第2話 しなね屋にて

 気づくと目の前が暗くなっていた。

 ……いや、単純にバイザーが前を覆っているだけか。

 どうにもずいぶんとのめり込んでいたみたいだ。VR装置をつけたのはついさっきのはずなのに、それがずいぶんと前のことの様に感じる。


 すっと音もなくバイザーがあがった。突然入ってきた光に目をしばたたかせる。

 目の前はさっき見たばかりのおもちゃ屋だった。アナログゲームからレトロゲー、最新ゲームまで実機で取りそろえている。そんな近年では珍しい店だと驚いたのも、今は昔のようだ。


「どう? 響君。面白かったでしょー」


 未だ考えのまとまらない俺の目の前に、にゅっと顔を突き出してくる女性がいた。

 木屋橋光音みつねさんである。

 彼女は満面の笑みでこちらに顔を近づけて……、近づけ……。

 いや近い、近すぎるだろ! もうたった数十センチ前に顔があるよ!

 これは色々と勘違いしかねない事態ですよ。


 だって目の前には少しつり上がった糸目の愛嬌のある顔に、似合いのショート髪の美女が笑みを浮かべているんだ。

 しかもだ。少し視線を下げれば、何がとは言わないが盛り上がった彼女の一部分、もといバッグのひもで見事に分かたれた二部分が見てとれてしまう。

 これはやばい、俺だから冷静に対処できてるけど、禁断の全寮制男子校時代の友人、佐藤君だったらどうだろう。

 彼女を見た瞬間に一目惚れ、この状態になれば相思相愛。すぐさまハネムーンにいってしまいかねない。

 いや、それよりも前に激しい動悸めまい息切れで倒れてしまうかもしれないな。

 ……まてまて、佐藤君のことはこの際どうでもいい。今問題なのはこの距離の近さである。


「おーい、どしたー?」


 木屋橋さんが俺の目の前でパタパタと手を振っている。

 ……やめて、いややめないで。何がとは言わないが、かすかに揺れてるの……。


「ちょっと姉さん、響も初のVR体験で混乱してるんだろうから、ちょっと待ってあげなって」


 木屋橋さんが、腕を引っ張られて離れていった。

 引っ張ったのは木屋橋金長かねなが。木屋橋さんの弟である。


「ふぅ」


 俺はVR装置の椅子に深く身体を沈め、でてもない汗を拭う。

 木屋橋さんが離れたのはちょっと残念だけど、金長ありがとう。あのままだと冷静さを失い暴走していたかもしれない。

 中学高校と男子校だった俺にはちょっと刺激が強すぎるよ。

 さすが三年来の友人だ。ぐっじょぶである。

 とはいえ金長とリアルで会うのも初めてなんだけどな。見た目もこんなに小柄だとは思いもしなかったよ。

 だってゲームでの金長のアバターは……。

 いやまあ、今はそんなこといいか。それよりも、


「ごめん。金長、木屋橋さん。あんまりリアルな体験でちょっと混乱してた」


 改めて二人に向き直った俺に、木屋橋さんが詰め寄ってきた。


「だーかーらー、木屋橋じゃなくてキツネでいいって言ってるでしょ。大体こっちは二人とも木屋橋だから混乱しちゃうじゃない」


 いや、確かにそうかもしれないけど、出会ってすぐの女の人をあだ名呼びするのは、やっぱりためらいがある。

 最初提案された、名前呼び捨てよりはましだけれども。


「……えっと、じゃあキツネさん?」


 伺うように言ったら、キツネさんは顎に手を当て考え込み、そして鷹揚に頷いた。


「ふむ……。今のところはそれで許してあげましょう。……それよりもどうだった? 最後ドラゴン相手に、派手に召喚魔法ぶっ放してたみたいだし。楽しかった?」


「う、うん。そりゃあ楽しかったですよ。何より没入感が半端ないって言うか……。ってそれよりキツネさん、なんでドラゴンと戦ったって知ってるんですか?」


 自分の体験が知られていたことに驚き、キツネさんに聞くと、彼女はモニターを指さして言った。


「そりゃあれに映ってたからに決まってるじゃん」


 キツネさんの指さした先のモニターでは、鍛冶場だろうか、髭もじゃ短躯の男が炉の前で巨大な鱗に槌を打ち付けている。画面の右下にはヴァルホルサーガオンラインのロゴがあった。


「あれですか? 見たところ、ドワーフが火竜の鱗を加工してるしてるように見えるんですけど……」

「そそ。さっきまであそこに、響君がドラゴンと戦ってる姿が映ってたの」

「マジですか……」


 思わず頭を抱える。

 聞くところによると、体験できるムービーには何種類もあるらしく、過去のものを含めそれぞれがそのままモニターに映されているらしい。

 しかも、同店舗内で体験プレイ、特にリアルタイムにしているものは、優先的に流されるというのだ。

 ということは、さっきの俺の惨状は、この二人にばっちし見られてたというわけか……。

 なんというか恥ずかしいな、それは。


「つまり響君が召喚獣を失ったとき怒ったのも見てたってことよ」


 キツネさんが微笑みながら言った。


「げ、そんなところまでわかるんですか」


 頬が上気するのが自分でもわかった。

 モニターを見るとドワーフがとても楽しそうに槌を振るっているのがわかる。

 俺もあんな風に感情を出してたのか……。


「ごめんね響。でも感情移入できるって悪いことじゃないと思うよ。そういう人結構多いしね」


 そう言って金長はフォローしてくれるが、恥ずかしいことには変わりない。


「そうそう金ちゃんの言うとおりっ。そ、れ、に。体験ムービーが召喚使い魔系の人って、感情移入の度合い高めみたいだしね」


 キツネさんが指をぴっと立てて言った。


「な、なるほど……」


 俺はキツネさんの指に気圧され顔がのぞける。でもそのおかげで気を取り直すこともできた。


「でもキツネさんのその言い方だと、ランダムでムービーが選択されるんじゃなくて、その人ごとに体験ムービーが決まってるって感じなんだけれど……」

「お、いいところに気づいたね~。そういうこと、個人個人で決まってるらしいのよ。詳しくは金ちゃんよろしくっ」

「よろしくって姉さん。僕もそんなに詳しいところは知らないよ?」


 そう言って金長が説明してくれたところによると、個々人のゲーム履歴や趣味嗜好を分析してその人に合った職業の体験ができるようになっているらしい。

 その中には、今モニターで流れているように生産や商売メインだった人もいるみたいだ。あと、討伐系だとレッドドラゴン退治をする割合が多いらしく、ドラゴン退治がメインイベントの一つになるんじゃないかって話題になっているらしい。

 ちなみにキツネさんは闘技場での対人戦、金長はヒーラーとしてドラゴン退治に参加したようだ。

 参考程度にって言ってるけど、これを聞くとその人に合った職業っていうのもあながち間違いじゃく思えてくる。特に金長。こいつは基本どんなゲームもヒーラーだったからなぁ。


「と言うわけで、今夜このゲームのβテストがある訳なんだけど、響も一緒にやらない?」


 金長がそう誘ってきた。


「響君がVRゲームをするためにこっちに来るって話を金ちゃんに聞いて、どんなゲームを紹介しようかって話してたんだけどね。どうせならおんなじスタートラインにしたいって言うことでこれを選んでみましたー! どう?」


 キツネさんも大きく腕を広げ誘ってくれる。


 なるほど。出会ってそうそうこの店に案内されたのは、そういうわけだったのか。

 というか、一応大学進学のためにこっちに来たのであって、VRゲームをするために来たんじゃないけどな。

 まあ、じじいのせいでVRに触れることはなく、しかもVR禁止の山奥の男子校に放りこまれてたからなぁ。VRにひとかたならぬ憧れはある。

 そのことを金長にネットで愚痴ってたのも確かだしね。あながち違うとも言い切れないか……。

 それにやっぱり、自分のために二人が考えて選んでくれたってのは嬉しいな。

 後、このゲームのシリーズ、非VRのものは一通りやったことがあるっていうのもポイントが高い。それもあって金長はこれを選んでくれたんだろう。


 だから俺は、二人に頷いた。


「もちろんいいですよ。ただ俺、まだVRの登録してなくいんですよね。大学の保健センターでやろうと思ってたから、今から急いで行かなきゃですけど……」


「ふっふっふー。このキツネさんに万事抜かりはない。そのためにこの店を選んだんだから。さあ、しなねのお爺ちゃん出番です。どうぞ!」


 そういって胸を張ったキツネさんが手招きすると、店の奥から小柄なお爺さんが出てきた。


「さてご紹介にあずかって出てきた、しなね屋の店主のじじいじゃよ。つーかさっき坊主にVR機器のセットをしたのワシなんじゃから、わざわざこんな演出せんでもええじゃろうに……」


 若干あきれた顔で言うお爺さんにキツネさんがさらに胸を張る。うん大きい。


「そんなの様式美に決まってるじゃない! それよりこのお爺ちゃん、見た目によらずVR関連の資格持ってるのよね。さあ、ちゃちゃっと登録してやってちょうだい」

「まったく、じじい使いが荒いのぉ。とはいえその必要はないぞ。坊主はとっくの昔にトリアルナ、要はVR関連の登録がされておるからな」

「え!? どういことですか?」


 お爺さんの言葉に、つい大きな声をあげてしまった。

 うちのジジイの方針で、生まれてこのVRと無縁の生活を送ってきた俺がVR登録済みとか、訳わからんのだが……。


「さっきの体験版の最初、認証中にエラーがあったじゃろう?」


 ……ふむ。そういえば最初にそんなものを見たような気もするけど……。

 頷く俺にお爺さんは続ける。


「さっき軽く調べたら、トリアルナに登録されたのは十六年前、登録に年齢制限ができる前のようじゃな。物心つく前なんじゃから覚えておらんのも無理はないじゃろう」


 ふむ、ますます持って訳わからん。


「何やら腑に落ちない様子じゃが、話を続けるぞ。まあ続けるとは言ってもな。登録自体はできてるようじゃから講習も必要ない。VRについての簡単な説明や注意点だけしとくかの」


 そんな感じで始まったお爺さんの説明によると、今現在のVR技術は二十五年前にリエージュコーポレーションが開発に成功したものだそうだ。

 当時から時代の先を何歩も行く技術だったらしいが、驚いたことに現在も追いつけていないらしい。

 当然リエージュコーポレーションはVR技術を使った事業を展開しているが、二十年前に起きたVRMMOでの事件以降、VRMMOのゲームは開発していないようだ。まぁ、リエージュが出してないだけで、他の会社は出してるみたいだけどね……。

 現在行われているVR導入の際の登録制度も、その事件が発端となってできあがったものらしい。

 俺の登録申請は、その過渡期にされたもののようだ。

 また、リエージュコーポレーションが技術を独占している理由の一つに、特許申請をしていないというのもあるらしい。

 特許申請をされていないと言うことは、技術の公開もされていないと言うことだ。加えて技術の根底にあるシステムについてはハード・ソフト両面からブラックボックス化されており、その解析も契約で禁止されている。

 無理に解析しようとした企業や、禁止されている軍事利用に乗り出した某国は、メンテナンスや修理を拒否されて、ハード自体が使用不能になり、その国ごとVR事業が衰退してしまう、なんてこともあったようだ。


 そんな感じでリエージュが独占しているVR技術だが問題がないわけではない。

 その中でも大きな問題の一つが、レーテメモリアという高加速VR空間での体験のことだ。

 加速された空間での出来事は人によって記憶のされ方が違う。5倍程度までの加速であれば、現実と同じように覚えていられる。

 だが、それを超えると人によってはレーテメモリア――きっかけがないと思い出せない夢のような記憶――になっていく。そして10倍を超えるとほぼすべての人の体験がレーテメモリアになってしまう。

 まぁ、このおかげでいわゆる精神年齢と肉体年齢の乖離については、抑えられているといえるだろう。

 まれに、どんなに加速しても通常通り記憶している人がいるが、そういった人はVR登録する際に判明させて、通常加速限定での利用となる。

 そういうものも判明させるための登録制度でもあるらしい。

 とまあ、こういった事情から1日のVR加速制限があり、通常加速――3倍まで――は5時間以内、それ以上の高加速は3時間以内と決まっているようだ。


「とりあえずはこんなところじゃな。後はこの冊子でも読んで勉強すりゃあえい」


 説明が終わり大きく息をつくと、お爺さんはVR教本を渡してきた。


「そうそうちなみにな、お前さんたちがやろうとしてるゲームじゃが、一日三時間の高加速時間をフルに使ってするみたいじゃからの。今晩やりたいんじゃったら、調子に乗ってエロVR見て貴重な時間を消費しないように注意するんじゃぞ」


 しねーよ。卑猥な指を作るんじゃないよ、おじいさん。


「ほっほう、ちなみにえっちぃのにも高対応のVRセットならこれになるよ」


 キツネさんもにまにましながら、一つのVRセットを指さしてきた。


「しませんって。……ていうかそれ、めちゃくちゃ高いやつじゃないですか。そんなもの勧めないでください。それにうちは居候先の清川の叔父さんが入学祝いにVRセットを用意してくれたから必要ないですって」

「なんじゃ!? 坊主は清川んところの甥っ子だったんかい」


 お爺さんが目を大きくした。


「え、ええ。そうですけど。知ってるんですか?」

「あの夫婦が学生の頃から知っとるわい。あきらちゃんもたまにこの店に来るぞい」


 そう言って、お爺さんは目を細めひげをしごく。

 

 暁ちゃんはこれからお世話になる清川夫妻の娘で、俺にとってはいとこに当たる子だ。多分今は15歳かな?

 昔俺がこっちに住んでた頃は、ずっと後ろにくっついていたような子だったんだが、叔父さんの家に着いたときに一回顔を合わせて以来、顔を見ていない。

 なんだか避けられてる気がするんだよな。初めて会ったときに青い作務衣をかっこよく着こなしてたから、どうやったらそんなに着こなせるか聞きたかったのに……。

 まぁもう何年も合ってなかったし、仕方ないか。年頃だしな。


「それにしても清川んところの甥っ子にVRについて語るとは、釈迦に説法もいいところじゃったのう」

「え!? 釈迦に説法ってどういうことですか?」

「なんじゃ知らんかったんか……」


 お爺さんは、ふむと頷き教えてくれた。


「坊主の叔母さんはリエージュの社長の娘じゃしな。夫婦そろってリエージュの社員じゃよ。確か専門はAIだかロボットだかの開発責任者だったかの……。だいたい家にメイドロボがおったじゃろ? 不思議に思わんかったんかい」


 若干あきれた顔で爺さんが言うが、叔父さんの補助と目の不自由な叔母さんの介護のためのロボットだって聞いてたから仕方ないじゃないか。確かに普通に叔母さんの手伝いして、自然な受け答えもしてたから、すごいとは思ったけれども……。

 俺が山奥にいた六年の間に科学ってすごい進歩したんだなって思ったんだよ。

 そういや叔母さんも目が不自由と言いつつ普通に歩いてたよな。視覚補助のカメラが至る所にあるとは言ってたけど、そのすごさもあってメイドロボのことまで気が回らなかったというのはあるかもしれない。


「ちょっと待って、メイドロボですって? そこの話詳しく!」


 清川家のことを考えていると、突然キツネさんが身を乗り出してきた。


「ちょっと姉さん、いきなり何言ってるのさ」


 金長が止めるのも聞かずまくし立てる。


「だってメイドロボよ、メイドロボ。男の夢のメイドロボがすぐそこにあるのよ。しかもアルヒを抜いてAIアンドロイド業界トップのリエージュの開発したメイドロボが! そりゃ興奮するなって言う方が無理でしょう。もしかしたら会えるかもしれないのよ! 金ちゃんも仮にも男ならわかるでしょ」

「え? いや、わからないよ……。大体、男の夢って何さ。姉さんは女じゃないか。それにそんなこと突然言われても響だって困るよ」


 あまりの勢いに、金長もたじろぐ。


「そんなことないわよ。ね、響君。会えるように叔父さんに頼んでみてくれないかな?」


 キツネさんが俺の両手を包むようにしてぎゅっと握ってきた。

 くっ、やわらかい。おまけに目線の下に大っきいモノまで近づいてきた。顔が動きそうになる。

 が、我慢だ……。

 危うく肯きそうになる首を、理性を振り絞り、キツネさんの顔から下に動かないよう固定する。


「ダメかな?」


 なおも小首をかしげ頼んでくるキツネさん。

 ぐぬぬ。破壊力が高い……。それでもなんとか自制心を振り絞り……、


「ま、まあ。頼んではみるよ」


 そう答えるにとどめた。

 俺の一存じゃ決められないからな……。

 ただ、その答えで満足したのか、キツネさんは小さくガッツポーズを決める。


「よし! メイドロボについてはこれでオッケー。ついでに響君のVR環境についてもオッケー。今晩からよろしくね。早めにキャラ設定とかしておくのよ」


 喜ぶキツネさんを見て、金長もお爺さんも苦笑している。

 そりゃそうだ。メイドロボについてはオッケーかどうか、まだわからないんだもんな……。

 そう思いつつも、改めて差し出されたキツネさんの手を強く握った。

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特集:リエージュコーポレーションはAIでも最先端を行けるか、より


みなさんご存じの通り、世界で初めてVRシステムの開発に成功した会社だ。

創始者にして開発者である女性は社長として一線を退いているが、このたびまたも新技術を発表した。

介護、生活補助を目的としたAIロボットである。

同社の発表によると、従来のものとは違いコミュニケーション能力を重視しているらしい。

開発主任のモットーは、「我々に必要なのは良き隣人であって、都合の良い人形ではない」だ。

来年の春にはテストケースでの運用も考えられているそうだ。

もしかしたら数年後には我々のそばに新しい友人が生まれているかもしれない。


なお予断であるが社名は社長の友人の名前からとっているという話だ。

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