堂島七瀬


 これは俺の記憶の一部だ。

 ――暗い森の中、俺と堂島七瀬は二人っきりであった。

 焚き火のパチパチという音が森に響く。


『……ねえ、お兄ちゃん。僕達はなんでこんな事してるの』


『ふむ、とても難しい質問だ。あまり考えすぎない方がいい。いまはこの状況を乗り越える必要がある』


『うん……、ねえ、お菓子って食べたことある?』


『ずっと昔に食べた記憶がある。あれは幼稚園の頃であったな』


『僕ね、本でしか見たことないんだ。食べたことないんだ。いつか食べれるかな?』


『……それはわからない。そんなものは生きる上で必要ないからな』


『そう』


 あの時の堂島七瀬からは感情を感じ取れなかった。ただ、淡々と事実を言ってるだけかと思った。


 だが、いま思うと、あれは寂しそうな顔をしていたんだ――


 *


 *********




「すまない、店員さん。勝手に移動をしてしまって」


 カウンター越しにいるシェフっぽい人は調理をしながら俺に笑いかけてくれた。


「あん? いいってことよ! 知り合いなんだろ? なら仲良くしなよ!」


「感謝する」


 藤堂七瀬は俺と花園の間の席に座っている。

 運ばれてきたクレープを一定の速度で食べている。

 無表情である。美味しいのかどうかわからん。


 まるで昔の自分をみているようであった。


 何故か胸が痛くなった。何か嫌な事があったわけでじゃない。それなのに胸が痛くなる。

 これは一体……。


「あぁ、もう七瀬ちゃんだっけ? 髪がお皿に入っちゃうよ。これ使おうね」


 花園が堂島七瀬の髪をシュシュというものでまとめる。


「ん、ありがとう。お姉ちゃん優しい人?」


「別に普通の事だよ。えっと、七瀬ちゃんだっけ? 藤堂とは知り合いなの?」


「……よくわからない」


「え? ど、どういう事?」


「……覚えてない。学校に通えって言われた事しか覚えてない知らない。……写真で見たことある人だったから」


 花園は戸惑ったような目で俺を見つめた。

 俺は慎重に堂島七瀬に話しかけた。


「藤堂七瀬、君はどこまで記憶があるのだ?」


「……中学入学前の記憶は殆どない。抜け落ちちゃっている。でも、大人に『落第』で『普通の学校に通え』って言われた事は覚えている」


 落第か……。そのパターンは俺は知らない。何か欠点があったんだろうか?

 彼女は本当に記憶をなくしている可能性がある。

 感情を消去するのに精神が耐えきれなかったとしてもおかしくないだろう。


 それにしてもこんな町中で出会うなんて、すごい偶然……、なのだろうか? 

 偶然だと思わない事だ。きっと大人が考えているなにかの一環だ。


 甘んじてそれを受け入れよう。

 俺は何が起きても、もう怯まない。


「しからば藤堂七瀬、なぜこの店に来たんだ?」


「ちょっと、藤堂、もう少し可愛らしく呼んであげればいいじゃん! ね、七瀬ちゃん!」


「う、うむ、田中の言う通りだな。……な、七瀬でいいか?」


 堂島七瀬はクレープを食べる手を止めて俺を見つめる。その瞳は空虚であるが、吸い込まれるようなキレイな瞳であった。


「……甘い物を食べたかったから」


「なるほど、たしかに甘いものは身体のエネルギーに変換しやすいから、摂取することは悪くない。だが、七瀬の身体の状況を察するに、もっと普通のバランスの良い食事を――」


 田中が俺の言葉を遮った。


「えへへ、別に甘いものを食べるのに理由なんていらないじゃん! てかさ、その写真に写っているのって藤堂っしょ? なら覚えてなくても友達だったんじゃん!」


「友達……? 僕と彼?」


 堂島七瀬は田中の呼びかけに反応した。

 不思議そうな顔で田中を見ていた。


「うん! 覚えてないかもだけど、きっとそうじゃん! なら今はクレープを一緒に楽しも!」


「……命令ならそうする」


「べ、別に命令じゃないじゃん! ほ、ほら、冷めないうちに食べよ!」


 田中が俺にアイコンタクトをしてきた。それだけで田中の気持ちが伝わる。


 これは俺の領分だ。


 なぜならこの子は俺が通っていた小学校の関係者だ。

『お姉さん』といい、藤堂七瀬といい……。


 昔の俺だったらどうしていただろうか?


 田中と花園と出会う前だったら、俺は関心を持たなかっただろう。だが、今の俺は違う。


「よ、よし、食べ終わったら、お、お兄さんが家まで送ろう」


「…………ん」


 花園と田中は俺の戸惑った様子を見て、笑いをこらえていた――





 *********





 クレープを食べ終えて、俺たちは店を出た。

 田中と花園は俺に、『頼んだじゃん!』『なにかあったら連絡してね!』と言って帰路へつく。


 まだ日が暮れていない明るい時間だ。

 田中と花園はまた明日会える。

 だから、寂しくはならない。寂しい気持ちがあるから、次の日会えると嬉しいんだ。


 俺は田中と花園が見えなくなるまで手を振った。

 ふと、藤堂七瀬も手を小さく振っている姿を確認した。

 なんだか、可愛らしいではないか。


「お姉ちゃんたち行っちゃった」


「うむ、すまないがここからは俺と二人っきりだ」


「ん、藤堂剛、高校二年生。現在はお兄ちゃん」


「そうだ、情報を整理するのは大事だ。家まで送ろう。どこに向かえばいい?」


 俺は七瀬の言葉を待っていたが、返ってくる言葉はなかった。


「ど、どうした? 家の場所がわからないのか?」


 七瀬が首をふる。


「……決まった家、ない」


「……そ、それはどういう意味だ? 卒業したならアパートは用意されていると思ったが」


「ううん、僕は落第だから」


「まて、それでも卒業時にもらったお金はどうした?」


「お金はあるけど、『落第』だからそんなに持ってない。使える額は限られている。今の生活習慣でちょうど中学卒業まで持つ程度の額。卒業したらアルバイトをして生活できる」


 これは一般的ではない。だが、俺たちの常識ではあり得るだろう。

 大人が中学に通えと言ったとしたら、手続きは完璧だろう。その住所が架空だとしても。

 節約すれば生きていけるだけの貯蓄も本当にあるのだろう。



「……今日はクレープを食べていたが、大丈夫だったのか?」


「うん……、甘いものは一週間に一度のご褒美にしてる。甘いものを食べる日はご飯を食べないから大丈夫」


 俺は足を止めてしまった。


「ご飯を食べないだと? 家もない……。こんな町中で話すことではないが……、その、貧乏なのか?」


 七瀬は躊躇なくうなずく。


「うん、極貧」


 確かに中学3年生にしては身体が小さかった。

 血色はそこまで悪くないが、栄養が足りていない。


 ……今夜はお姉さんとお話がある。


 制服や身体は使い古した感があるが、清潔にしてある。大きな荷物は、七瀬の全ての荷物なんだろう。


「仕方ない、一度うちに帰るか」


 俺はそう言って歩きだそうとした。が、藤堂七瀬は動かなかった。


 振り向くと、写真と俺を見比べていた。

 その姿をみて胸が痛くなる。


 俺は堂島七瀬の手を取った。


「こうすれば迷子にならない。安心しろ、俺はその写真のお兄さんだ」


「ん、写真の方が冷たく見える」


「それは昔の事だからだ。……俺は変われたんだ」



 田中や花園と手をつなぐ時と感覚が違う。

 なんだろう、この気持ちは一体……。


 よく見ると、堂島七瀬も不思議そうな顔をしながら俺と繋いだ手を見ていた――




 *******




 俺たちは歩きながら商店街を抜ける。

 この街の商店街は活気に溢れている。


「あれがジュースが美味しい洋食屋さんで、あそこは花園お姉さんが大好きなアイスクリーム屋さんだ」


「ん、あそこのお店は?」


「あれは居酒屋という酒を飲むところだ。うちの担任の先生が一人で飲んでいるオアシスらしいのだ。俺たちには関係ない」


「あっ、あれはわかる。雑貨屋さん」


 こうして見ると普通の子供に見える。だが、普通の子供は野宿をしながら学校を通うことなんて出来ない。

 あそこで学ぶものは勉強だけじゃない。


 なんでも学んだ。


 だけど……、それは普通の常識じゃないんだ。


 七瀬の言動は昔の俺を見ているようであった。

 普通の人が考えている事がわからない。同年代との会話をどうしていいかわからない。


 間違った事を言ったとしても、それが間違えたかどうかわからないだろう。


 俺には花園が隣にいた。

 ……花園には本当に苦労をかけた。そんな俺でさえ、非常に苦労をしたんだ。


 七瀬は雑貨屋さんをじっと見つめていた


「そうだ、あそこにはとてもかわいい商品が並べられてある」


 堂島七瀬は雑貨屋さんをじっと見つめていた。


「あそこに入ってみるか?」


 俺の問いに七瀬は首を振る。


「ううん、お金がかかるからいい」


「そうか、ならば仕方ない……。ならばあそこはどうだ? ゲームセンターというところで可愛らしい人形が沢山ある。少し見てみないか?」


 ほんの少しだけ堂島七瀬の手に力が入った気がした。

 表情の変化はない。昔の俺を見ているようだ。


「ううん、別にいい」


「違う、俺が遊んでみたいんだ。よし、行くぞ」


 俺はゲームセンターへと足を向けた。繋いだ手に抵抗はない。きっと大丈夫だ。




 ********




 七瀬はクレーンゲームの中のサメの人形をじっと見つめていた。


「……みんなカバンにつけている」


 初めはなんのことを言っているのかわからなかった。

 が、俺も自分のカバンに犬のストラップを付けている。花園にもらったものだ。

 きっと、七瀬の学校でもみんな何かを付けているのだろう。


「そうか、七瀬は付けているのか?」


「ん? 学生カバン、ない……」


「な、なるほど……、あの大きなリュックだけか?」


「ん、あれが私の全部」


「そうか……、ところで、学校は……どうなんだ?」


 この質問をしていいのかわからなかった。

 七瀬の身なりは綺麗であった。きっと学校で問題が起きないように気にしているんだろう。


「――っち」


 声も小さくて唇の動きが読めなかった。顔も暗い表情をしていた。

 だが、言葉の感覚でわかる。七瀬は――一人ぼっち。と言ったのだ。


 俺は言葉を反復せずに、クレーンゲームに向かい合う。胸がざわつくからだ――


「ふむ、このコザメは中々の器量良しではないか。……俺は初めての挑戦だが、田中がやっているところを見たことがある」


 七瀬の気持ちは痛いほどわかる。だが、俺は自分ではどうやって慰めていいかわからない。

 だけど、何かしてあげたい。


「何事もチャレンジだ。七海、これは社会勉強だ。俺達は一般常識が足りない。ゲームをするのだって勉強なんだ」


 俺はここで一度だけパンチングマシーンで遊んだ事がある。五十嵐君に誘われたんだ。

 パンチを当てる部分だけが破裂して、棒が折れてしまい大変だった。もっと手加減すればよかった……。


 それ以来、ここの店員さんは俺を絶対にパンチングマシーンに近づけさせない。保険が全額おりたと聞いて安心した覚えがある。

 いい社会勉強になった。




 俺はお金を入れて真剣にクレーンを見つめる。


「いいか、俺が先にやる。その後に七海がやるんだ」


「……ん、初めての経験。計算した方がいいかな」


 俺はクレーンを動かしながら七海の問いに答える。


「俺も初めは物理計算をした、が、無駄な事であった。アームの力というものが最重要であった」


 俺が操作したアームがコザメの身体を捉えたが、無念にも途中で落ちてしまった。


「む、駄目だったか。よし、次は七瀬の番だ」


「ん、社会勉強」


 七瀬は真剣な顔でクレーンを見つめる。

 確かあの小学校の時に、七瀬が得意な事は――

 体術と数学だ。

 佐々木さんに教えてもらった忍者アニメに出てきそうな動きをしていたな。


 そんな七瀬はクレーンをうまく操作できなくて失敗してしまった。


「……残念。……コザメさん」


 多分俺にしかわからない程の表情の変化。眉が少しだけ下がった。取れなくて本当に悔しかったんだ。


 しかし、このゲームは俺達にとっては難しい。

 ……お金を使って時間をかけて取ることは可能だが、お姉さんとの時間もあるし、社会勉強としてはお金を使いすぎるのはよくない。



 その時、後ろから声をかけられた。


「せ、先輩? ど、どうしたんっすか?」


 ジャージ姿の笹身が友達と一緒に現れた。

 手を繋いで仲が良さそうだ。体育祭のときに一緒に昼食を食べた子だな。


「む、笹身ではないか。……笹身はこのコザメさんを取れるのか?」


「美々ちゃんなら楽勝じゃない? だって、クレーンゲーム超得意だもんね。色んなとこ出禁になったもんね」


「あ、あはは、先輩には内緒っす!! ……あ、あの、取りましょうか?」


 俺は笹身の手を掴んだ。


「頼むっ」


「はひ!? せ、先輩、て、て、手が!?」





 *************





 コザメを手に入れてくれた笹身は、はにかんだ笑顔でゲームセンターの奥へと消えてしまった。何やら音ゲーというものにハマっているらしい。


 うむ、陸上だけじゃない青春もしているはいいことだ。笹身の顔は以前に比べてキラキラしていた。


 別れ際もとても爽やかであった。清々しい気持ちになれる。





 俺は笹身に渡されたコザメさんを七瀬に手渡す。


「これは社会勉強の報酬だ」


「……いいの? こんなのもらっても怒られないの?」


「大丈夫だ。これは今から七瀬のものだ。笹身が取るところを一緒に応援したではないか」


「……う、ん」


 七瀬がコザメの人形を手に取る。小さなそれはカバンにつけるのには調度良い


 七瀬はコザメを大事そうに両手で抱きしめた。

 表情がまたほんの少しだけ変わった。

 目尻が緩んだ気がした。


 そんな楽しそうな顔が……段々と悲しそうな顔へと変わる。


「僕……、どうしたら……。どうやって……、一人ぼっちはつらくないのに……、なんで顔から汗がでるの?」


 様々な感情が七瀬の中で渦巻いているのだろう。


 俺達は突然悲しくなる時がある。

 どんな感情を抱いているかわからないが、俺は七瀬の気持ちがわかる。


 だから、俺は泣いている七瀬の涙をハンカチで拭いた。



「もう大丈夫だ。俺がそばにいる」



 俺は七瀬の手を握りしめて、泣き止むまで待つのであった。


 それは過去に田中と花園が俺にしてくれた事であった――



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