第3話 夜叉

 そして日が暮れる。三成は寺の山門の下に立つと、じっと川の方角を眺めていた。とはいえ、そこには何も見えない。辺りを闇が包み込み、先ほどまでキラキラと陽の光を照り返していた川も、黒一色に飲み込まれている。水が流れる音だけが、そこに川が存在していることを主張していた。


「……来たな」


 三成はつぶやく。それは、ゆっくりとやってきて、いつの間にか一帯を覆い尽くしていた。

 白い霧。ついさっきまで晴れていたはずなのに、いつの間にか、全く気が付かないうちに立ち込めている。そして真夏にも関わらず、背筋を震わせるような寒気が、身体にまとわりついてきた。


「石田様。間違いありません、奴です」


 横にいた住職が緊張した面持ちで伝えてきた。


「よし、行くぞ!」


 三成は配下に合図すると、寺の外へと足を踏み出した。



      *     *     *



「おや、今夜は随分とにぎやかじゃなあ?」


 女の声。配下が松明を掲げる。霧に反射してはっきりとは見えないが、橋の中央に白い影が佇んでいた。形、大きさ、どちらも人間と対して変わらないように見える。が、あくまでそれは遠目に見た姿かたちだけだ。橋に近づくごとに、寒気はよりはっきりと、三成の身体を包み込んだ。霊気、あるいは邪気というヤツだ。


「この辺りの者ではないな? さては都から来たといいう関白の軍勢か?」


 橋のたもとまで来ると、その姿ははっきりと見えた。女の姿。ただし、その肌は透き通るように白く、結いもせずに風に流されるままの長い髪の毛は、真剣の刀身のような青い光を放っている。そして、その髪の隙間からは、左右一対の鹿のような角が伸びている。明らかに人間ではない。


「貴様か、夜な夜な荷駄を奪い、民を苦しめているというクズは?」

「う~む、見解の違いじゃのう」


 物の怪はニヤリと笑った。その風貌を見るに夜叉の類か? 夜叉は美女の姿をした鬼の一種だ。軍神・毘沙門天の眷属でもあり、武者の放つ陰の気につられて戦場に姿を現すという。橋の上の女も、胴丸や篭手、すね当てと言った戦装束に身を包み、腰には太刀をいている。


「わらわは民の犠牲を未然に防いでやったのだ」


 夜叉は続けた。


「防ぐ?」

「考えてもみい。こんな夜更けに走る荷駄などロクなもんではない。おおかた、戦のために決まっておろう。じゃが戦は、そなたら都の軍勢の勝ちじゃ。無駄な抵抗は、いらぬ犠牲をふやすだけ。妾がそれを奪うことで、死ぬ必要のない若者が助かるかもしれんのじゃ。彼奴きゃつらと戦った、そなたらにも感謝して欲しいのう……」


 三成は、まずは夜叉に語りたいだけ語らせてやった。なるほど、それが奴の言い分か。


「フフフ……実にクズらしい、話にもならぬ詭弁だ」

「なんじゃと?」

「既に戦は終わっている。もし、貴様が我が軍を助けたつもりならば、役目は終わった。すぐに立ち去るがよい」

「終わってる? はっ、わからんぞ? まだこの地には反攻を狙う落ち武者も多い。それに……」


 夜叉は、あざけるように鼻を鳴らした。


「この辺りに攻めてきた将は、三流成り上がりの無能軍配師というじゃないか。どうせ、この地を治めることなんぞ出来ぬさ!!」


 アハハハハッ……と、女は高らかに笑った。


「……黙れクズが」


 三成の声が低くなった。


「なんじゃ? 上官を笑われて腹が立ったか?」

「……人だ」


 怒りを押し殺した三成の声は小さく、橋の上まで届かなかった。夜叉は耳に手を当てて聞き返す。


「はぁ?」

「本人だと言ってるんだよ!? ぶちコロすぞこのクズ!!」

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