三角関係?


 パタパタと足音が近づいてきた。

 何度も聞いたことがある足音である。

 教室の扉の前で一度止まる。


「遅れてごめんね! ちょっと五十嵐君と話し込んじゃってさ――」


 花園が息を切らしながら教室に入って来た。

 放課後の特別教室は俺と田中しかいない。


「あははっ、華ちゃん急ぎすぎじゃん。ゆっくりで大丈夫だよ」


「そうだ、俺たちは逃げない。……ところで五十嵐とは何を話したんだ?」


 五十嵐は友達である。

 はっきり物事を言う性格だから俺は好きだが、人によっては苦手と感じるらしい。


 花園は俺達の近くの椅子に座った。


「あ、大した事ないよ。……う〜ん、なんていうか……恋愛相談?」


「恋愛相談? だが、五十嵐には佐々木がいるではないか? 何か不都合な事でも起こったのか?」


「えっと、なんていうか……、何も起こらないから不都合っていうか……」


 花園は困った顔をしていた。

 困った顔の花園も素敵である。


 ……俺は先日、田中の前で号泣をしてしまった。そう、泣いていたんだ。今まで泣くという事を自覚出来てなかった。

 ふと、自分の状況が幸せだと感じて――感情があふれて泣いてしまった。


 バイトの後、田中と花園を家に呼んで一杯お喋りをした。

 俺は自覚したんだ。普通じゃない俺が普通の青春を送れているのは二人のおかげなんだって――

 だが、それでも俺はまだまだ人の心を理解出来ない部分がある。


 だからもっと人を接して――理解して――俺の持て余している感情を整理する必要がある。


 隣にいる田中を見た。

 田中は恋愛話と聞いてウキウキしていた。


「え、二人って付き合ってるんじゃないの? ていうか、まだ付き合ってないの? 五十嵐君って結構ヘタレじゃん……」


「うん……、五十嵐君って結構もてるんだよね。ほら、明るくて誰とでも話す性格だからね。佐々木さんの方が一歩引いちゃっているっていうか」


「告白すればいいんじゃん?」


「……昔、仲良くしてた女の子に振られた経験があるから……告白が怖いんだって――だからどうしたらいいかって相談を受けて」


「なんで華ちゃんに相談?」


「うん……。なんか私が盛大に失敗してたから……あいつムカつく」


 俺は口を挟んだ。


「なるほど理解した。確かに俺と花園はうまく言葉を伝えられなかった。すれ違ってしまった。だが、それによって俺は自分の知らない感情を見つける事が出来た。――花園は……俺にとってとても大切な人である」


 む、五十嵐そっちのけで自分の事を語ってしまった。


「ちょっと!? と、藤堂!?」


「あの時の感情はただの好意だと思っていたが……、どうやら最近俺が見つけた感情とは少し違う。だから、俺はそれが何か知りたい」


 田中が俺の肩に顎を乗せた。

 む……、ち、近すぎる……恥ずかしい。

 耳元でささやく田中の声が心地よかった。


「えっと、この前も話したけどさ、藤堂って好きっていう感情の区別が付いてなかったんじゃないか? ほら、家族が好き、友達が好き……、恋人が好き――」


「波留ちゃん、近いよ! ずるいよっ! ……あっ、う、羨ましいなんて思ってないもん」


「そ、そうだ、田中、す、少し近すぎるぞ? ほら、胸がドキドキしてきた」


 俺は田中の手を自分の胸に移動させた。


「きゃ!? と、藤堂!! ……恥ずかしいじゃん」


「波留ちゃんがいけないんでしょ! もう……」


 田中は顔を少し赤くして、俺から離れ、花園に抱きついた。

 花園は仕方なさそうに田中の相手をする。

 うむ、今日も平和である。


「ところで、好意の区別とは一体なんだ? 好意は好意じゃないのか?」


 俺の中でまた謎が生まれてしまった。


「藤堂……最近恋愛小説読んでいるのにね……。でも進歩したのかな?」


「まあ藤堂はこのままでいいんじゃん? で、五十嵐君は告白するの?」


 二人は俺の事を無視して話しを続ける。


「どうしても躊躇しちゃうんだって。はぁ〜、お互い好き同士ってはっきりわかるのにね。どうしていいかわからないなんて、私だってわからないよ」


「あっ、じゃあさ、みんなでお出かけして、雰囲気を作ってさ……。――うん、この案は駄目じゃん。私達がお膳立てとかしたら余計拗れるかも知れないしね。ただのおせっかいになっちゃうじゃん」


 俺は話を理解しようとした。俺も不思議であった。二人はお互い想い合っているのに、恋人同士ではない。だが、そこらにいるカップルよりも見てて気持ちの良いものであった。

 何が障害なんだ?


 俺は直感で何かを感じ取った。

 これは俺が胸に秘めている感情に関わりがある事だ。


 俺は田中も花園も大切な人だ。

 だが、この感情はただの好意と言ってしまっていいのだろうか? 俺はそれがわからない。


 だから、俺は五十嵐と佐々木の感情を見てみたい。

 何事も経験だ。


「よし、俺が――五十嵐と話をしてみよう――」




 ***************




 陸上部の練習が終わるまで待つ必要がある。

 俺たちは視聴覚室へ移動して、ゆっくり過ごす事にした。


「あっ、先生に提出しなきゃいけない書類あったじゃん! やばっ! ちょっと待ってて!」


 田中は俺たちを置いて足早に視聴覚室を出ていった。

 俺と花園は二人っきりとなった。


「あははっ、波留ちゃんって元気だよね。可愛いし、優しいし、すごく素敵だよね」


「ああ、田中は素晴らしい女性である」


 そっか、と小さく呟く花園の声が聞こえた。


「どうした? 元気ないぞ?」


「ううん、何でもないよ。……藤堂って変わったよね。ふふっ、私のラブレターを先輩に渡しちゃったの思い出しちゃったよ」


「あ、あの時は済まない事をした。……俺は人の心を理解しようとしていなかったんだ。だから、表面的な事しか見ようとせず、自分の殻に籠もっていた」


「素直じゃなかった私も悪かったしね。……あの時、藤堂と付き合えなくて良かったと思ってる。おかげで、藤堂がどんどん素敵になって行ったし、私も友達も出来たしね」


「俺はあの時の花園のおかげで普通の生活というものを学んだ。すごく感謝している。花園がいなかったら俺は――学校を飛び出していたかも知れない」


 社会の闇にまぎれていたかも知れない。まっとうな人生を歩めなかっただろう。花園はそれほどまでに大きな存在であった。――そんな花園の感情を些細な事でリセットしてしまった。今思うと短絡的な行動である。


「ねえ、藤堂……リセットってなんだろうね? 私の好意を消したって言ったでしょ? 私は冗談かと思ったけど、藤堂と話したらすぐにわかった。もう私の事好きでも何でもないって……」


「ああ、感情を消すんだ。なにも無かった事する。そうすれば心が傷まない」


「そう……。本当に痛みは消えたの?」


 俺はリセットした瞬間の事を思い出す。

 胸に浮かび上がった痛みを消すために――痛みを感じる前に――


 痛みは消えた。だが、それでも消さない何かがあった。


「……消えた――はずだ。……それに」


 リセットしたとしても、感情を育む事が出来る。


「俺は花園の事を大切な人だと思っている」


「〜〜〜〜!? ちょっと不意打ちはやめてよ!? もう、照れちゃうでしょ……。それに私なんて波留ちゃんに比べたら可愛くないし――」


 俺は手をゆっくりと伸ばして、花園の髪を撫でた。

 最近読んだ小説の主人公は、女の子が悲しんでいると髪を撫でていた。そうすると元気になるらしい。



「花園は俺にはもったいないくらい素敵な幼馴染だ。可愛くないはずがない」



 花園が元気になると思ったが――花園は何故か泣いてしまった?

 悲しいという感情は感じられない。

 温かい空気を感じる。


「――うん、ありがとう。……まさか藤堂からそんな言葉を聞けるなんて……嬉しくて……」



 俺はその時、ふと思った。

 もしも――リセットした感情を――復活させたらどうなってしまうのか?

 そもそもリセットした感情を復活させる事ができるのか?


 一つだけわかる事がある。リセットは俺が痛みを消すためのものだ。

 花園や田中の事は問題ない。

 ……俺は過去の感情に押しつぶされて――まともではなくなるだろう。


 だから、俺はこれから痛みを抱えながら前に進むんだ。

 泣いている花園を見ると心が痛くなる。

 悪い痛みじゃない。前に進むための痛みだ。


 俺は花園の髪を撫で続けた。


 扉が開け放つ音が聞こえた。花園の身体がびくんと跳ね上がる。


「は、波留ちゃん……これは……ちがうの」


「よっすっ!! ただいまっと! あれ? 何かいい感じじゃん? うぅ、ちょっとずるいよ! 私も撫でるじゃん!」


 そうして、俺は田中の髪も撫でる事になった。

 部活が終える時間になって俺たちは初めて五十嵐の存在を思い出した。




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