第3話 奇跡

 少し顔を赤らめ、トイレを借りたいとお願いしてくる美少女。

 駅まで我慢できない、ということだろうか。


 女子高生を一人暮らしの部屋に案内するのは、下手をすれば余計な誤解を招きかねないが、まあ、トイレを貸してあげるぐらいなら問題ないだろう。

 幸い、俺の部屋は今居る建物のすぐ上の階なので、案内してあげる。

 リビングや寝室は見せられない(単純に片付いておらず、恥ずかしいから)ので、そちらのドアが閉まっていることを確認してから、玄関から入ってすぐ正面のトイレを教えてあげた。


 自分は外に出て、少し待っていた。

 するとその子はちょっと興奮した様子で玄関から出てきた。


「あの、あの……棚の上に、『五天女』の本が何冊か積み上げているのが見えたのですけど……まさか、ひょっとして……作者さんですか!?」


 この週末、事情があってある場所に送るつもりだったので、玄関棚の上に数冊積み上げていたのだが、それに気づいたらしい。

 ……ていうか、彼女がそれに興味を持ったことがすごく意外だった。


「……うん、まあ……よく分かったなあ。俺が書いた本だよ」


「やっぱり! すごい、すごいです! 私この本、買ってます! 地元作家のデビュー作って本屋さんに特設コーナーがありましたし、タイトルも、内容も凄く気に入ってます! 大ファンです!」


 とびきりの美少女が、目を輝かせてそう言ってはしゃいでる。


 このラノベ、「修行中の五天女」は、一年ほど前にとある出版社の小説コンテストで受賞、出版された、俺にとっては記念すべきデビュー作だ。

 とはいっても、これ以外に本は出ていないのだが……。


 決してメジャーではないこの本を、彼女が買ってくれていたことには驚いたし、戸惑った。

 けれどそれ以上に、初めて会った人、さっきまで物静かだった女子高生がこれだけはしゃいでくれていることに感動した。


「本当に奇跡です! えっと、もっといろいろ……あ、でも、もう行かないと……」


 時計を見て、残念そうにそうつぶやく、ミクという名のその少女。


「今日は本当にありがとうございました、助かりました。 ……きちんとお礼もしたいですし、あと、もっといろいろお話聞きたいので、ご迷惑でなければ、また明日お伺いしますね」


 それだけ言い残して、本当に時間がないのか、彼女は急いで階段を降り、自転車に乗って駅の方へと去って行った。


 その日は、彼女のことで頭がいっぱいになって、しばらくどうやって過ごしたのか、はっきりとは覚えていない。


 自分の作品のファンがいてくれた。

 しかも女子高生、超絶美少女。

 電車に乗るのを遅らせてまで、迷子の女の子を助けようとした、優しい心の持ち主。


 さらに、ものすごく丁寧な口調のお嬢様だ。

 そんな子が、明日また来てくれるというではないか。


 ……いやいや、相手はまだ女子高生だ。変なことをすれば犯罪になりかねない……そう冷静に考えつつ、なぜか部屋の掃除を真剣に行っている自分がいた。


 まあ、トイレ以外の部屋に入れたら、その時点で変に疑われそうなのは分かっていたけど、そうでもしないと落ち着かなかったのだ。


 しかし、夕方頃になると、不安の方が大きくなった。

 そんなうまい……いや、いい話があるだろうか。

 大体、彼女の連絡先を聞いていないではないか。

 俺も、彼女に自分の連絡先を教えていない……そんな時間がなかったからだが……だから、彼女が俺のアパートに来なかったら、おそらくもう二度と会うことはないのだ。


 けれど、それはそれで構わない。

 自分の作品のファンが、身近に一人でもいてくれたのだ。それだけで十分幸せではないか。

 あの少女とはもう会えない、一時の幻だった……敢えてそう考えることで、本当にそうなったときのダメージを最小限に減らそうとする、どこか冷めた自分がいた。


 期待と不安、それらが交錯する中だったが、慣れない大掃除の疲れが出て、その日は思いのほか熟睡できたのだった。

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