青朽葉 -あおくちば-

 月曜日の朝、出勤の準備をしている途中に、彼女は出勤してきた。


「掃除だけでいいんですよね?」


 って、挑戦的な笑顔で。


 掃除だけなんだから、もっと遅くに出勤してきてもいいのに。

 月曜日は全体朝礼があり、今日から新社長の彼がみんなの前で挨拶をするらしい。

 だけど私はわざと朝礼には行かず、研究室で電話番をしながら、コンビニで買ってきたスムージーを飲んでいた。










 朝礼が終わって、社員がぞろぞろと部署に戻って行く中、

 うちの研究室の同期の凌太が、含み笑いでさりげなく隣の席に座ってきた。


「旦那さん、カッコよくね?」


 小声でそんなことを言っては、私の反応を窺ってくる。


「そう?」


 そっけなく返してるのに、凌太はまだその話題をやめてくれない。


「そんなイケメンの旦那さんとの、初めての夜はどうだった?」


 涼しい顔をして、いきなりそんなこと聞く?

 絶対、答えてやらないけど。

 …てか、答えられないよね。

 初めての夜なんて存在しなくて、結婚式の夜からもう既に別居婚だなんて。










「今度、家に遊びに行っていい?」


「…何で?」


「豪邸なんだって?

 タワマンの屋上ワンフロアぶち抜きって聞いたけど」


 …情報が早いな。

 どうせ情報通の女子社員達から聞きつけたんでしょ?


「無理」


「だから何で?」


 いつもこれだもん。

 他の人には無関心なのに、私にだけはやたら興味津々で困る。


「もしかして旦那さん、いきなり男の同僚とか訪ねてきたら、怒っちゃうタイプ?」


 そうやって、意味ありげにじっと見つめてきても無理だから。

 大体、怒るわけがない。

 彼は私のことには無関心なんだから。

 よそで恋愛するのを推奨してくるくらいなのに。









 そんな話をしていたら、秘書に伴われた彼が研究室に入ってくるのが見えた。

 反射的に彼に背を向けて、パソコンに向かうふり。


「…旦那さん来ちゃってるけど、いいの?」


 凌太も隣で仕事をするふりをしながら、小声で囁いてくる。

 きっと、秘書に社内を案内されてるんだろう。

 私はひたすら気配を消して、彼が通り過ぎるのを待っていた。


 なのに…、

 何で私の隣で、立ち止まっちゃうかな。


 わざわざ私の顔を覗き込んでは、


「出社してたんだ?」


 なんて微笑みながら。


 …待って。

 これは何のデモンストレーション?

 新婚ラブラブですって雰囲気をわざわざ醸し出してきて、一体それって誰に向かってアピールしてるわけ?






 そのままフリーズしていたら、彼は私にしかわからないように軽く睨みつけてきた。

 まさか…、私にも同じようにしてみせろってこと?

 変な沈黙が流れて、周りの社員達も固唾をのんで成り行きを見守っている中、

 意を決して、私も彼にとびきりの笑顔を作って見せた。


「今日はお帰りは遅いんですか?」


「今日はまだわからない

 でも、夕食は家で食べるかな」


 貼り付けたような笑顔を浮かべて、私の肩に柔らかく手のひらを乗せると、彼はそのまま研究室を出て行った。










「ラブラブじゃん」


 凌太はまたぼそっと耳元で囁いては、自分の席に戻っていく。

 いつまでこんな演技をしなきゃいけないわけ?

 みんな私達が政略結婚って知ってるんだから、わざとらしく仲睦まじいふりなんてしなくていいのに。


 しかも、夕食は家で食べるって?

 お互いの部屋で、別々に食べるって意味でしょ?

 そんなことを考えていたら、廊下側の窓から彼が手招きをするのが視界に入ってきた。

 …廊下に出て来いってこと?










 トイレに立つふりをして廊下に出たら、少し離れた場所で偉そうに壁にもたれて彼が待っていた。


「若葉が朝から泣きついてきたんだけど」


 …は?いきなり何?

 意味わかんないんですけど?

 彼女なら今朝はご機嫌で、勝手に部屋の鍵を開けて入ってきてたけど。


「掃除しかさせてもらえないから、私の仕事がないって」


 よくもまあ、そんなことが言えたもんだよね。

 私を陥れて、自分を持ち上げようって作戦?

 …古典的すぎて呆れるわ。


「使用人を上手に使うのも、妻の務めなんじゃないの?」


 妻の務め?

 何それ。

 じゃあ、目の前にいるこの人は夫の務めを果たしてるとでも?

 そう言い返したいところだけど、今日はそんな元気もない。


「あと、さっきの夕食の話だけど…」


「わかってる

 自分の家で食べるんでしょ?」


「わかってんならいいけど」


 そう言い残して立ち去ろうとする彼に、なんだか腹が立って、つい引き止めてしまった。


「あんな茶番、必要?」


「何、茶番って」


「仲のいいふりとか、しなくてもいいんじゃない?

 少なくともうちの社員は、私達が政略結婚ってことは知ってるんだから」


 彼は私の言葉を黙って聞いていたけど、そのまま返事もせずに立ち去ってしまった。


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