第42話 凛

「えっと、凛じゃないか、どうしたんだ?こんな時間に、眠れなくて散歩でもしていたのか?」


 それにしたって凛の家からここまでは歩きだと二時間ほどかかるはずだ。電車が使えればもう少し早いが、あいにく電車が動いている時間ではない。


「あの、それよりも話があるんだ。ちょっとついてきてくれる?」

 凛はそう静かに言って、俺を先導する。どこか、思いつめたような感じがする凛が心配になって、疑問も呈さずにそのまま、ついていく。


 案内されたのは、寂れたビルの一階だった。裏通りにあるビルでどことなく埃っぽい。


「どうしたんだ?凛?使わなくなったビルとはいえ、一応不法侵入になっちまうぞ。」


 俺は様子がおかしい凛を気遣って、ピエロのようにおどけた口調で凛を窘める。気を遣うことくらいやればできるのだよ。


「…それよりも、どういうことなの?」

だが、俺の声とは正反対のうねり声のような低い声が聞こえる。


「へ?どういうことって?」

 それでも俺はとぼけた口調を変えない。なんとなく、変えてはいけない気がした。


「…何で、私のことが大切とか言いながら、他の女の子の家にお邪魔したり、一緒のベッドに寝たりしているの?」


 更に重いどろどろとした口調で凛が俺を責めてくる。


「えっと、すまん。」


「嘘。けんたろーは何にも分かっていない」

 凛が、淡々と俺を責める。

 ここにきて、ようやく俺は凛が俺のことを好きだったんだと、確信した。でなければ、俺が女の子と何かやっていても怒らないだろう。

 …『何で色々知っているの?』とは思ったけれど、気にしないでおこう。


「…」


「ねえ、私のこと大切だって言ったよね?大好きな人って言ったよね?」

 

 正直な話、「"大切な人"とは言ったが、"大好きな人"とは言っていない」と思った。

 それでも、俺が勘違いさせるような行動をしていたのは事実だし、今に至っては、その違いは凛にとっては、些末な問題なのだろう。


「ごめん。」


「謝らなくていいよ?でもね、私はけんたろーが好き。」


 密室。二人きりの空間で世界一大切な幼馴染の凛から告白を受ける。それでも俺には好きな人がいた。その思いにこたえることは、できない。


「ねえ、こたえてよ。」


 そう言って、凛は俺に近づいてくる。


 そして、凛は手に持っていたらしいものを俺に突きつける。


「凛、これは?」


 俺の首元にヒンヤリとした硬く細いものがあたる。


「うん?包丁だよ?」


 小首をかしげて可愛らしく言う。状況と表情があっていない。


「とりあえず、包丁を下ろせ。それに俺はお前とつりあうような、できた奴じゃない。」


「だーめ。それにけんたろーがどう思おうと、けんたろーだけが好きなの。」


「じゃあ、一緒にとりあえず遊園地にでも行ってデートしようぜ。そうしたら、凛だって、俺みたいに話題も少ないつまらない奴のことなんて好きじゃなくなるよ。」

 とりあえず、頭に血が上っているであろう凛を落ち着かせようとする。包丁を降ろさせようとする。


「ううん、だ~め。だって、私はもう、けんたろーの悪いところもいいところもよく知っているもん。だって私たち幼馴染だよ?」


「…とりあえず、考えさせてくれ。」


 俺は自己保身から言葉を発する。

 けれど、凛は許してくれない。


「だ~め。けんたろーはいくじなしだから今、こたえてよ。」

 凛は手に持っていた包丁を改めて俺の首に押し付ける。皮膚の一番薄いところが、少しだけ切れている感覚がする。


(凛のやつにこんな一面があったなんて。…いや、俺が凛の恋心に中々気付かないから、きっとそういう気持ちがたまっていってこうなっちまったのか。だったら、俺が悪いか。)


 緊張からかいた手汗をズボンで拭う。


 ここを切り抜けたらやっぱり、千里さんに告白しよう。言葉にしなきゃ思いは伝わらない。俺は凛をみてそう思った。


「何を考えているのかな?かな?け・ん・た・ろ・う。もしかして、チサトさんのこととか考えているの?ぞっこんだったもんね。怒ったりしないから何を考えているのか教えてくれるかな?」


 こえー、ションベンちびりそう。

 それでも、凛の気持ちには真っ直ぐぶつからないといけない、って気持ちも芽生えている。だって、小三からずっーと俺のことを好きでいてくれたんだ。

 三人に一人は離婚を経験する世の中で、これはすごいことだと思う。


 もしかしたら、他の人がこの状況をみていたら、”急いでこの場を逃げて警察に行って二度と、凛と出会わないように取り計らってもらえるよう、相談した方がいい”って言ってくれるのかもしれない。

 けれど、やっぱり、それは嫌なんだ。傲慢かもしれないけれど、幼馴染のことは、自分の手で何とかしたい。俺にとっては生まれた時からずーーっと、傍にいる大切な幼馴染なんだ。困っていることがあれば相談に乗りたいし、道を踏み外しそうになるなら手を差し伸べてあげたい。今回なんて、半分以上は俺が悪いんだから、なおさらだ。


「な、何も考えていねーよ。ましてや千里さんのことなんて。お前こそ千里さんに嫉妬してんのか?」


 いつもの口調はできる限り変えずに、日常の会話の延長のようなノリで聞く。


「そんなことないよ。それに、別に、悩むくらいなら私の告白を断ってくれてもいいんだよ。」

「そうなのか?じゃあ…」


 やっぱり、俺の幼馴染は話のわかる優しい女の子らしい、と安堵しかける。

 しかし、凛は、恋する乙女が出す満面の笑みで


「だって、愛するけんたろーと一緒の時に一緒の場所で死ぬっていうのも中々にロマンチックでステキだもんね。」


「それはつまり・・・」


「うん。けんたろーが告白を断ったら一緒に死のうね。こういうことをするのは初めてだけど痛くしないから安心してね。」


 くそっ。全然、大丈夫じゃねーよ。とはいえ、何度も言うが、凛がこうなったのは元はといえば俺のせいだ。

 俺が悪い。このままじゃ、俺の幼馴染が俺のせいで犯罪者になっちまう。


 こんなにいい奴なのに、俺なんかのために人生を棒にふるなんてあってたまるか。

 

 どうする?どうする?


 しかし、あまりいい案は浮かばなかった。あいにく俺には頭脳バトルをする天才系の主人公の才能はないらしい。…辛うじて浮かんだ案を実行してみることにしたが、彼女に連絡がつくかは、微妙なところだ。心許ない。


 …仕方ない、大切な幼馴染だ。

 真っ直ぐぶつかりますか!

 それで死んだらドンマイだな。

 天を見上げ、ビルのかけたコンクリートを見つめる。そして、静かに数秒、瞑目して覚悟を決める。


「凛、俺はお前の思いにはこたえられない。俺が勘違いさせちまったんだよな。ホントにすまん。」


 死への恐怖から少しだけ震え声になってしまいながらも、俺はその場で土下座をする。こんなもので許してもらえるはずはないけれど、ビルの埃まみれの地べたにしっかりと、額をつける。


「なんで?どうして?私じゃダメなの?私のどこがいけないの?顔?それとも、性格が醜いから?」


 凛は泣きそうな顔で叫ぶ。胸が痛い。俺まで泣きたくなる。

 でも、断る側が泣くなんて論外だ。俺は泣くのをぐっと我慢する。


「お前は最高の幼馴染だよ。俺にとっては、もったいない程に可愛くて、優しいと思う。けど、俺には好きな人がいるんだ。」


 俺は幼馴染が優しいことを信じて、ただ、訴える。


「そっか。じゃあ、一緒に死のうか?」


「残念だが、そいつは無理だよ。優しい凛にはそれはできない。」


「そんなことないよ。私は意外と醜くて計算高い女なんだよ。けんたろーが思っているほど優しくないよ。」


「そうかもな。でも、俺は信じたいから信じるだけだ。」


「本当に、本当にいいの?逃げるなら今のうちだよ?」


 凛はそう言って、包丁を俺から離した。


「構わねーよ。」


 俺はにかっと余裕の笑みを凜に浮かべる。そして、凛が持っていた包丁の刃を掴んでそのまま、俺の腹部に当てる。


「そっか。」


 ドスン


 ポタッ、ポタッ


 凛はそのまま、俺の腹部に包丁を突き刺した。

 あっけなく俺は刺されてしまった。

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