第13話 入学式と髪色の話

 京都にある六畳一間のアパート。

 入学式の日の朝、ユリは根本が元の色に戻りつつある金髪の、ピョンと跳ねた寝ぐせを整える。

 大きな鏡がないから手鏡を細かく動かし、自分の髪を見る。

「ごめんね。入学式いけなくて」

 マコトの母が慌ただしく仕事へいく準備をする。

「ううん。気にしないでください」

 ユリは手鏡に母の顔をうつす。そして、気付いた。

「お母さん、大丈夫ですか?」

「なにが?」

「なんだか、顔色が悪いような」

 鏡の中の母は微笑む。

「その鏡、ちょっとくすんでるの。心配してくれてありがと。じゃあ、いってくるね」

 そういって、出ていった。

「……いってらっしゃい」

 バタンと閉まった玄関のドアにむかって、ユリはうかない表情でいった。


 入学式は午後からだ。

 午前中ユリは部屋の掃除をした。少し前までは掃除をしたつもりが逆に散らかってしまった、なんてこともあったが、近頃ではちゃんと綺麗にできるようになった。

 そうこうしているうちに十一時。

 昨日つくったクリームシチューをリゾットに改造する。

 生米をフライパンで炒めて、そこにクリームシチューを入れる。

 弱火でコトコトと炊込み、お米がやわらかくなったら完成。

「おいしい」

 お昼ご飯にはちょっとはやい時間。

 リゾットは、ちょっと煮詰まって濃厚な味がした。


 食器を洗い終えると、制服に着替える。

 どこで手に入れたものかは知らないが、誰かのお古らしい。若干くたびれ気味で、サイズも合っていない。そもそもボタン合わせが逆、つまり男物だ。

「ま、大丈夫でしょ」

 しかし、さっきの手鏡で身だしなみを確認して、手作りのお仏壇に手を合わせると、家を出た。


 学校への道。

 保護者同伴の新入生と並走する。その人数は、学校が近付くにつれて徐々に多くなる。

「幼稚園も小学校も、入学式も卒業式も、うちは来てくれなかったのに」

 ユリは小さくつぶやく。

 元の体のとき、身の回りの世話をしてくれるのは専ら付き人として雇っているヒトだった。

 別に両親から愛されていないとは感じていないし、西の化けダヌキの頭として多忙なのも理解できる。

 だけど、最後に両親と交わした言葉がなんだったか思い出せないのは少し寂しい。

 マコトの母は、我が子が入れ替わっていることに気付いたうえで、ユリのことを受け入れてくれた。

 この先も、マコトの家が金銭的に潤う見込みはない。だから、他人と入れ替わってでもマコトにいい暮らしをして欲しい。それが、母の考えだった。

 実の子が幸せのために、あえて手放す選択をする。ユリにはその愛情が少しばかりうらやましかった。

 数日で元の体に戻るつもりだった。

 だけど、もしかしたらこのままずっと、志度マコトとして生きていく方が幸せなんじゃないかと思いはじめている。ユリとマコト、双方にとって。


 学校の昇降口のところでクラスを確認する。『志度 誠』の名前は三組のところにあった。その横に校内の地図もある。

 地図を暗記し、一年三組の教室にやってきた。

 教室の中では、仲良しグループいくつかにわかれてワイワイやっていた。きっと、小学校のときからの延長の集まりだろう。

「マコトは、友達いないっていってたっけ」

 ユリは入り口に張られた座席表を確認してから、教室に入る。

 ふと、ある女子グループと目が合った。

 太った子と、歯並びの悪い子と、そして、彼女らのリーダーであることが雰囲気から伝わるキツネ顔の子。

 キツネ顔はユリ、いや、ユリが現在使っている体の主、マコトによくない印象を持っているようで、それを隠そうともしない悪意に満ちた視線をむけてくる。

 周囲はそれに合わせている感じだ。

「人間のくせにキツネみたいな顔しちゃって。私、キツネって嫌いなのよね」

 ユリは誰にも聞こえないように、小さくそういうと、視線を外した。

 自分の机にリュックサックを置いて、席につく。


 ほどなくしてチャイムがなった。

 賑やかだった教室は一気に静まり返り、それぞれが戸惑いながら自分の席に座った。

 さっきまで空席だったユリの隣にも、ヒトがやってきた。いかにも気弱そうな女の子だ。

「この子なら、マコトとも上手くやれるなか?」

 つぶやくと、女の子は一瞬ユリを見て、すぐに視線を外した。

「私、中……志度マコト。もしかして小学校同じクラスだったかな? ごめんね、一ヶ月だけだったから、覚えてなくって。今度はちゃんと顔も名前も覚えるから、よろしくね」

 ユリは女の子にそういうと、笑顔を浮かべた。

 しかし、女の子は迷うように視線を泳がせて、そのままなにもいわなかった。

 やがて、担任の先生がやって来た。初老の女性の先生だった。


 入学式と、ざっくりとした学校生活についての説明をうけて、今日は放課、となるはずだったがユリだけ荷物を持って職員室に来るようにいわれた。

「なんなのかしら」

 首を傾げながら廊下をあるいていると、正面から知っているヒトが歩いてきた。

 ユリに料理を教えている少女、タマキだった。

「あ、タマキさん」

「よっ、ユリちゃん。入学おめでとー。でもなんでこんなところに? あ下駄箱はあっちやで?」

「担任の先生に呼び出されて、職員室にいくんです。なんの用なんでしょう? 職員室ってこっちですよね」

 言葉を聞きながら、タマキはユリを足元から順に見ていく。

「それやね」

 そして、ユリの髪を指差した。

 ユリは窓にうつった自分の姿を見る。染めたとわかる金髪の髪。

「これかぁ。あんまり戻したくないんですけどね」

 ユリの脳裏にマコトの姿が浮かぶ。マコトは、この金髪を大切にしていた。

「マコトちゃん、何組?」

「三組です」

 タマキは少し考えて、そっとユリに耳打ちした。


 職員室。

「志度さん……だね。来てもらったのはその髪の話しなんやけど」

 担任は机に広げたファイルとユリの顔を交互に見ながらいった。

「それ、染めてるよね。この学校、校則で髪染めんの禁止やねん。悪いけど、黒染めしてきてくれない? できれば明日までに」

「……ごめんなさい。この色が駄目なのは、わかっていたんです……。でも……ごめんなさい。校則は守らないといけない……ですよね」

 ユリは暗い表情でうつむき、しゃくり上げながらいった。

 担任は驚いたように尋ねる。

「もしかして、なにか特別な思い入れがあるの?」

 ユリは小さくうなずく。

「前の……小学校では髪染めてもよかったんです……。あの頃は、毎日楽しかった。お父さんがいて、妹が生まれるのが楽しみで……とっても、楽しかった。なのに、お父さんが死んじゃって、引っ越さないといけなくなって……。私、楽しかった頃のこと、ちょっとでも手放したくなくて……」

 担任は手元のファイルに目をむける。

「志度さんは、小学校、卒業直前に引っ越してきたんだっけ?」

「……はい」

「そんな時期じゃ、馴染めなくて辛かったやろ」

 ユリは顔を手で覆いながら、弱々しい声で「はい」といった。

「わかった。今すぐ黒くしろとはいわへんわ。そやけど、校則は守らんとあかんから、色が落ちても染め直したらあかんで。あと、伸びてきたらそのまま元の色に戻すんやで」

「いいん、ですか?」

「うん。他の先生にも話し通しとくから」

 ユリはとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「ありがとうございます」


「失礼します」

 ユリは職員室を出ると、深々とお辞儀をして扉を閉めた。

「マコトちゃんは悪い子やね」

 職寝室の前の廊下には、タマキがユリのリュックを持って待っていた。

「あの先生がお涙頂戴のベタな感動話が大好きって教えてくれたのはタマキさんです。それに、多分嘘はいってないです。リュックありがとうございます」

 ユリはタマキからリュックを受け取ると、二人並んで歩きはじめる。

「まあ、よさそうな先生だったので、小芝居なしでもどうにかなった気はしますが」

 廊下を曲がり、階段を下る。

「なあ、聞こえちゃったんやけど、お父さんと妹さん、亡くならはったん?」

 タマキはゆっくりとした口調で尋ねた。

 ユリは昨夜、マコトの母に聞いた話を思い返しながら語る。

「はい。父は交通事故で亡くなり、遺産は全部親戚に持っていかれたんです。母は妊娠していたんですが、それも、降ろさざるを得なくなって。生んでも育てられないからって。生まれてくるはずだった赤ちゃんは、女の子だったらしいです。母は何を根拠にいっているのかわかりませんが」

 タマキが足を止めた。ユリも遅れて立ち止まり、振り返る。

「タマキさん?」

 タマキはどこか、遠くを見るような目をしていた。

「マコトちゃん……。生きている私たちは、生きようね。いっぱい、いっぱい、一日でも、一秒でも長く、生きようね」

「……タマキさんも、誰か大切なヒトを亡くしたんですか?」

 吹奏楽部の練習の音が聞こえる。

「帰ろ。マコトちゃん」

 タマキは歩きはじめる。ユリはそれを追いかけた。

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