第11話 推しを応援したいんですか?


いかん、いまからアヤに会えるというのに。

前にいたおっさんがブースに入っていく。

「トカゲさん! かわいい~」

 アヤの声が聞こえた。おっさん、どうやら作戦は成功したらしい。よかったね。そうやって奇をてらわなくてはいけないくらいのやつなのだ。自分は違う。吹き出物と手のカサつきは気になるが、ほぼいい状態でアヤの前に立つことになる。

 カシャ、というシャッター音が鳴る。

「どうもありがとう!」

 アヤの声。おっさんもなにかしゃべっているのか、まったく聞き取れない。というか、アヤの声に集中しているせいで、他の音はノイズとして耳が処理している。

「そんなにたくさん買ってくれるんですか? 大丈夫? 古本屋さんに売ったりしないでね!」

 どうやら話題はまもなく発売されることが発表された、ソロ写真集についてだったらしい。

 係員に剥がされ、抱えこまれながら、おっさんがブースからでてきた。

 ついに自分の番だ。なんだか緊張してきた。久しぶりの再会に、身体が震えだす。促され、ブースへ足を踏みこんだ。


「牧村綾……知らないわねえ」

 阿川が出版社から送られてきたファックスを見ていった。島尾が出勤前に見つけた発注書だった。

「いま一番売れてる子なんですよ」

 牧村綾ファースト写真集、予約を受付しています。

 店にくるたびに島尾はファックスをチェックした。阿川が興味を持たず捨ててしまってはいまいかと、ゴミ箱にある紙の束まで確認していた。そして今日、ついに発見した。

「ホントに売れてるの、わたし知らないし」

 三十代女性、好きな有名人は将棋の藤井くん、の阿川からすれば、同性で年下のアイドルグループなど、顔と名前が一致しないだろう、なんなら全員同じ顔、とバカにしている可能性だってある。自分だって、わりとよくあるタイプのくせしてだ。

「そりゃ阿川はオバ……」

「なんかいった?」

「なにもいってません」

 島尾は気をつけのポーズで答えた。

 いま阿川の機嫌を悪くするわけにはいかない。

「それにきみたちのおすすめっていうのもねえ」

 阿川はファックスを眺めながらいう。

 以前に店の一角を使い、『当店スタッフがおすすめするクリスマスプレゼントしたい本』という企画をしたときのことだ。

遅番の連中も参加してよい、とのことで全員張りきって注文をしたが、散々な結果だった。小島は「最近面白かった漫画」といって麻雀漫画『アカギ』を全巻勝手に発注した。クリスマスにまったく関係ないじゃないかとなじられた。吉行にいたってはフィギュアのカタログを注文。

「それはおまえが欲しいやつだろ」と全員に突っこまれた。

その一件もあり、次の企画もの、『バレンタインデーに贈りたい本』では遅番は提案すら、させてもらえなかった。

「女性スタッフが考えるから」と断られたのだ。

 だったら翌月、ホワイトデーの企画があるのか、といったらそんなものはなかった。

 女性スタッフたちは本よりも貴金属か食い物が欲しいに違いない、と陰口を叩いているうちに、企画ものコーナーは売れ筋ビジネス書置き場にとって変わられてしまった。

「でもクリスマスのとき、僕のイチ推し売れたじゃないですか」

 庄野が提案したのは、アヤが読んで面白かった、といっていた絵本だった。

「ヨシタケシンスケさん、定番だからね」

 絵本の定番など興味ない。阿川が女性アイドルを知らないのとタメを張れるほどに。

「まあ少し多めにとってもいいか」

 そういって阿川はファックスにある注文数欄にペンで「5」と書いた。

「五冊だけですか……」

「じゃあどれくらい売れると島尾くんは見てるの?」

「二万は固いと」

 界隈でも一人最低十冊は買う、と皆が口々にいっている。島尾もよその書店でイベントがあるなら自分の財布が許す限り積む所存だ。

「うちでどれだけ売れるかってこと」

 確かにそういわれると心許ない。三軒茶屋でいったい何冊くらい売れるのかなんて、想像がつかない。つい最近でた、グループで一番人気の子の写真集も、さほど動かなかった。限定特典のつくチェーン店のほうが有利だ。

 しかしここで怯んでいるわけにもいかない。アヤと約束をしてしまったのだ。


「わあ、久しぶりー」

「つっても一ヶ月ぶりだけど」

「めちゃ長いじゃん、きてくれてうれしいよ」

「写真集発売おめでとう」

「ありがとう! 今日どんなポーズで写真撮る?」

「じゃ、手でハート作ってもらっていい?」

「いいよ! はい!」

 アヤは無邪気な笑顔で指を曲げ、ハートの半分を作って見せた。人差し指と親指の先を合わせると、島尾の心臓がばくばくいった。

 すぐにスタッフに写真を撮られ、数秒だけの握手。

「今日もありがとうね」

「僕本屋でバイトしてるんだ」

「そうなんだ」

「なんで、めちゃ写真集売るから」

「ありがとう!」

「ガチで、めちゃ売るんで」

「やった! 頼む!」

「まかせとけ!」


 握った手を無理矢理剥がされ、慌ただしくブースから追い立てられたけれど。とにかく約束をしたのだ。絶対に果たさなくてはならない。

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