田中とデート


 犬の次は猫であった。どうせ別れる苦しみがあると思うと、可愛がる事ができなかった。

 猫を無視し続けた。それでも俺の足に絡みついてくる。

 猫がいなくなった。軽い落胆を覚えたけど、猫は教室の機材の奥で隠れて寝ていただけであった。

 ――俺は思わず猫を抱きしめてしまった。







 俺は週明けには特別クラスに移動をする。

 特別クラスの校舎はここから離れている。なんてことのない距離だ。


 俺と花園は中庭で田中を待っていた。生徒たちが部活の準備をしているのを眺める。


 同じ生徒なのに、部活がある学生は学校に長い時間いる。仲間と一緒に汗を流す。青春である。帰宅部では経験できない視野が広がる。


 バイトをしてみて、仕事の大変さを理解できた。職場はどこか学校と似た雰囲気を感じた。

 あれは、学校が社会の縮図として成り立っている、という事を理解することができた。




「田中さんが一緒のクラスだから安心ね。……藤堂、よ、良かったね?」


「ああ……どうせなら花園も特別クラスにくればいいのに」


「ちょ、無理だよ。わ、私普通の成績だし、人並みの運動しかできないし」


「む、そ、それなら、俺の付き添いという事で――」


「ぷっ、藤堂、何言ってるのよ? ……藤堂は大丈夫よ。私がいなくても、間違えても進めるんだからね?」


 俺の冗談と思ったのだろうか? 本気だぞ? 

 笑った花園の顔はやはり美しい。

 人の美醜には興味がない。芸能人と呼ばれる人間の顔はみんな同じに見える。

 画面を通して好感を持つことが出来ない。


「おーっす!! お待たせっ!! 今日はバイトないから一緒に帰れるじゃん!」


 田中が小走りで俺たちに向かって来た。

 花園は田中に手をふる。


「波留ちゃん、お疲れ様っ! あ、ちょっと待って……髪がボサボサだよ?」


「あははっ、爆睡してた……、寝起きで急いで来たじゃん」


「もうっ、授業中は寝ちゃ駄目だよ? あれ? 藤堂、どうしたの?」


 花園が田中の髪を櫛ですく。田中は嫌がりながらも抵抗しない。

 俺は二人を見つめていた。

 何故か心拍数が上がっている。……覚えのない感情がほんのりと湧き上がる。


 ――これは友達としての好意の感情か? 確かに、以前花園に抱いていた好意と似ている。

 だが、あの時の感情とは少し違う。そもそもあの時と似た感情は――五十嵐や佐々木にも抱いた。好意の感情って一体なんなんだ? 家に帰ったらノートにまとめよう。


 田中が俺の身体に体当たりしてきた。ふわりと田中の匂いが俺にまとわりつく。

 優しい匂いだ。


「ふふっ、藤堂、明日はよろしくね! 楽しみにしてるじゃん!」


 明日、俺と田中は……カフェに行く約束をした。そのためのプランを花園と一緒に考えていた。

 ドキドキである。花園には何度もレポートを書いてプランを提出した。幾度の訂正の後、「うん、大丈夫……」とお墨付きの言葉をもらえた。


「あ、ああ、ぜ、善処する――」


 なんだか、久しぶりにその言葉を使った気がした――






「ふーん、でっ、藤堂は最後には、クラスメイトと普通に喋れるようになったんだ。良かったじゃん!」


「道場……、あの子本当に馬鹿ね。でも……人のこと言えないけどね」


「ああ、道場がテストでトップを取ることは……普通の努力では無理だ。根本的な何かを変えなければならない」


「――根本的な? 意味わかんないじゃん?」


 なんて説明すればいいのだろうか? 


「む、俺たちはもう高校生だ。人の性格を強制的に変えることが出来ない。本人の強い意思だけでも難しい」


「え、で、でもそれじゃあ――」


「精神的に弱っているところに救いを与えて、表面的な目標を作り、それに向かってがむしゃらに進ませる。幸い、あいつには慰めてくれる友達がいた。注意してくれる友達もいた。変わる絶好のタイミングだったな」


 弱っている生き物は、救いの言葉にすがりつく。それでも道場が変わらなければ……俺には関係……、違う、あいつと過ごした思い出だけを記憶すればいい。高校の頃の一つの思い出として考えればいい。


「そ、それって、変わるって言うより……せ、洗脳……」


「まっ、道場さんの事は放っておこうじゃん? ていうか、華ちゃん、そのストラップ可愛いね! ほら、私ってこんな感じだから、可愛いものって似合わないじゃん?」


 俺はその言葉に反応してしまった。


「何故だ? 田中は可愛いから可愛いものが似合いそうだ。……あっ、す、すまない。つい――」


 心の声がこぼれてしまった。


「うひゃ!? と、藤堂!? は、恥ずかしいじゃんっ!」


 俺と田中は無言でうつむいてしまった。

 花園は薄い笑顔でため息を吐いた。


「もう……、敵わないな……、うん、藤堂、波留は可愛いんだよ? だから、明日は一杯楽しんでね!」


 言葉とは裏腹に、花園はほんの少しだけ悲しそうに見えた。

 俺の気のせいだろうか?


「――ぜ、善処する」


 花園からプレッシャーを感じる

 俺は思わず口癖を言ってしまった。








 俺は花園のアドバイスにより、待ち合わせ時間よりも少し早く着く。


 15分前だ。駅前で田中を待つ。

 ……何故か嫌な事を思い出してしまった。道場をカラオケ屋さんの前で二時間待った……。俺はあの時、寂しくて悲しかった。自分のミスを疑った。あれは悪意であった。

 道場さんが普通になれるか俺にはわからない。人の心は難しい。

 田中がちゃんと来てくれるかドキドキしてしまう。




「あれれ? 藤堂、早いじゃん!? ふふ、おはよっ!」


 予想よりも早く田中が待ち合わせ場所に着いた。

 私服の田中はバイトで見慣れてるはずだ。それなのに今日はずっとおしゃれに見えた。


「お、おはよう。た、田中、いつもよりも服がとても可愛い。あっ、違う、前言撤回する。いつもよりも田中が、か、可愛く見えた」


 実際、田中はとても可愛らしかった。制服姿だと目立つ金髪も、私服だととても映える。


「へへっ、う、嬉しいじゃんっ! ほら、藤堂、私に付いてくるじゃん!」


「た、田中? よ、予定では、この後――――」


 田中は俺の腕を取った。田中の匂いと体温を身体で感じる。

 驚きすぎて声が出せなかった。


「うんとね、ジュースのカフェには行くよ? でも、それまでは――私に付き合うじゃん!」


 俺は田中に押されて歩き出した。






 着いたところはカラオケ屋であった。

 俺のプランでは……いや、もうプランは無くなった。テストと一緒だ。付け焼き刃は予測不可能の事態に陥ると、ボロが出る。

 俺はその状態だ。それでも花園と一杯話した。レポートだってまとめた。経験値は取得した。

 ――田中と一緒に楽しく過ごす。それだけを考えて行動してみよう。


 しかし何故カラオケ?


「うん? 早く入るじゃん? だって、藤堂カラオケ行ってみたかったんでしょ?」


「あ、ああ、だが、それは――」


「みんなと行きたくても行けなかったんでしょ? 嫌な思い出があるかもだけどさ、私と一緒に行くじゃん!」


「田中、わ、わかった。行くから袖を引っ張るな」


 こうして、俺は初めてのカラオケに挑戦するのであった。





 カラオケボックスは狭い個室となっている。

 田中は手慣れた様子で機械を操作する。


 俺はどうしていいかわからなくて、とりあえず運ばれたジュースを飲み干してしまった。


「ちょっ!? 早すぎじゃん!? あっ、とりあえず私から歌うから、歌いたい曲をこれで決めるじゃん!」


 俺の膝にタブレットを置いて、田中はマイクを手に取り歌い始めた。




 俺は衝撃を受けた。歌というものはテレビで聞いた事がある。理論は理解していた。

 全身から鳥肌が立った。こんなに鳥肌が立ったのは……命の危険を感じた時しかなかった――


 田中の声が俺の身体を貫く。

 感動という言葉では生ぬるい。俺は音楽に興味が無かった。何故、歌が世界中ではやっているのか理解出来なかった。その答えがここにあった。


 田中が曲を歌い終わると、俺は自然と拍手をしていた。

 初めての体験であった。歌っている時の田中は――別人のようであった。


「ふぅ〜、弟と行って以来だから久しぶりじゃん……って、藤堂大丈夫!?」


 俺は拍手を止められなかった。何故か、顔から汗が出ている。なんでだ? 歌を聞いただけだぞ? 

 ただ一つ言えることがある。


「……俺は田中とカラオケに来て良かった」


「へへっ、照れるじゃん……、ほら、藤堂も歌うじゃん?」


 マイクを俺に渡す田中。俺は曲を決めていない……。

 流石にここで合唱コンクールの曲を歌うという選択肢はない。そんな事をしたらあとで花園に怒られる。


「――田中、すまないが……田中が歌った曲を歌っていいか?」


「うん? 全然構わないじゃん! じゃあ、ポチッとじゃん!」


 ――歌詞も音程も覚えている。それに、最高のお手本があった。


 曲が流れると、俺はマイクを握り締め歌い始める。




「すごいじゃん!! 超うまいじゃん!!」


 俺は必死になって歌った。

 女性曲だから、音程がずれるところもあったが、ほぼ完璧に歌えただろう。

 だが、不思議に思う。田中の歌と質が全然違った。

 技術的な問題もあるかも知れないが、それが何かわからなかった。


 歌が終わってから、俺は田中にそれについて聞いてみた。


「ああ、それって、あれじゃん! ……ちょっと恥ずかしいけど、歌が好きがどうかじゃない? 心を込めて歌うっていうか……、あーー、もう難しいじゃん!」


「いや、理解できる。俺は必死になって歌った。それは歌うというよりも、田中の真似をしているだけだ。だからか……、なるほど、奥が深い世界だ。非常に興味深い。それに――友達と一緒に歌うと、とても楽しいものなのだな――」


 俺は歌い終わった後、達成感が身体に包まれた。不思議な気持ちだ。


 田中は嬉しそうな顔で俺を見ていた。


「へへっ、連れて来て良かったじゃんっ! いつだって私が付き合ってあげるじゃんよ! あっ、藤堂、この曲は一緒に歌うじゃんよ!」



 田中と一緒になって俺は歌う。これが高校生の日常なのだろうか?

 みんなこんなに歌がうまいのか? 


 俺は初めてのカラオケを満喫することが出来た――







 俺はジュースを飲みすぎたから、田中に断りを入れてトイレに向かう。

 ――田中を一人で待たせなくない。早く戻ろう。





 部屋にもどると、田中以外に3人の人影があった。


 田中が愛想笑いを浮かべながら――誰かと話していた。

 俺の知らない人だ。

 俺の心臓が跳ね上がる。身体が臨戦態勢に入ってしまう。


 知っている人が一人だけいる。

 アルバイトの田代さんだ。


「おっ、やっぱり藤堂と一緒じゃねえかよ! まさか、同じカラオケにいるとはな! ったく、藤堂とは遊ぶのに、俺の飲み会は断るんだよな〜」


「……波留、久しぶりだね。全然わからなかったよ」


「お、おい、田代も須藤も帰ろうぜ。高校生のカップルに構うなよ――」


 自分の心臓の鼓動がうるさかった。

 田中は困った顔をしながら、田代の話を流していた。知らない男は馴れ馴れしく田中に話しかける。


「で、出てって下さい――。あっ、藤堂っ、で、出よ」


 田中は俺を見ると、席を立とうとした。


「ねえ、波留、元カレのお願いだよ。田代先輩と一緒に飲んであげてよ。あっ、俺も一緒に付き合うからさ。それにしても、あの時は3日で振られるとは思わなかったよ。なんで俺を振ったのさ――」


 須藤と言われた男が俺を見た。


「――あっ、波留は中学の時は、彼氏が出来てもすぐに別れちゃったんだよね。どうせ君もすぐに捨てられちゃうよ」


「嘘言わないでよ! やめてよ!! 藤堂には関係ないじゃん!! あんたたちどっか行ってよ!!」




 俺は情報の許容量が超えそうであった。

 頭ではわかっている。田中は素敵な女性である。誰と付き合っていてもおかしくない。

 わかっているけど、苦しみと吐き気が止まらない。


 過去の田中を知らない自分が悔しい。俺がトイレに言っている間にデートが台無しになって悔しい。言い返せないでいる自分が情けない。



 恋愛経験がない俺には難しい話だ。

 俺とデートしているのも、田中にからかわれているだけなのか?

 後で馬鹿にされるのか? 田中にとって、俺は都合の良い男なのか?


 俺が田中に捨てられる? そんな事を考えただけで――俺の胸が一際強く痛んだ。

 リセットすれば楽になる――

 理屈としては間違っていない。

 田中と一緒に育んだ感情を殺せば、そこで苦しみがなくなる。




 ――でも、それじゃあ前に進めない。




 俺は胸の痛みも苦しみも、心の奥で湧き上がる――嫉妬心を抑え込んで田中に話しかける。


「――田中、俺は――大丈夫だ。カフェでゆっくり話せばいい――」


 俺はそれを言うだけで精一杯であった。

 田中は小さく頷いて、男から離れようとする。


「ちっ、待てよ――」


 須藤と言われた男は田中の腕をつかもうとした。

 俺は人生で二度目の感情を持て余していた。



 なるほど、リセットしないと、感情が爆発するんだな――



 俺は須藤の手を掴みながら田中の身体を抱き止める。

 田中の匂いが俺の気持ちを少しだけ落ち着ける。


 動こうとする須藤の腕がきしむ。大丈夫、ギリギリで調整している。




「――すまない、俺は――今、怒っている。おとなしく帰ってくれないか?」


「てめえ、年下のくせに――がふっ!?」


 俺は須藤の手を持ったまま、掴みかかってきた田代の腕を逆に取る。二人は絡まったまま、床に顔をつけた。ただ、片手で技を使って二人を抑えているだけだ。


 もう一人の男が俺を見て怯えている。


 人間は自分の想定外の事が起こると混乱をしてしまう。

 俺は普通の人でも感じられる程度の――暴力の気配を醸し出した。


 空気が重たくなるのを感じただろう。身体の硬直具合でわかる。このまま、精神的に追い詰めて、心を破壊すれば憂いがなくなる。

 二人のポケットを弄り、財布を取り出す。

 財布の中から身分証を取り出した。

 俺はそれを頭の中で記録して、床に投げ捨てた。これで社会的に殺すことも可能だ。


 絡まった二人から感じる――屈辱という空気が薄れ――段々と恐怖に切り替わっていく。そうだ、道場さんが感じていた恐怖とはわけが違う。濃密な暴力の気配だけで、生きた心地がしないだろう。

 二人から俺の顔は見えるように調整してある。


 俺は笑っているように見えるだろう。そこから感じるのは狂気だろう。

 そうだ、お前らは今から――





「えいっ!! しつこいじゃん!! もう顔も見せないで!! 田代も死んじゃえ! 視線がキモいじゃん!! えいっ、えいっ!! 大体須藤って誰よ? 全然覚えてないじゃん!! なんで勝手に元カレになってるの!! いつもみんなそうっ!! 付き合ってないのに意味わかんないじゃん! マジムカつくじゃん!! じゃんっ!!」


 後ろにいたはずの田中が前に出て、カバンを振りかぶった?


 田代と須藤の頭をポカポカと殴る。

 金具があたって痛そうである。


「すー、はぁ〜〜、よしっ、藤堂、気を取り直して行こっ!! ……カフェで良いよね?」


 田中は俺だけに笑いかけてくれた。

 俺はそれだけで毒気が抜けてしまった。



「――――」



 俺は、言葉を返せなかった――こんな時、不器用な俺はなんて言えばいいかわからない。


 代わりに、俺は田中の手を握り――伝票を持って、会計へと向かった。

 俺たちは店を出た。

 田中は嬉しそうな顔をしていたけど――泣きそうであった。


 握った手が――泣きそうな俺の心を奮い立たせてくれた。



「俺は――田中を信じる――」



 後ろからついてくる田中から、嗚咽が聞こえてきた――






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