第12話 森の子供

 変化があったのは山賊の襲撃から数日後のことだった。


 いつ敵襲があってもいいように結界は常に張っていたし周囲にも気を配っていたのだが、それは僕らの意識外で、音もなく存在していた。


「子供、ですかね?」

「こんな山奥に?」


 背丈は明らかに子供のそれ。


 肌は白く、金色に輝く髪と深い緑の瞳は、精巧な人形のような印象。性別はわからない。男なら美少年、女なら美少女と言って差し支えない容姿だ。


「声をかけてみましょう」

「待って、デジーさん」


 しっかりと結界が張られていることを確認した僕は、地図を取り出して確認した。


 僕らは日の傾きや星の位置、山の地形や潰された集落を目印に進んできた。人が多く通る山道は避け、獣道や草をかき分けて移動していたのだ。


「どう考えても妙だ」

「なにが?」

「この辺りに集落はないし、何度も魔物や魔獣と遭遇して戦闘になった。僕らが加護持ちだったから生き残っていられるけど、普通の人間、しかも子供が存在していいルートじゃないんだ」

「ならばなおさら放ってはおけない!」

「静かに……」


 この場所に子供がいるとすれば、だ。


 鬼のように強い同伴者がいるか、本人が強いのか。


 強い同伴者、つまり保護者のような奴がいる?


 子供に緊張している様子はない。こんな深い森のなかにひとりで置いていかれたら、もっと混乱するはず。恐怖を感じるか、周囲をキョロキョロと見渡すだろう。


 リラックスしすぎている。


「なにを考えているのですか?」

「あれはシーナの追っ手か加護持ちです」

「なぜ?」

「魔物や魔獣、野生の動物が多いこの森であんなにリラックスしているのはおかしい」

「つまり?」

「襲われても生き残れる自信があるんですよ」


 あれがマキナ・シーカリウスの可能性もゼロではない。


 なんたって匠の精霊の殺戮兵器の容姿は判明していないのだ。子供の姿をしていてもなにもおかしくない。


 むしろ相手を安心させるために、あのようなデザインにしたと考えれば納得もいく。


「とりあえず声をかけてみましょう。助けが必要なら保護します。敵なら倒せばいいじゃないですか」


 まったく……。


「デジーさん、あなたはどうしてそう考えなしに……」

「たしかにあの子が敵である可能性も捨てきれません。ですがもし普通の子供だったら?」

「だから普通の子供はこの場に存在しえないんだって」

「なんらかの事情があるかもしれない」

「断言する。ない。加護持ちの僕やデジーさんですら服は汚れてボロボロになっているのに、あの子は被服も顔を綺麗すぎる」

「まだ森に入って間もないのかも」

「どこから森に入るというのです? この辺りに集落、村落の類がないことは説明しましたよね?」

「捨て子かもしれません」

「シーナの軍部ですら攻略できていない殺戮兵器がウロウロしている森に子供を捨てる? 馬鹿げてる」

「でも……」

「反論がないのならアレとは接触しませんよ」


 ただでさえ辛い旅路。余計な悩みが増やすわけにはいかない。


 子供を救いたいというデジーさんの気持ちは理解できないこともないが、まずは僕らの安全、そして生活が重要だ。


「行きますよ」


 デジーさんは動かない。嫌な予感がする。


「デジーさん……」


 クルリと僕の方を向いたデジー・スカイラー。


 逃げ切るために僕らは、ずっと同じ場所を見ていた。自由のあるところ、幸福が待っている地点を。


 問題に際して初めて、夫として正面から真っ直ぐに向かい合ったデジーさんは、とても綺麗だった。一点の曇りもなく、純粋で、澄んでいた。


「どうしても助けたいの?」

「はい」

「危険だとしても?」

「いつかあなたは言いましたね。完璧な幸福を手に入れるのだと」


 短い付き合いだが、デジーさんの性格はなんとなく理解できてきた。これから彼女がなにを言うのかがわかる。


「いま、あの子を捨てればいつか後悔する、ですか?」

「やっぱりジャバさんはすごい人です。言葉にしなくてもわかってくれるんですから」


 優しく微笑むデジーさんの表情を見ていると、ふと子供の頃に父親に言われた言葉が頭に浮かんだ。


 ──立場が人を作る。父であること、夫であること、兵士であること。大事なのはお前自信が自分の役割を理解して、受け入れることだ。


 僕はデジーさんの夫としての自分を認め、受け入れた。だから欠点があろうと彼女のことが愛おしいし、大切だとも思う。


 ノリと勢いが、いつの間にか本当の気持ちになったのかもしれない。いや、もしかすると夫婦になるまえから……。


「どんなことになっても後悔しませんか?」

「あの日、世界一幸福にしてやると約束された瞬間から、私は自分に正直になると決めました。あなたの妻として誰にも恥じない生き方をしようと」


 デジー・スカイラーはたったひとりの妻。


 僕らはこの広大な世界にたったふたりきりで取り残された夫婦。


「わかりました。やりましょう」

「ジャバさん……」

「あなたの幸せが僕の幸福でもある。そしてあなたの後悔は僕の悔いでもあるから」


 とりあえず作戦を立てよう。


 あれがマキナ・シーカリウス、もしくはシーナの追っ手だと仮定する。戦闘スタイルは不明。近距離主体ならデジーさんの一撃を叩き込めば終わるが、中距離以上だと辛い。


 距離をとられた状態で僕らが使えるのはデジーさんの投石のみ。エンヴィーを相手にした時のような博打気味のやり方ではやや不安ではある。


 一度デジーさんと別れて、僕ひとりで交渉した方が賢いか?


 いやまて、デジーさんを狙われたらどうする。結界で守れないのは不安だ。


 アデュバルの超回復のせいかもしれないが、デジーさんは危機回避能力が極端に低い。どんな傷を負ってもすぐに治るから、怪我をすることに抵抗がない。


 ひとりにするのはダメだ。


「デジーさん、僕の後ろへ」

「はい」


 やはり投石しかないか……。


「石を拾っておいてください」

「わかりました」


 近距離主体なら結界を殴らせて拳や武器を潰す。中距離以上の攻撃手段を持っているなら身を守りつつ逃げる。


 もしあの子供がシーナの追っ手なら頑張って倒す。マキナ・シーカリウスなら【ブリンク】で身を守りながらシーナの軍と接触を狙ってもいい。殺戮兵器を敵になすりつけるんだ。


「指示を出すまで待機してください」

「はい」


 結界の乱用は寿命を縮める。しかし妻の望みのために使わずしていつ使うというのだ。


 覚悟を決めよう。


「デジーさん、走るよ?」


 一気に距離を詰め、結界を展開した。


 近ずいてみると、皮膚のキメ細やかな感じや瞳の美しさは遠目で見るよりずっと美しい。


 これが人の手によって作られた? そんなバカな。マキナ・シーカリウス説は弱くなったか。


「こんにちは」


 ゆっくりと上がる子供の腕。


 まずは僕を指差し、次にデジーさんを指差す。ひとつひとつの動作を確認するような、丁寧な動きだ。


「レナンの棘、アデュバルの力」


 おっと。


 これはほぼ確定。


 精霊の名を口にした、しかも間違えずに正しく。


 僕は結界を張っているが、デジーさんは力を行使していない。であるのにアデュバルの加護を言い当てたということは、僕らの人相を知っていて、かつ加護持ちであることも把握していたということ。


 皮膚や髪のクオリティから人の手によって生まれたものではないとわかる。


 とすると。


「シーナの軍人、ですね?」

「否定する」


 抑揚のない、冷たい声だ。


「ではあなたは?」

「……」


 と、少年が消えた。


 タン、と上方から足音がしたから見上げると彼は結界の上に立っていた。


「な!」


 そしてまた、消えた。


「デジーさん! 石を砕いて!」

「へ?」

「速い! まともに投げても当たらん!」

「なるほど、把握しました」


 少年が跳んだ方向に視線を送ると、そこには巨躯の獣がいる。


 ドスン、音をたてて獣が倒れた。


 あの少年がやったのか? いったいなにを……。


「デジーさん! 僕を抱えて! 逃げるぞ!」

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