第二話 上の空メモリーソング

 きっと華馬倉かまくらくんが私を見つけるのだろうという予感に背中を押されながら、潮風漂う道を歩く。

 その足取りは、いつもよりもずっと朗らかで、私にしては珍しく上機嫌だった。


 自分の名前を確認するようにこめかみを抑えて行う、毎日の儀式。

 点になって張り付く痛みが、私に「普通」の仮面を与えてくれる。

 ただの十六歳、きっと何者にもなれない私は普通の妻毬白音つかさシロネ、真っ黒に認識される女子高生。

 仮面の隙間からささやく、普通にはなれないと言う声が、仮面に押しつぶされて変なうめき声を上げた。

 ぴぎゃあ、とそれは、踏まれたカエルみたいだった。


「暑い」


 飽きもせず照り付ける太陽に伸ばされた私の影は、道路に差した木々の影と混ざって一つになった。涼しい。他と混じって見えなくなる、そんな程度の私。

 なのに、いくら装っても私の中の私は仮面に重ならないで浮いている。

 四角い箱に三角の積み木を入れるようなものか。

 入れ物が大きければいいのに、あいにくと私は等身大のサイズしか知らない。


「一人雨を見させて 夢から覚めるまで 明日の炎揺られて 昨日の町覗いた」


 適当に口ずさんだ歌は、やけに心地よかった。


「今にも溶けそうな」


 思い出すでもなく、いつか好きだった気がする歌を私は半分無意識に口にしている。

 何だっけ、よりも先に懐かしさがこみ上げる。


「海と空の境界で」


 短いフレーズが、ぐわんぐわんと頭の中を巡っていた。


「あなたと出会えた事幸せと思い出す」


 その記憶の形は、私に収まろうとしているみたいで、それが出来ずに漂うばかりだ。


「白音!おはよう」

「華馬倉くん」


 肩を軽く叩いて微笑んだのは、謎多き我が恋人だ。今日も相変わらず凡庸だった。


「どうしたんだ、その歌?」

「歌?」

「うん。今歌ってた」

「……聞こえてた?」

「うん」


 どうやら聞こえていたらしい。

 どう答えようかと思ったが、昨日の女教師が言っていたみたいに、別に隠す事もない。どこで聞いたのかも覚えていないぶん、情報量は女教師よりも少なかった。


「なんか、どこかで聞いた事ある気がして。多分、好きなのかな」

「曲名とかは?」

「分からない。聞き覚えもない。けど、前に聞いたような気はする」

「曖昧だね」


 全くだ。


 ふーんとかほーんとか言っていた華馬倉くんは、自分から話題を振るタイプではない私に変わって、今日も楽しそうに話しかけてくる。

 そんな私は、通学路にまた例の転校生がいやしないかと目だけが忙しない。

 きょろきょろと彷徨ってみても、どこにも見たい姿は見えなかった。


「気になるの?転校生の事」

「えっ」


 藪から棒にそう言った華馬倉くんは、頭一つ分大きな身体で私をのぞき込んでいた。


「だって、何だか上の空できょろきょろしてるから」

「……」


 正直、意外だった。

 華馬倉くんがそれを言い当てた事が。観察力があるような印象は受けなかったのに。

 私は今、自分がどんな顔をしているのか分からなかったが、ただ、唇がへにょっとした微妙な表情だろう事はなんとなく分かる。


「まあ、噂になってたし」

「そっか。俺も気になるな。いつ来るんだろう」


 話を合わせてくれた華馬倉くんは、本当に気になっているのか、ぼうっとした調子で呟いた。

 見上げてみると、華馬倉くんは、どこか遠い目をしていた。


――華馬倉くんは、私と違って普通の男子高校生だ。


 私の中で、毎朝浮かぶ言葉が弾けた。

 何か、引っ掛かる。


「……案外、今日ウチのクラスに来たりして」

「おっ、そしたらジュース一本奢るよ」

「あー、いや、じゃあ私もその時は奢る」

「それじゃあ意味ないじゃん!」


 歯を見せて相好を崩す華馬倉くんは、それからはまた私の知っている華馬倉くんに戻る。

 何だったのだろう、と気になっていたのは、学校に着くまでで、それから先は今日私のクラスに来るというあの子の事ばかり考えていた。

 いや、一つだけ華馬倉くんの事もある。

 とりあえず、私は八百長になりそうなジュース勝負をなんとか回避できたな、と。

 そんなこんなでホームルームの鐘が鳴った。八時三十分のサインは、学校中に駆け回る。

 気だるげな日直の起立と礼を聞き流し、そわそわしながら担任の話を聞く。

 そういえば、こんな風な朝を迎えるのは初めてだ。いつもは、何も考えずに先生の口の動きを追っているだけなのに。


「えー、それじゃあ、連絡のあるヤツはいるか?」


 出席を取った後は、いつもなら先生から一言二言、私にはほとんど覚えられない話があるはずなのだが、今日はなかった。代わりに、最後に聞くはずの、連絡の有無を頭に持ってきた先生は、ちら、と私を見た気がした。

 なんだろう。


「うん、じゃあ本当は最後にやるつもりだったけど、気になるヤツもいるみたいだから、先に紹介する事にするぞー」


 そこで私をもう一度見た。

 ……ああ、私の事か。

 華馬倉くんにも言われたけど、そんなに分かりやすいだろうか。

 駄目だ、もっと普通にならないと。

 心の中でぎゅむ、と仮面を押し付けていた私は、先生の「入っていいぞ」の声で我に返る。


――ガラガラ。


 使いなれた教室の引き戸が、いつもと違う空気を連れて開けられた。静まり返った教室に、先生の手招きで入ってきたのは、聞いていた通り、あの子だった。あの子が転校生で間違いなかったとほっとするのと同時に、近くで見るあの子に、私は息を呑む。


「あー、今日からこの学校に転校してきたんだ。ウチのクラスに来る事になった。ほら、自己紹介」


 静かだった教室は、あの子が口を開く前にざわざわしだした。

 あの子は教壇には上がらず、教室の中を見渡している。

 膝にかかるくらいの丈のスカートを履く私には出来ないくらいの太もも半ばのミニスカートに、黒のソックスを二つ折りにしている。力を抜いて降ろされた腕は華奢で、私よりもしなやかそうだ。右手の指の小指には昨日見た銀の指輪がめてあり、左手の小指にも同様に銀が鈍く光っている。


 また、背中で揺蕩たゆたう赤に近い茶色の長髪は、音の流れる譜面みたいに滑らかに踊っている。触れれば指の間からするすると落ちてしまいそうなくらい線の細い印象だ。前髪は右に流し、赤の髪留めでパチン、と抑えている。その色素がどこか幼さを感じさせながら、肌が見えやすい分け方は垢抜けて見えて、私には噛み合って見えなかった。


 そして――。



「……っ」

「……!」


 私を見て、あの子は複雑な――重苦しいような、痛みを伴っているような、そんな表情を見せた。

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