銀の少女の復讐は、残酷な牙をキラめかせ。

よしふみ

序章 銀の少女の死 その1




 ―――運命なんてものは、いつだっていきなり始まりやがるんだよ。君が蒸気機関車の脱線事故で死んだのもいきなりだったし……。


 今夜、エリーゼが病院のベッドからいなくなったのも、いきなりだった。


 予兆なんてものは、まったくもってありはしないんだ。そんなものがあれば、誰もがその不幸を遠ざけるために努力を尽くすじゃないか。一言で済んだのかもしれない。君を助けるためには―――出かけるのは明日にして、オレと一緒に行こう―――それだけでよかった。


 きっと。


 エリーゼを守るためにも……。


 この銀色をさっさと使っておけばよかったのさ。オレは、あまりにもとろく。暴力的な仕事をこなしている割りには、危機に嗅覚が働くことがない。


 みじめなものだ。


 本当に。


 救いようがない。


 いつも大切な者を、この腕の中から掠め取られてしまう。神さまはいつだってオレに無慈悲だということを、思い知らされているはずじゃないか。みじめな孤児のアレク・レッドウッドよ。


「……レッドウッドさん。娘さんを連れ去った人物の手がかりは、病院には……」


「……無いだろうさ。手がかりなんて、残しはしない」


「え?」


 ドクター・ハウゼンは大病院の院長のくせに、患者にやさしかった。金にもならないはずの、オレのエリーゼに対して、よくしてくれた。


 もちろん、医学者の好奇心をくすぐられた結果でもあるだろうが……善意を感じさせる態度を、彼から感じなかった日はない。今夜もな。


 心配してくれている。


 病室から忽然と消え去ってしまったエリーゼのことを。


「まるで……っ。吸血鬼にでもさらわれたかのようですよ。何にも痕跡がないんです……っ。エリーゼちゃんのことは、ナースたちもしっかりと見守っていたはずなのに……っ。それなのに、あなたは……何か手がかりを掴んでいるんですか?」


「そうだ。知っているよ、手がかりがないことが手がかりだ」


「どういう、ことでしょうか?」


「こんな『誘拐』が出来るヤツに、心当たりは二つ。一つは、もういない。だから、一つなんだぞ、マルコ……ッ」


 怒りが込められた奥歯が鳴って。ドクター・ハウゼンが怯えた。生まれながらに悪辣な顔をしているからな。オレは獣のように、残酷で、怒りに満ちた貌になれる。悪意を形にするのが得意なんだ。だから、こんな仕事をやれている。


 すまないな。ドクター・ハウゼンは無実だというのに。こんな怒りを見せられる謂われはあなたにはないんだ。


 だが。


 ……余裕がない。


 他人にまで気を回せる余裕がない。


 オレは元々、それほどやさしくもなければ、器用な男じゃなかったんだ。本当に生きることに向いていないと思うよ。だってさ……君のことと、君とのあいだに生まれたエリーゼにしか、本物の愛情を抱くことが出来なかったような男だから。


 だから。


 得意なことをするよ。


 怒りを行動力に変換するんだ。


「ど、どこに!?……行かれるのですかっ!?」


 遠ざかるやさしい男の声を背中に浴びながら、答えるために唇を歪ませた。


「……娘は、オレが取り戻す」


 シンプルなことだ。それだけをする。それだけすれば、もう他には要らない。

命の全てを捧げてやるんだ。エリーゼ・レッドウッド。オレの最愛の娘よ。お前のことを、オレは取り戻してみせる。他のことは、どうだっていい。全てが、要らないものだ。


 病院の外に出る。


 ああ、土砂降りの雨は全く止むことはない。事務所でも墓地でも、ずっと今日は雨が降っている。夜になってもこの通りだ。


 それでも問題はなかった。


 見えているぞ。追跡術は得意だ。そうでなければ、オレたちの仕事は務まらない。この能力のおかげで、オレたちはいつだって悪意ある邪な者たちに追いつき、それらを殺せた。


 ……大粒の雨と、ぬかるむ大地を叩く雨音に、多くの痕跡は隠されていたとしても、知っている。


 マルコというあの狂った老人は、もうそれほどの力を持たない。引退間際の壊れかけだ。


 そんな男が。


 オレから娘を奪おうとするのなら、方法はただの一つ。古い伝統ではワイルド・ハント/亡霊の襲撃者のように首無し馬にでも乗って行うのかもしれないが……20世紀の現代では、乗用車で行う。


 バチカンが用意した、いつもの黒塗りだ。大戦の頃から愛用している古いエンジンは、それほどの力を持たない。そんなレトロな乗り物をまだ愛用している。大司教から与えられたことを理由に、マルコよ。お前はアレを手放すことはなかったな。


 災いするぞ。


 狂った包帯顔の老人よ。


 お前は、南に逃げた。北には行かない。イタリアが好きだからな。お前は本拠地にうちの娘を連れ去る気だろう、この狂った!誘拐犯が!!


 雨に打たれながらも、燃えて爆発しそうな怒りのせいで体は熱い。肌は冷えていたとしても、その奥を激流のようにほとばしる血潮は、黒く焦げてしまうほどに熱を帯びているんだ。


 怒りの熱だ。


 憎しみにさえも近い。


 どうして。


 どうしてだ、マルコ。


 なんで、お前は余計なことをしやがるんだ。オレの師匠であったこともあるくせにな。包帯顔のマルコ、マルコ・ザ・スカーフェイス……一種の英雄であったはずの男が……っ。




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