第42話 パーフェクティキュア!

 ここはTATSUYAのすぐ近くにある、とあるカフェの個室。

 テーブルには俺が適当に注文した数々の料理が所狭しと並べられている。


「ほら、遠慮せずに食べていいぞ。その様子だとあまり満足に食ってないんだろ?」


 腹が減っては戦はできぬとはよく言ったものだ。俺はトミーは顔色を見て栄養状態が悪いことがすぐにわかったので、まずは食事をご馳走することにした。

 交渉を容易くさせるため胃袋を掴む作戦だ。


「わ、悪いですよ。こんなに注文しても食べ切れませんって!」


 トミーは手のひらをこちらに向けて首と一緒に横方向にブンブンと振っていた。

 かなり遠慮している様子がわかる。


「嘘をつけ。口から涎が出てるし、視線が料理に釘付けになってるぞ? 話は食べながらゆっくりするから遠慮するな」


 が、しかし、そんな態度は表面上のもの。

 人間というのは体に嘘がつけないのか、トミーはしっかりと腹を鳴らしていた。


「で、では、お言葉に甘えて……いただきます!」


 トミーは俺の言葉にごくりと唾を飲むと、大きめのスプーンを手に取った。

 最初に大きな深皿に盛られたサラダ、次にオムライスを始めとしたご飯類を完食し、最後にポトフやコーンポタージュなどのスープ類を完飲した。

 食事をしながら話すとは言ったものの、俺はその隙を全く見つけられなかったので、アップルジュースを飲みながら、トミーが食事を終えるのをジッと一人で待っていた。


「ご、ごちそうさまでした……! いやぁ、こんなにたらふく食べたのは久しぶりですよ……」


 トミーは最後の最後に追加で注文したパフェを食べ終えてから、膨れた自身の腹をぽんぽんと叩いていた。

 顔がほくほくとしており、愛嬌のあるルックスも相まって、ついつい面倒を見てやりたくなる。


「そりゃあ良かった。あまりまともな食事にありつけていなかったのか?」


「ここ数年はもやしと焼肉のタレと実家から届くお米だけで暮らしてます。まあ、そんな暮らしも来月で終わるんですけどね」


 トミーは頭のぽりぽりとかきながら、何かを懐かしむような儚げな笑みを見せた。

 苦笑いのようにも見えるが真意はわからない。


「どういうことだ? 音楽はやらないのか?」


「実は今週末に控えたオーディションを最後に、音楽はもう諦めようかなって思ってます。大人しく実家に帰って、両親の跡を継ぐ予定です」


 トミーはテーブルにトンっと軽く拳を乗せた。

 同時に空になったグラスに残された氷がカランと落ちた。

 瞳が沈んでおり、言葉では言い表すことが難しい悔しさが伝わってくる。


「本当にそれでいいのか? 俺はトミーのことをほとんど知らないし、どんな音楽をやるのかもわからない。だが、路上でトミーが歌っている姿を見て、少なくとも俺は心を動かされたよ。諦めるにはまだ早くないか?」


 ほんの一瞬しかトミーの歌声を聞けていないので、歌詞の詳細は覚えていないが、素朴な見かけによらず綺麗で透き通るような歌声は、俺の好みのドストライクだったのことは確かだ。


「……いえ、今週末のオーディションでボクは音楽をやめます」


 トミーの決意はかなり堅いようだ。


「よし、わかった。そのオーディションに合格したら音楽を続けるといい。そのために俺も協力しよう。ここで本題に入るが、トミーは耳が悪いという情報を詩子ちゃんから聞いたんだが、それは本当か?」


 俺は流れるように本題に突入した。

 そのオーディションの詳細は俺にはわからないが、トミーがそこまで言うのなら意思を尊重すべきだろう。

 受かったら音楽を続ければいいし、落ちたら実家に帰れば良い。それだけだ。


「う、詩子ちゃんって、ボクのアパートの近所に住んでる?」


「ああ。それで、どうなんだ?」


「……上京してからずっと両耳がこもっているんです。例えるなら、飛行機に乗った時のようなモワァってした感じが二十四時間常に続いている感じです。そのせいで音が正確に取りにくいし、人との会話にも神経を擦り減らします。かと言って、病院に行くお金もなく、両親に頼るのは気がひけるので、上京してからの今日に至るまでの二年間、常にこんな感じです」


 トミーは両の耳をそれぞれの手の指で揉みながら言った。

 そういえば、初めて会ったときに耳が遠いとかなんとか言っていた気がする。

 それにしても、耳がこもる……か。

 正直、原因に関してはどうでもいい。なぜなら、俺の魔法一つで全てが解決するからだ。


「ほう……わかった。俺が解決しよう」


「ボクには医者に診てもらうお金なんて全くありませんよ? それでも大丈夫なんですか?」


 トミーはため息混じりの弱音を吐いた。


「いや、そんなものに興味はない。今更言うのもおかしいが、実は俺は来月から芸能事務所の経営を始めるんだ。俺がこうやってトミーに接触したのも、そのためだ。トミーには是非、俺の事務所に入ってほしい。どうだ?」


 俺は真摯な想いを言葉に乗せて、トミーの弱々しい瞳をジッと見つめた。

 金など必要ない。俺の魔法は魔力がある限り、無料で発動が可能だ。

 今俺が求めているのは優秀な人材だ。俺の目に狂いがなければ、いや、狂いがあったとしてもトミーは優秀だろう。耳が遠いというハンデを抱えた状態であの美しい歌声を出せるくらいだ。魔法で治療する労力は惜しむ必要はない。


「……ごめんなさい。実は来週のオーディションは最終審査で、もし合格すればadexでのメジャーデビューが確約された大一番なんです。ボクが耳が聞こえにくいながらも掴むことができた最後のチャンスかもしれません。なので、田中さんの提案は非常に嬉しいものなのですが……本当にすみません」


 返ってきた答えはしっかりと理由付けされた拒否だった。

 トミーはテーブルに額を擦り付ける勢いで頭を深く下げた。

 adexと言えば、日本一と言っても過言ではない芸能事務所だ。数々の有名ミュージシャンが所属しており、その一員になれるチャンスとあれば、挑戦する以外の選択肢はないだろう。


「わかった。だが、耳の治療は俺に任せてほしい」


 俺の誘いは難なく断られてしまったが、最後まで役目は果たすとしよう。


「え……わ、悪いですよ! 治療費だって安くはないんですから!」


「いや、無料で可能だ。俺は副業でマジシャンをしているからな。さあ、目を閉じてくれ」


「……マジシャンは病気を治せませんよ……?」


 俺は申し訳なさそうにしているトミーの隣に立ち、トミーの頭に手を添えた。

 トミーは疑心暗鬼というより100%俺のことを疑っていた。

 おそらく「ちょっとくらいは付き合ってやるか」程度の思いが頭の片隅にあるのだろう。

 

「鑑定。ほほう、突発性の難聴か。原因はストレスや不安定な精神状態によるもの。日常の生活音ですら聞こえにくいはずだが、よくもまあ、こんな状態で二年間も音楽をやっていたものだ」


 俺は耳が遠いというトミーに聞こえないように、小声で鑑定魔法を発動させて、病気の正体と詳細を分析した。


「あのー、もう終わりましたか?」


「今終わらせる。パーフェクティキュア……全ての病よ、無に還れ」


 俺は完全治癒魔法を発動させた。トミーの頭に添えていた俺の手のひらは、ほんのりと暖かみのある白い光を発し始める。

 他の魔法に比べて見た目の派手さやカッコよさは劣るが、この魔法を使える者は異世界に俺を含めて二人しかいなかった。

 例え、四肢が粉々に砕け散っても、新たな四肢を生やすことが可能な魔法だ。心臓の鼓動が続く限り、完全治癒魔法は不滅なのだ。


「あ、あの……何かしました? 田中さんが手を添えていた辺りが、少しだけ暖かく感じたんですけど」


 トミーは心底不思議そうな顔をしながら、自身の頭皮を掌でさすっていた。

 どうやらバレなかったらしい。


「トミーの耳は少しだけ凝っていたらしい。だから、俺は耳の凝りを治せるツボを数箇所押したんだ」


 俺はあえて普段よりも少し小さめの声で話した。


「耳が凝るなんて聞いたことありませんよ? と、というか! どういうわけか、田中さんの声がはっきり聞こえます! これは一体どういうことですか!?」


 トミーは耳が凝ることについての疑問を投げかけたが、すぐに驚きに包まれた表情に急変し、テーブルをバンッと叩いて勢いよくその場に立ち上がった。

 何が起きたかわからない様子だが、まあ、当然だ。

 そもそも耳が凝るなんて俺は全く知らないし、治したのは魔法なので理解できるはずがないのだ。


「内緒だ。それは俺が独自で発見したツボだからな。兎にも角にも、治ってよかったな。来週のオーディションで思いっきり暴れてこい!」


「……ぅ……ぅぅ……ボク、嬉しいです……! 都会は冷たい人が多いって勝手に思ってましたけど、田中さんはこんなにも優しいんですね……!」


 俺が手のひらでやや強めにトミーの背中を叩くと、トミーは前方向によろけながら器用に泣き始めた。

 そして、ゆっくりと振り返り、涙でぐしゃぐしゃになった顔で俺のことを見つめてきた。


「まあ、なんだ。これも何かの縁だ。また何か困ったことがあったら連絡してくれ。じゃあな」


 三十秒ほど待っていてもトミーの嗚咽が止まることはなかったので、俺はテーブルに連絡先の記された紙と10,000円札を置いて、そそくさと個室から立ち去った。


「……また新しい人を探すか」


 トミーにはしっこりと断られてしまったので、また別の人を探すしかない。まだ事務所すら持っていない俺にのこのこついてくる人はいなさそうだな。どうしようか。取り敢えず、ネメフィが帰ってくる前に俺も帰宅するか。

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