結界しか張れない僕でも幸せになれるだろうか

長佐 夜雨

夫の世界

第1話 はじまり 怒り

 果てしなく続く無の空間に、『始祖』と呼ばれる精霊が生まれた。


 人智を遥かに凌駕した、莫大な力を保有する精霊だ。


 『始祖』は自らに似せて数々の精霊を生みだした。


 大地の精霊、闇の精霊、砂の精霊に水の精霊、空の精霊、怒りの精霊、秤の精霊。


 挙げればきりがない。


 世界があらゆる物質で満たされ無が消滅した頃、『始祖』は眠りについた。


 ――すべての精霊と生命が幸福でありますように。いつまでも、いつまでも。


 『始祖』はそう言い残した。


 と、されている。


 「おいガキ、なにブツブツ言ってやがる!」


 平和? 幸福? そんなものはどこにもない。


 幸福ってなんだ? 平和ってなんだ?


 至極まっとうに生きてきた僕がなぜこんな目に遭わなければならないのだろうか。まったく公平じゃない。


 「ちょっと待ちたまえ山賊A。僕はいま、考え事をしているんだ。幸福について真剣に考察している」

 「どうでもいいから、この結界を解きやがれ!」

 「なぜ」

 「テメェをぶん殴るからだよ!」

 「解けばいいの?」

 「あぁ! テメェの顔の形がわからなくなるくらいボコボコに殴ってやる」

 「優しく、殴ってくれるか?」

 「なにを言ってんだ! 優しく殴るだぁ?」

 「約束してくれたら解いてもいい。僕はもう疲れたんだ。精霊の曝露事故のせいで結界しか張れなくなっても、家族が戦に巻き込まれて死んでも、折れず、めげずに頑張ってきた。見世物小屋に飛び込んで客前で猿みたいに結界を披露したよ。プライドなんてものはゴミ箱に捨てた。いつか幸せになるんだ。そう言い聞かせて頑張ってきた。でも、もういい。山賊A。君に優しく殴られて死ねるのなら、それで……」

 「どうでもいい! 早く解きやがれ!」

 「じゃあ、解くよ? 急に殴ってきたりしたら駄目だからね? 優しくだ。優しく殴るんだよ?」


 こんな最期も、いいかもしれない。


 山賊A。


 よく見たら、いい男じゃないか。ヒゲの感じなんてワイルドで筋肉もカッコいい。こいつに殺されるのなら本望!


 僕は結界を解いて、両手を広げた。


 さぁ殴れ。


 僕を殴り殺すんだ。


 隆起する筋肉、振り上げられる拳。



 はい。



 結界。



 ゴキっ。



 「うぅぅうう! またやりやがった、このガキ!」

 「はっ……、はは……」

 「おいテメェ」

 「あはははははは! また殴りやがったこのバカ! はぁ、お腹痛い。あははははは! あぁあぁああ! 気持ち良いぃぃぃいいい!」

 「もう許さねぇ!」

 「どうするの? また殴るの? ねぇ、いまどんな気持ち? 僕ってばおバカさんの気持ちがわからないから教えて欲しいなぁ。ねぇいまどんな気持ち?」

 「テメェだけは殺す。ぶち殺してやる!」


 僕が山賊Aとじゃれていると、山賊Bが。


 「そんなガキ放っとけよ」

 「こいつだけは許せねぇよ。ぜってぇに許せねぇ」

 「バカ、そいつも言ってただろう。精霊の曝露事故が原因で結界しか張れなくなった見世物だ。そりゃ、いくらお前に力があっても割れねぇよ」

 「結界なんてどうでもいい! 俺は、このガキを殴りてぇんだ!」


 ちっ、余計なことを。


 しょうがない、教えてやるか。


 「素手で殴るから痛いのでは?」

 「はぁ?」

 「だからね、素手で殴るから痛いんだよ。ほら、そこに斧があるでしょう? それで殴ればいい」

 「なるほど! そりゃそうだ!」

 「僕はもう生きていく希望を失ってしまった。かといって痛いのは嫌だ。だから斧の一撃で終わらせてくれませんか?」

 「いいのか?」

 「もちろんですとも。賊に襲われた混乱でいたずらにあなたを挑発してしまったことを僕は激しく後悔している。間違ったことをした。せめて最期にあなたの一撃を食らって思い残すことなく、安らかに一生を終えたい。そう思う僕は間違ってますか?」

 「間違ってねぇ。テメェは正しい」

 「でしょ? いまから僕が結界を解きます。あなたは斧を力一杯その斧を振りかぶって僕の頭をかち割る。いいですか?」

 「あぁ!」

 「それではいきますよ」


 と、山賊Bが後ろから。


 「止めろよ? 殴るなよ? そいつ、絶対にまた結界を張るから」


 ふふふ、もうお前の声は届いていないよ。


 「さぁ、やりなさい!」

 「よし来た!」


 僕の頭頂部をめがけて、山賊の斧が、振り下ろされる。



 はい。



 結界。



 ボキッ。



 「いでぇぇぇぇ!」

 「マジでやりやがった、このバカ。ひぃ、ひぃぃっひっひっひっひ。おなか、おなかが痛いぃぃいいい! 死ぬ! 死んじゃう!」

 「ちっ、言わんこっちゃない。バカが……」


 ようやく見つけた食い扶持を潰したこいつら山賊どもだけは絶対に許さん。


 すると山賊Bが。


 「なぁガキ。お前さ、自分の立場わかってんの?」

 「立場? わかってるよ。せっかく就職した見世物小屋を壊されて、路頭に迷ってる。せめてあんた達に痛い目をみせようと頑張って腹いせをしていることろだ」

 「お前さ、攻撃手段がないんだろう? ずっとその結界に閉じこもってるのか? このまま俺たちに囲まれたら、どう逃げるつもりなんだ? いま素直になったら、このバカにも殴らせねぇ。おら、出てこいよ」

 「あっ、なにあれ!」


 僕は山賊Bの背後を指さした。


 「は?」


 よし、いまだ。


 僕は結界を解き、いけ好かない山賊Bの頬を力一杯に殴った。


 「テメェ!」

 「シュッ、シュッ! 僕の黄金の拳の威力はどうですか?」

 「おし、わかった。根競べだ。お前の魔力が尽きるまで俺はここにいる。結界だけの能無しが俺に逆らった罰を、きっちり受けてもらうぜ?」

 「ふふふ。ふははははは」

 「なにがおかしい!」

 「僕の魔力はすでに限界。もう結界を張る余力なんて残ってないのだ!」

 「はぁ?」

 「捕まったらどうせ殺される。最期くらい、抵抗したかった……。自分に正直に生きてみたかった……」

 「お前……」


 結界を解除。


 足元に転がっていた石を投げて、すぐにまた結界。


 「嘘だよばーか。山賊風情がなぁに同情してんだ!」

 「決めた、お前だけは絶対にぶっ殺す」

 「ほらほらどうした! かかってこい! シュッ、シュッ! 僕の拳が怖いのか?」

 「魔力が切れた時、それがお前の人生が終わる時だ」

 「魔力が……」


 切れた時が……。


 僕の人生の終わり?


 そうか。


 なるほど。


 ふふふ。


 実にくだらない人生だった。


 ガクっ。


 僕は膝から崩れ落ちた。


 このままではいずれ取り囲まれる。


 もう、終わりなんだ。


 「結界を張る余力なんて残ってない。どうやら、その言葉は本当だったらしいな。結界が切れかかってる」

 「お前なんかに……、負ける、ものか……」

 「強がりを。死にさらせこのガキっ!」



 はい。



 結界。



 ゴキ。



 「隊長! バカ2号を発見しました!」

 「お前!」

 「あひゃひゃひゃひゃ。あなたの脳はミジンコ並みでちゅねぇ。仲間の拳が潰れるのを見てたじゃないですかぁ。また殴ってくるとは思わなかった。無駄なパンチ、お疲れ様でぇす!」

 「なんて性格の捻じ曲がった野郎だ」

 「うるさい! 山賊に言われる筋合いはない! 僕は決めたんだ! これからは自由に生きる! 結界しか使えないからなんだ! 役立たずだからどうしたっていうんだ! もう誰かの目を気にして生きるは止めだ! お前らはムカつくから力の限り痛めつけてやる! 結果、僕が死ぬことになっても構うものか!」

 「いいだろう。お前だけはぶち殺す。どれだけでも時間をかけてな!」

 「やってみろバカ2号! 僕は死ぬまでここに居座ってあんたを挑発し続けてやる。そして生き残る! 精霊の曝露事故がなんだ! 僕は哀れな奴じゃない! 見世物でもない! 結界しか張れない僕でも幸せになれるだろうか。昨日の夜、そんなことを考えていた。でも、いまは違う。幸せになるんだ! なんとかして逃げて、金を稼いで、可愛い女の子と結婚して、美味しい物を食べる! いままでの不幸を全部忘れられるくらい、幸せになるんだ!」


 結界しか張れなくても、幸せになってやる!

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