濡羽色 -ぬればいろ -

 黒いゴツめの外車が、どうやら彼の車らしい。

 なんだか、彼らしい車だと思った。

 武骨でスマートで、そして融通がきかなさそうな。


 助手席に乗せてもらっても、彼は一言も口をきかない。

 新居までの20分ほどの道のりで、彼は2回の溜息をつき、3回の舌打ちをした。

 これから新居に連れて帰る新婦を乗せた車の中で、3回も舌打ちする?

 私達にはこの先、どんな結婚生活が待ち構えてるんだろう。










 新居は都内の一等地にある高級マンションの最上階。

 このマンションは彼の実家のもので、最上階は私達のためにリノベーションされたらしい。

 要するに最上階は全て、私達の新居となるわけだ。


 最上階のフロアには、大きな扉がひとつと、廊下の端っこに小さなドアがひとつ。

 彼は大きな扉の鍵を開けながら、


「荷物、奥の部屋に入れといたから」


 事務的にそう言うと、部屋の中を案内してくれた。


 …とにかく、すごいんだ。

 床は全て大理石で、玄関からの廊下がまた長くて。

 途中に無駄に大きなリビングがあって、その奥には寝室やバスルームがあった。


 寝室…。

 今夜からここに私達は寝るわけ?

 まだろくにお互いのことも知らないのに?










「毎日、家政婦が来ることになってるから

 家事はしなくていい」


 家政婦!?

 毎日家政婦が来るの?

 まあ…、この広い部屋を毎日掃除するなんて、私にはできないかもしれないから、ありがたいけど。


「あと、これ

 渡しとく」


 ポケットの財布の中から、彼は黒いカードを差し出してきた。

 ブラックカードだ…。


「家族カードを作っておいた

 自由に使っていいけど、無駄遣いはしないように

 カードの使用明細は、毎月俺がチェックするから」


 うわ…、細かそう。

 細い銀縁の眼鏡をかけて、お金の計算をしてる姿が簡単に想像できるもん。


「現金は寝室の引き出しの中に入れておいたから

 とりあえず500万

 なくなりそうになったら言って」










「じゃあ」


 そう言うと彼は、いきなり玄関から出て行こうとして、思い出したかのように振り返った。


「あ、ここは2人の部屋という名目になってるけど、あんたが1人で住んでいいから

 俺はこのフロアの一番奥に部屋を作ったから、普段はそこで過ごす」


 …待って!

 じゃあ、あの小さなドアはこの人の部屋だったわけ?


「じゃあ、食事は?」


「あっちの部屋にキッチンもあるし、食事は自分でなんとかする。」


 ということは…、私はこの部屋で1人で暮らすわけ?

 玄関で靴を履いた状態で、彼は私に向き直った。


「俺がこの部屋に来るのは、来客がある時くらいだと思う」


 さっきから、これを聞いていいのかどうか猛烈に悩んでて。

 だけど、我慢できずに質問してしまった。










「もしかしてこれって、偽装結婚ですか?」


 その言葉に、彼は露骨に厭そうな顔をして、


「お互いが今まで通りに生活するだけ

 今更、誰かと暮らすなんて俺は無理だから」


 感情のない声で、そう答えた。


「あんたもその方が楽だろ」


 別に名前を呼んで欲しいとは思わないけどさ、あんたはなくない?

 そんな私の感情を読んだのか、


「人前では名前で呼ぶから

 あんたも俺のこと、名前で呼べばいいよ

 でも呼び捨てじゃなくて、さん付けで呼んでくれる?」


 相変わらず私をあんた扱いしといて、自分はさん付けですか。


「あと、敬語もやめて

 人前では敬語でいいけど、普段は敬語なしで

 なんか、むず痒いから」


 言いたい放題じゃん。

 さっきから条件ばっかなのも気に入らない。

 親会社と子会社の立場を、家庭内に持ち込まなくてもよくない?









「もしかして期待させてた?

 一緒に暮らしてるうちに、愛情も湧くんじゃないかとか」


 …思ってたよ。

 確かに政略結婚だけど、好きになれたらいいなとか。

 なのにこの言い草。

 この人は…、人を傷つける天才だわ。


「そういうわけだから、俺に期待しないで

 愛されたかったら、よそで恋愛してくれればいい

 但し、絶対にバレないように」


「…バレたら、どうなんの?」


「会社に傷がつくだろ。

 そんなこともわかんない?」


「もし私が他の人と恋愛して本気になったら、別れてくれんの?」


「それは状況にもよる

 会社的にあんたがもう必要ないと認定されれば、解放されるんじゃない?」


 最悪だ、この人。

 でも私は、この人と結婚しなければいけなかったから。

 他で恋愛してもいいなら、割り切るしかないのかな。









「それから、仕事は辞めてもらっていい?」


「だって経営に関わらない条件なんだから、普通に働いててもよくない?」


「部署、どこだっけ」


「例の新薬の研究室」


「…ああ、あんた研究者なんだっけ?」


 そんなことも知らないで結婚したわけ?

 まあ私もこの人のこと、何も知らないけど。





 私の結婚は、政略結婚の偽装結婚で、花も咲かなければ実りもない、そんな結婚だった。

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