第2話 異世界転生

 これはとある別世界に住んでいるまだ5歳の少年の話である。

 彼の名はゼッタ、名字は町民の身分であるがゆえにつけられていない。


 一見はどこにでも住んでいるような平凡な男の子、けれど彼は生まれながらにして神に見放された才能無き子供だった。

 本来ならなにかしらひとつやふたつは持っている天恵と呼ばれる特殊な能力を、彼はなにひとつ持っていなかった。

 それ故にゼッタは周りの人々からは“無能”などと呼ばれていた。


 しかし、そんな差別的な態度の村人に対して、彼の両親はゼッタを目に入れても痛くないほど可愛がっていた。

 たとえ能力を授からずに生まれてきた子供であっても、我が子であることに変わりはない。両親二人は少年ゼッタを不自由なく育てようと精一杯頑張っていたのだ。


 今まで、そしてこれからもゼッタは両親に守られつつ、平凡でまっとうな人生を送ることになるだろうと、誰もがそう思っていた。

 あの日が訪れるまでは……



「ママー。僕、森に遊びに行ってくるねー」

「はいはい。行ってらっしゃい、ゼッタ。くれぐれも気をつけてね」


 明るい茶髪の母親に手を振りながら、ゼッタは元気よく玄関を飛び出す。

 そして家の隣に広がっている魔物が出ないことで有名な“聖域の森”へと出かけていった。


 少年ゼッタはいつもこの森で遊んでいた。彼を馬鹿にする幼馴染に会うこともなく、凶暴な魔物に襲われることもない。友達の少ないゼッタにとってこれほど都合のいい遊び場は他のどこにもなかった。

 森に咲き誇る小さな花を眺めて和んだり、木のてっぺんまで登ってみたり、温厚な動物と戯れたりと彼は彼なりに充実した生活を送っていたのだ。


 そんな遊び場にやって来たゼッタは、森の探検ごっこを始めることにしたのだった。

 狭い森とはいえ、すべての場所を回りきれたわけではない。ゆえにゼッタは隅々まで森の中を探検し尽くそうと考えたのだろう。


「よーし、ゼッタ探検隊しゅっぱーつ!」


 一人で掛け声を上げたゼッタは、腕を大きく振りながら“聖域の森”の奥深くへと足を踏み入れていく。

 普段であれば迷子になりかねない森の中心部へと近づくことはない、けれど今日のゼッタは好奇心の赴くままズカズカと歩を進めていく。

 もしかしたら森の奥に、本で見た遺跡やダンジョンが広がっているかもしれない! そんな期待を胸にひたすら奥へと突き進む。


 そして探検を始めてから暫くして……彼はたどり着いてしまうのだった。

 聖域の森中央に佇む、数十年間誰一人として足を踏み入れてこなかった古代の祠に。


「うわぁ……! 森にこんな場所があるなんて!」


 見たこともない不思議な建物を目の当たりにしたゼッタは、かつてないほど興奮していた。

 無論、好奇心旺盛の5歳児がこんな場所まで来て引き返すわけがなかった。彼は満面の笑みを浮かべて遺跡の中へと侵入すると色々な場所を物珍しそうに見て触ってははしゃいだのだった。


「すごい、すごぉい! ……あれ、これなんだろう?」


 縦横無尽に駆け回っては飛び跳ねていたゼッタは、ふと暗闇の中で輝くものを目にした。

 首を傾げながら近づいてみると、そこには銀色に輝く大きな拳銃が台座にはめ込まれていたのだった。


「うわぁ、カッコいい! あっ、これ絵本で見たことあるやつだ」


 彼がよく読む勇者伝説の絵本に出てくる伝説の魔法銃、ゼッタはそれをとっさに思い浮かべる。

 憧れの英雄が扱う重厚感溢れる銃、それを目の前の拳銃に投射した彼はその拳銃に手を伸ばし――触れてしまった。



「あぐっ……!?」



 まるで鈍器で殴られたような痛みが頭に響き渡り、得体のしれぬ倦怠感がゼッタを包み込む。

 悲鳴を上げることもできず、遺跡の床に倒れ込んだゼッタは縛り上げられるような頭痛に頭を抱えた。

 そして、途端に掻きむしりたくなるほど四肢全てが熱くなり、気持ち悪くなるほど視界が激しく揺らいだ。嫌悪感に満ちた世界はゼッタを激しく苦しめる。

 

 ――ママ、たすけ、て。


 助けを求めようとするも、残念ながら言葉にはならなかった。

 そのまま意識を闇に落とし、ゼッタは動かなくなる。そして……彼はもうではなくなってしまったのだった。



☆ ☆ ☆



 どれくらいの時間が経っただろうか……。

 永久に思える時が流れていった末、ぼんやりとした意識の中で俺はゆっくりと目を開けた。


(知らない天井だ……どこだここは?)

 

 ぼやけていた視界が徐々に鮮明になっていき、異様な景色が俺の目にはっきりと映り込んだ。

 頭がボーっとしてクラクラするが……少なくともここが狭苦しいマンションの一室でないことくらいは把握できる。

 俺は体にかけられたフワフワとした布団をどかしつつ、どことなく軽くなった上半身を起こした。


(誰かに誘拐でもされたか? うぅ、よく思い出せねぇ)


 鼓動が鳴るリズムでズキンズキンと痛む頭を擦りながら、俺はそのシングルベッドから降りようとした――その時。

 部屋のドアがゆっくりと開き、西洋人のような風貌をした女性が中に入ってきたのだ。そして俺の姿を見た瞬間、驚愕をあらわにするとすぐさま俺のもとに駆け寄ってきたのだ。


「起きたのね、ゼッタ! 大丈夫? 痛いところはない?」


 俺の肩をがっしりと掴んだ茶髪の女性は、宝石のように美しい翡翠色の双眸で俺の顔を覗き込んできた。

 いまいち状況が分からず、俺は目を白黒させながら小首をかしげる。


(……いや、お前誰だよ!?)


 この女、赤の他人であるにもかかわらず、まるで我が子かのように馴れ馴れしく話しかけてきやがった。

 もしかしてコイツが俺を誘拐して洗脳でもしたのか?


「本当に大丈夫? ママの声、聞こえてる!?」


 俺が怪訝そうにしていると彼女は顔は徐々に青くなっていき、俺の体を軽く揺さぶった。

 そこで俺はようやく気づいたのだ、自分の体がやけに小さくなっているという衝撃的な事実に。


(この反応、演技だとしたら上手すぎるな)


 今、自分自身が置かれている状況に薄々気づき始めていた俺は、自称ママと名乗る女性の腕を振り切ると、部屋の外へと飛び出した。

 そして直感のままに廊下を走っていき、別の部屋の中に入る。まるで自分がこの家の構造を知っているかのように。


(あれは……もしかして鏡か?)


 光を反射させ部屋の中を写す大きな姿見鏡、その前に立った俺は思わず全身を硬直させてしまった。

 本来であればボサボサの黒髪に情けない表情をした細身の俺が写っているはずが、鏡の中にいたのはキレイな白髪でさっきの女性と同じ翡翠色の双眸を持った、外見は8歳くらいの男の子だった。


「嘘だろ? 俺は一体誰なんだ?」


 その場でひざから崩れ落ちると、鏡の中にいる男の子も同じように情けなく座り込んでしまった。

 全く状況が読み込めなかった。どうして自分の意識がこんな男の子に宿っているのか、理解に苦しむ。


「これは夢だ、そうなんだろ?」


 誰かが部屋の中に慌てて入ってくる音を背に、俺はそのまま地面に倒れ、まぶたを閉じた。

 夢ならばきっと寝れば覚めるはず、そうに違いない。

 さっきの女性が俺を「ゼッタ」と呼びながら体を揺さぶるが、俺は意地でもまぶたを開けなかった。そしてそのまま……意識を闇に埋めたのだった。

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