第30話 不穏

 ~ シーナ魔道軍将エンヴィー・ヒューズ ~



 シーナ屈指の防衛力を誇る要塞都市、パントダールの重厚な外壁は、見る影もなく無残に崩れ去っていた。投石器でも火計でも、異民族の総力特攻でも落ちない最強の盾が、たった数度の投石で破壊されたのである。精霊の加護というものがどれほどの脅威になるかを知りたければ、この壁を見ればいい。私の主張を少しは聞く気になるだろう。


 百人力、千人力、人智を超越した者たち。存在してはならない存在。


「エンヴィー様」

「カルマか」

「騎馬はアデュバルやレナンの子に脅えているのでしょうか。不自然なほど動きがないのですが」

「そんなにやわな男に見えたか? おおかたなにか企みがあるのだろうさ」

「では――」

「それでいい。騎馬がなにを画策していようと無意味だ。我々の目的は三匹の害虫だけ。騎馬の将は、ガキどもを捻り潰した後でじっくりいたぶってやればいい」


 脅威は国を団結させ、民を結集させ、新たな秩序を生み出す。危機こそが安全に寄与する最も偉大な友なのだ。


「無秩序が、秩序を成す」

「ジャバナ・ホワイトフェザーとデジー・スカイラーは国をまとまる無秩序というわけですか……」

「奴らは混沌だ。利用価値のある無秩序とは違う、なんの役にも立たぬゴミにすぎない」


 真の賢者は困難すら、恥すら、劣敗すら糧にする。


「なにをお考えなのです?」

「加護持ちふたりを取り逃がしたこと、そして奴らが敵対したことは、私たちにとって好都合だったかもしれない」

「なぜですか?」

「力を示す機会になる。アン・コントローラブルになった見世物小屋を切ったのは帝命。我々は計画の不完全性を事前に察知し、動いた。確保するには至らなかったものの、動き自体は間違ってなかったのだ。この事態を収束させることが出来れば、魔道の権力は不変のものになるだろう。先を読む賢さがあり、勝つための力も持ってる」

「騎馬すら」

「そうだ。騎馬の連中ですら、王すら干渉できぬほどの権力を得る、またとない機会になるやもしれん」

「ならば確実に仕留めねばなりませんね」

「その通りだ。もうミスは許されない。圧倒的な力による蹂躙じゅうりん。いま、我々に求められているのはそれだけだ」


 私は掌のなかで、小さなつむじ風を起こして消した。


「魔法が道を照らす。それが我々、魔道の在り方だ」

「エンヴィー様……」

「足場の悪い山岳部ではお前の魔法、自己強化が生きる。頼りにしているぞ」

「はっ」


 重装と魔道は、すでに準備をはじめている。


 兵の士気は高くないようだが、別段たいした問題はない。


 化け物を相手に、戦果はまるでない。そのうえ、崩れたパントダールの壁を目撃した。不安にさいなまれるだろうし、命の危機も感じているかもしれない。このような状況下で士気を上げろというのが無理な話。


 だが今後、奴らを追い詰めていけば話は変わってくる。傾国の化け物を相手に、ひとつでも戦果を得たとなれば、自然と士気も向上するだろう。


 流れがこちらに傾けば、波に任せて蹂躙するのみ。加護持ちのガキは勿論、騎馬すらも飲み込む大波になることだろう。


 そして、力は連鎖する。


 加護持ち、殺戮兵器、騎馬を呑み込んだ波は、かつてないほどの濁流となり、すべてを破壊し尽くす。決して倒れぬ強国、不夜の国シーナですら、流してしまうほどの規模に。


「ところでカルマ、アシモフは?」

「伝令に出たと」

「なぜ?」

「ムグラの森に出現した怪異の情報を報告しに向かったとのことです。魔獣の類ではないかと」

「呑気な奴だ」


 奴は本物だと思っていたが、勘違いだったかもしれん。森に潜む小物と、加護持ち、どちらが国の脅威になるかなど火を見るより明らかだというのに。


 と、その時、騎馬の腕章をした若い男が現れた。


「これはこれは魔道が将、ヒューズ殿」

「お前は?」

「騎馬が将、アシモフ不在の間、留守を任されております。ラト・バズ・バーン。お見知りおきを」


 なんとも騎馬らしくない男だ。


 騎馬特有の傲慢な雰囲気はなく、体も華奢で男らしくない。ずる賢い印象の暗い感じは、どちらかというと、魔道の兵のような風貌である。


 ホワイトフェザーやアシモフの後ろにいるのを何度か見かけたことがあるが、目立ってはいなかった。


「お前が誰であろうと構わんが邪魔だけはするなよ」

「とんでもない。私自身の希望は魔道の援助をすることなのですが、上がどうも……」

「上が許可すれば我々のバックアップをする、と?」

「言うまでも御座いません。シーナの脅威は暴走間近の精霊。アイザック・ホワイトフェザーは優秀な男でしたが精霊の不運に見舞われ、後任を誤った。後任は頭より体で動く男、将に適した器ではない」

「同意見だ」


 ラトは騎馬らしくない不気味な笑みを浮かべながら、こう言った。


「ところでヒューズ殿、騎馬の新兵には通過儀礼があるのはご存知で?」

「通過儀礼?」

「星が消えるまでの間、パントダールの裏山で生き残る。サバイバルでございますね」

「ほう」

「山岳戦闘において、私たちほど案内役に適した部隊はないかと」

「ホワイトフェザーにはどう説明する」

「危険思想の魔道の将を近くで監視するために、独断で動いたとでも言えば納得するでしょう。なにせ彼は頭のなかも筋肉で出来た男でございますから」

「リスクは伴うだろう。お前の立場が危うくなるやもしれんぞ」

「無能な上官より、生活の質の向上を」

「賢い男だ。騎馬にしては」

「騎馬はとても強力ですが、同時にプリミティブでもありますねぇ。いままでの戦争はそれで勝てたかもしれませんが、これからは違う。精霊の曝露事故により力を得た者たちを利用しようと画策する隣国、洗練されていく政治的な駆け引き。いままでの騎馬では勝てない。しかし私が将になれば、騎馬はまた、息を吹き返す」

「面白い男だ。口添えしよう」


 一枚岩と称される騎馬にも、こんな綻びがあったか。


「すぐに兵をまとめろ、ラト。山狩りだ」

「ただいま」


 ラトを魔道に引き込めば、ホワイトフェザーの処理で助けになる。目下のターゲットであるジャバナとデジーの問題さえ解決すれば、我々を邪魔する者はいなくなるだろう。


 シーナですら……。


「エンヴィー様、無暗に騎馬の連中を信頼するのは危険かと」

「奴の言葉を信じていると?」

「しかし……」

「利用可能な資源は利用し、価値がなくなれば捨てる。騎馬のラトはまだ使えるから使う。それに、奴は魔道の地位向上にも役立つかもしれん。いい捨て駒になるだろう」

「出過ぎた発言をしました」

「かまわん」


 虚栄心に突き動かされた者は、いままで何人も見てきた。自らの立場のためなら恩師も、友人も、両親でさえも売るような連中だ。その手の奴らほど扱いやすい種類の人間はいない。


 ラトも可愛い可愛い虚栄心の虜ならばいいのだが。


「クラウス」

「ゴホッ、ゴホッ」

「咳発作か」

「まったく、ゴホッ、問題はありません」

「薬は飲んでるのか?」

「エンヴィー様が調合した薬のお蔭で、だいぶ楽になりました。ゴホッ」

「俺たちが山狩りをしている間、騎馬を探れ、ラト・バズ・バーンが本当に魔道の力になるかを知りたい」

「ご用命の通りに」

「無理はするなよ、クラウス。お前は魔道の要だ」

「感謝します、エンヴィー様。私のような者を重用してくださっただけではなく、ありがたいお言葉まで」


 渇いた咳をしながら去っていくクラウス。


 この不安定な盤面でこそ、慎重に動かなければならない。不確定要素をひとつひとつ丁寧に潰していき、確実に勝つ。


 一度受けた屈辱は二度と忘れない。絶対にだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る