出勤して家に戻ると、散歩の時間かとヨロヨロと立ち上がるバディ。

 すでに日は暮れ、冷たい雨も降っていた。

「疲れてるんや、またな」と自室に戻った。

 それがバディが自力で起き上がった最期になってしまった。

 そして数日後、母から様子がおかしいと連絡を受け、仕事を抜け出し戻った。

 バディは苦しそうに息をしていた、それでも力弱く尻尾を持ち上げ振ろうとした。

 間に合ったとホッとし、一度自室へ上がり着替えて降りてきたら、すでに動かなくなっていた。

 その夜は隣に寝袋を敷いて一緒に眠った。

 最期に散歩に行ってやらなかったことを死ぬほど悔やんだ。

 もし、次に犬を迎えた時は、どんな事があっても離れず一緒にいてやろうと誓った。


 バディがいなくなって数ヶ月、母が「寂しい、寂しい」とうるさく言い出した。

 その頃には母は仕事を退職し、家で暇を持て余し気味だったせいもある。

 そこで、後継犬を迎える準備をはじめることに。

 ゴールデン・レトリバーは最高の家庭犬だと思うが唯一の欠点が。

 それは見た目の特徴でもある金色の体毛だ。

 抜け毛の量は多いし、ボリューミーで目立つ色、家中あらゆる場所にバディの毛玉が転がっていた。

 出勤前にはかならずスーツにブラシを掛け毛をさらえる必要があった。

 濡らすとなかなか乾かないし、放置すると雑巾のような臭いに、シャンプーは半日がかりの大仕事だった。

 母もその点は感じていて、次は毛の短い子がいいと。

 自分にはレトリバー以外の選択肢はなく、ではラブかと。

 ゴールデンとラブラドール、同じレトリバーで毛の長さと色くらいしか外観に差異はない、しかしその中身は……

 そして、家の近くのペットショップで運命の出会い。

 金毛には少し懲こりていたのでイエローじゃないな、いました黒いコ。

 飼う気があって、子犬を見てしまうともう我慢できるはずもなし。

 どんな動物でも子供のうちは可愛いものだが、レトリバーの子犬はまさに天使。

 さらに、クロマルはとりわけ可愛かった、丸顔で目がくりっとして垂れ目気味、自分も母もメロメロになった。

 そして賢い、教えたことはすぐのみこんだ、さすがは盲導犬になる犬と感心したものだ、当時は。

 成長し散歩デビューも終え、外へ出かけるようになると、「この子可愛いなぁ」と、犬好きの人は吸い寄せらてきた。

「艶っ艶や、えーシャンプー使こてもうて」と、毛並みを褒められることも。

 クロマルの毛は短くヌメーっと均質で、角度によってはピアノのように黒光りして見える。

 また、出会ったラブラドール飼いの人は口々に、暴れん坊ぶりをアピール。

 おもちゃは瞬殺、畳を掘り返されたり、ソファーをボロボロにされたり、黒い子は原種に近く特にハカイダーとか。

「2歳になったら落ち着くから、それまで大変」

「4歳までは落ち着かんな」

「いつまでたってもラブはラブ」等と宣うたが、クロマルに関してはそんな心配は無用だった。

 留守番させてもイタズラすることもなく、破壊行為は皆無。

 なんていいコ、大当たり、ジャックポット、今時ならSSR引いたと当時は思っていた。

 で、どうしてこうなった。

 子犬の頃はうまく吠えらずにカスカス鳴いていたのが、やがて近所迷惑ないい声が出るようになった。

 そして隣の家に口うるさいオヤジがいて、「犬を吠えさせるな」と、何度も母は言われたらしい。

 それで少しむずかると散歩、吠えかかると散歩、結果ほぼ2時間おきに何度も散歩。

 クロマルのほうも吠えれば散歩に連れ出してもらえると、すっかり理解。

 散歩の鬼誕生の瞬間であった。

 自分も朝と夜は分担したが、日中はずっと母の担当で少し育児ノイローゼ気味、寿命を縮めた一因になったかもしれない。

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