第15話 客の条件

「そろそろ失礼しよう。ありがとうリセ嬢」

「はい、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」


 国防庁長官のサミュエル・リー伯爵がカウンターに代金とチップを置いて去っていく。彼の背中と、鱗耳種スケイルイヤーズらしい棘だらけのぶっとい尻尾が店の扉をくぐっていくのを見届けた私は、緊張の糸が切れたように一気にカウンターに倒れ込んだ。


「……はぁぁー」

「最近本当に引っ張りだこね、リセ」


 疲弊を隠そうともしない私に、タニアさんが苦笑しながら話しかけてくる。

 私は今日は店内勤務なのだが、次から次へと私の隣に客が座ってくるのだ。それも錚々そうそうたるビッグネームのオンパレード。長官やら次官やら、国の中枢に位置する人間がこんなカジュアルな酒場に次々とやってくる。

 今日、営業開始からの6時間の間に私の隣に座ったのは、近衛庁次官のアーチャー伯爵、財務庁次官のイシャーウッド子爵、そしてさっきのリー伯爵。三人とも食事と酒を楽しみつつ私と話をするだけで、裏での仕事を求めてこないので気は楽だが、それにしたって話す相手が偉い人すぎる。

 おかしいな、私は一介の酒場娘だぞ。なんでこんなに国の重要人物相手に対等にやり合っているんだ。


「もー、店でも外でも皆が私に話を聞きに来るもんだから、気が休まる時がないですよ……お手洗い行ってきます」

「はいはい」


 ようやく客の切れ目が出来て、人心地着いた私は席を立つ。いい加減トイレを済ませに行きたかったのだ。

 五分ほどトイレに篭もり、手を拭きながら席に戻る私。と、タニアさんがにこにこしながら声をかけてきた。


「ふーっ」

「おかえりなさい。はいリセ、次が来ているわ」

「うえっ」


 彼女の容赦ない言葉に、私はリアルに言葉に詰まった。またか、またなのか。

 私が担当する1番カウンターに目を向ければ、弓耳族ボウイヤーズの白髪の男性がこちらに手を振っている。王政補佐庁次官、アラン・ホジキンソン侯爵だ。


「酷いなぁリセ嬢、私の相手はそんなに嫌なのかい?」

「嫌じゃないですけどね……いらっしゃいませ、ホジキンソン侯爵様」


 軽口をたたきながら私に笑みを向けてくるアランさんにぼんやりとした言葉を返しながら、彼の隣に座る私だ。フロアに戻ってきた時から感じていた、カモミールのような甘くフルーティーな香りが、一層強くなる。

 この老人はいつもこうだ。いい香りをプンプンさせたまま酒場にやってくる。鼻につく、と言うほどではないけれど、前から少し気になっている。


「いやほんと嫌じゃないんですよ、侯爵様のお相手は。振舞いはちゃんとされているし、アルハラしてこないし。ただ、ほら、侯爵様またシャワー浴びずに来られたでしょう? こんなに香水振りまかれて」

「はっはっは、そんなことを気にしていたのかい」


 私の、そこはかとない文句に笑いながら、アランさんが私の肩を抱く。この軽い調子のスキンシップもいつものことだ。いや別にそれが悪いってわけじゃないんだけど、においがより強く感じられるわけだ。

 眉間に薄っすらしわを寄せる私に気付くことなく、アランさんが私の首筋に口を寄せてくる。


「私と君の仲じゃないか。君がどんな発言をしたところで、王国内での君の立場が危うくなることはないんだよ」

「はっはーん?」


 そうして流れるように肌吸いキスをしようとしたところで、私は近づいてくるアランさんのおでこに向かって、鋭く爪先を弾いた。つまりデコピンだ。

 ビシッ、と存外にいい音がして、アランさんがぎゅっと目をつむりながら額を押さえる。


「あでっ」

「じゃあせめて、歯を磨いてから肌吸いしに来てください。いつも申し上げているとは思いますが」


 悲しげな表情になるアランさんへと、私はきっぱりとルールを突き付ける。この店ではそういうルールになっているのだから、こういう点では私が強く出たって何の問題もない。


「タニアさん、歯ブラシありますか」

「あるわよ、はい」


 流れるようにタニアさんに声をかければ、彼女がカウンターの中から歯ブラシを一本出して渡してくる。磨き粉なんてものは用意していないが、水を含ませて掃除するだけでもだいぶ違う。淡々とアランさんに歯ブラシを渡す私だ。


「はいこれ。奥で磨いてきてください」

「仕方ないなぁ……じゃあ、今のうちに『ガーベラ』と、チキンステーキと、ソーセージのボイルを注文しておいてくれ」

「かしこまりました」


 観念して席を立ったアランさんが、私に注文内容を話してくる。それを伝票に書き留め、厨房に持って行った私が赤ワインである「ガーベラ」のボトルとグラスを二脚手にして戻ったところで、タニアさんがカウンターの中から苦笑を向けてきた。


「相変わらず、侯爵様相手にも辛辣しんらつね、リセったら」

「だって、容赦する必要がなくないですか? 私は女中で、相手はお客様。その立場に身分も何もないじゃないですか」


 タニアさんの言葉に、素気無く返す私だ。

 彼女はそう言っているが、彼女だって分かっているはずなのだ。私はこの店に求められていることを、きっちりやっているに過ぎない。


「私は女中としてお客様の相手をする。お客様は私のサービスを利用する。お客様がお貴族様だろうが大商人だろうが一般市民だろうが、お客様として同等に扱わないと、店として失礼だと私は思うんですよね」

「徹底してるわねー」


 私の宣言に笑みをこぼしながら、タニアさんがカウンターの内側に掲げられた額を見上げる。店内のどこからでも見ることのできる場所に掲げられたそれには、今私が言ったこととほとんど同じ内容が、もっと堅苦しい文章で書かれていた。

 最初に見た時に標語みたいだな、と思ったものだが、後で聞いたらほんとに標語で、市内の酒場が所属する協同組合の宣言文なのだそうだ。


「ま、そうよね。『客として振る舞い、適切に金を払ったなら客としてもてなせ』『客の条件を満たしているなら、客の身分素性で態度を変えてはならない』っていうのが、市内の酒場に求められている基本姿勢だし。結構その辺勘違いして、金持ちばかり優遇する店や金持ちだからと偉ぶる客はいるものだけど」


 タニアさんがそんなことを言いながらため息をついていると、アランさんが歯磨きから戻ってきた。口もしっかりゆすいで来たらしく、口から発していたにおいが先程よりも気にならない。いい感じだ。

 そんなアランさんが、カウンターに肘をつきながら私に目を向けてくる。


「まったく、思い違いをしている人間が客として大きな顔をするのは許し難いものだ。そういう客を容認している店も店だと思わないか、なあリセ嬢?」

「そうですね侯爵様、おかえりなさいませ。お酒、ご用意できておりますよ」


 彼に笑顔を返しながら、私は「ガーベラ」のボトルを指し示す。手に取って、自分のグラスに少量注いだアランさんが、静かに鼻を近づける。こうしたテイスティングの所作に慣れている様子は、さすがお貴族様だなぁと思う。だからと言ってそれで対応を変えることは、もちろんしないが。


「ありがとう。さ、グラスを出して」

「はい」


 ワインの様子を確認したアランさんが、私に笑いかけた。彼の手からワインをグラスに注いでもらい、改めてアランさんのグラスにワインを注ぎ、軽く掲げる。そうしてから私と彼の間で始まるのは、王政補佐庁がらみのディープな話だ。

 王政補佐庁はその名の通り、ラム王国の国王が行う政治をサポートする組織だ。政治的な助言、会合の日程調整、外遊日程の管理等々。それ故に次官であるアランさんには、大きな責任が付いて回る。国王一家の身の回りの世話をする近衛庁とは、別の意味で忙しい組織だ。

 先日も王政補佐庁主管で、ラム王国王家とケラハー王国王家の会談が組まれたばかり。当然その辺りの仕事には外務庁も一枚かんでいる。きっとパーシヴァルさんも忙しく働いたことだろう。

 一息ついた様子のアランさんが、私に微笑みながらソーセージにフォークを刺した。


「連日大立ち回りだそうじゃないか、バーナードが喜んでいたよ。これでケラハーの大使にも顔を立てられると」

「いえいえ、お力添えが出来て光栄です。パーティーはうまく行きましたか?」


 彼の言葉に、私も笑いながらワイングラスを傾ける。聞けば、ケラハーの王家夫妻を招いたパーティーでは、同国の米酒が振る舞われたと聞く。ついこの間、私がファリントン侯爵邸でバーナードさんとサシで飲んだ、あれだ。

 私が水を向けると、アランさんが嬉しそうに笑って言う。


「ああ、成功裏に終わったよ。あの米酒はリセ嬢が言った通り、リーランド領産のトラウトとの相性が抜群で、大変喜ばれた」

「それは何よりですわ」


 彼の喜びの言葉に、私は胸のつかえが降りたような気がしてホッとした。見立てが間違っていなかったという事実は、とても嬉しいものだ。

 ラム王国の西海岸に位置するリーランド領は、トラウトサケ科漁が盛んな地域だ。今は地球で言うところのブラウントラウトが旬を迎えている。私も一昨日の同伴の仕事の際に食べさせてもらったが、実に美味しかった。

 あれを食べながらあの米酒をくいっと。いいなぁ、美味しそうだ。

 目を細める私に、アランさんがワイングラスを手にしながら言う。


「また何かの形で、お力添えいただくこともあるかもしれない。その時はまた同伴の依頼をするので、よろしく頼みたい」

「かしこまりました、よろしくお願いいたします」


 彼の言葉に頭を下げつつ、苦笑を零す私。どうやらまだまだ、私を求める国の要人は多いらしい。タニアさんも笑みを見せながら、ひげをぴこぴこ動かした。


「よろしくお願いしますよ。今やうちで一番忙しいんですから、この子」

「やっぱりそうなんですかー……」

「はは、敏腕でいいことじゃないか」


 彼女の言葉にげっそりとする私に対し、アランさんが朗らかに笑って「ガーベラ」のボトルを取る。気付けば私のグラスはもう空っぽ。いつ飲み切ったっけ。

 穏やかな会食の時間を続けながら、私はいつになったら落ち着いて休めるのか、今から不安で仕方がないのだった。

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