リセットして青春を送りたい


 子供の頃は自分の状況を特殊だとは思わなかった。

 中学に入って、初めて自分が普通じゃないと理解した。

 ……だから俺は普通というものを求めているのかも知れない。




 俺は新しい靴を履いて学校へと向かう。

 家から学校まで歩いて30分。走ると5分弱で到着できる。

 朝の空気が好きだ。

 爽やかな気持ちになれる。


 通学ラッシュの時間帯なので学生が溢れていた。

 登校中の空気感が好きであった。みんな同じ目的の学校を目指して歩く。オリエンテーリングみたいだ。


「おはよーー! みきちゃん、髪型変えたの!?」

「うふ、わかる? 大人っぽいでしょ?」

「やっべ、朝練遅刻した!?」

「ふわぁ……ねみ」


 日課の朝ジョギングはやめた。その代わり夜のランニングに切り替えた。

 ゆっくり走る必要がなくなった。もう、笹身に合わせる必要がない。


 俺は笹身の態度に衝撃を受けた。

 彼女の気持ちをわかろうと努力したが、無理であった。……好きってなんだろう。そこまで清水君に魅力があるのか? ……若い子の考えがわからない。俺は幼馴染である花園さんに好意を持っていたが……そこまでするものなのかな? 


 なんにせよ、もう関係ない。笹身は赤の他人だ。

 うん、胸は痛まない、心はいつも通りフラットである。





 一人で歩くのは慣れている。少し寂しいけど、周りには人が一杯いるから大丈夫だ。


 学校に近づくに連れて学生が多くなる。

 見知った顔が増える。

 ただ、それは俺が知っているだけで、向こうは俺と話したことがない。


 ――同じクラスの佐々木君。田所さんに山田君。剣崎君や橋池さん、斎藤さんに山口君。あっ、田中っ……。



「おーっす! おはよっ! あんたこの時間なの? 私早く来すぎちゃったじゃん」


「あ、ああ、おはよう、田中」


 あくびをしながらけだるそうに歩く田中に声をかけられた。

 田中は人目を気にせず俺に近寄って来た。


「で、どうよ? 連絡待ってたじゃん? ……、いつになったらカフェにつれてってくれるの?」


「あっ」


 忘れたフリをする。だって、そうすれば温かい気持ちのままでいられると思ったからだ。


 田中に頭を叩かれた。


「藤堂、忘れてたじゃんかよ!? ったく、ジュースの他にスイーツもおごってもらおっと! ふふ、楽しみじゃん? 絶対忘れんなよ?」


「ぜ、善処する――あ、いや、今度のバイトの時までに決める。だから……れ、連絡先を……お、教えて、くれないか?」


 女子の連絡先を聞く。それだけで恐れおののく。

 ……今度、笹身の事を相談してみようかな? でも、相談しすぎると田中が迷惑じゃないか心配だ――


「おっ、そういえば藤堂の番号知らんかったじゃん。じゃあほら――」


 俺と田中はバイトの時にしか会わない。今まで連絡先を交換する機会がなかった。

 スマホを取り出し、俺は慣れない連絡先交換をする。アプリの使い方が……よくわからない。


「あんだよ……もっと近くに寄せろって――」


 田中が身体ごと俺に近づく。なんだろう、とても良い匂いがする。

 優しい匂いだ。……落ち着くな……。


「おい、寝てんじゃないって!? もう……、これで大丈夫じゃん? うん? あれって……確か――」


 田中の身体がゆっくりと離れていく。少しだけ名残惜しく感じた。

 俺は田中の視線の先を追う。



 ――あれは花園さん……一人なのか? いつも朝は友達と登校してたのに?



 田中は俺の顔を見て、優しく笑いかけてくれた。お母さんみたいだ。――お母さんっていた事がないからわからないが、こんな感じなのか?


 田中は「ほらっ!! 行って来るじゃん!!」と言いながら、俺の背中を強く押した。

 自然と、足が花園さんに近づく。


「じゃあね、藤堂っ! また今度ね! ふふっ、カラオケもおごってもらおっと♪」


 田中は流行りの歌を口ずさみながら去っていった。





 俺と花園さんは顔を合わせる。

 お互い予期せぬ出会いである。


 花園さんはなんとも言えない顔をしている。嬉しそうな、悲しそうな……悔しそうな……。

 一度口を開きかけて――閉じた。


 ――なあ花園さん、なんで一人なんだ? 一人じゃ寂しいだろ。


 気になるけど……彼女に対しての好意は消えた――だから関係――


 ……バカ、だから俺は子供なんだ、好意は消えたけど……今までの恩は消えたわけじゃない。全てをゼロに出来ない。それに心配だろ? 田中が俺の背中を押してくれたんだ……一歩、先に進むんだ。


 俺たちは自然と通学路の脇道を入った。

 大通りと違って学校へ行くのに遠回りだから、歩いている生徒は少ない。花園さんと良く歩いていた道だ。


「つ、剛? な、なんで――」


「あ、いや……、なんで……一人なのかなって思って――」


 違う、そんな事を言いたいんじゃない。寂しそうにしているから声をかけたんだ。

 心配したんだ。


「つ、剛には関係ないでしょ……。って、ううん、ごめん、私――なんで素直になれないんだろうね……。あんたが不器用な事も知ってるのにね。はぁ……、私もダメダメね」


「――――」


 話が見えない。俺には空気を読む力はない。

 だけど、花園さんが弱っているのがわかった。


「――俺のせいか?」


「……昨日友達と喧嘩しちゃってね。剛の事馬鹿にすんなっ! ってね。ははっ、私が剛の事を馬鹿にしてたのに笑っちゃうよね」


「……それは……友達と元に戻れるのか?」


「うん、後でちゃんと話せば大丈夫だと思うよ。喧嘩なんかしょっちゅうだし――」


 普通は話し合えばわかるんだな。田中の言ったとおりだ。


「そうか」


「ははっ、剛変わってないね。――私の事嫌いになったんじゃないの?」


 嫌いと言った時の花園さんの顔が少しだけ引きつっていた。


「いや、それは――」


 嫌いになったわけじゃない。淡い好意というものが消えただけだ。俺の中で今までの関係性が消えただけだ。


「いいの。私が悪いんだから――本当にごめんなさい」


「違うっ!! わ、悪いのは、お、俺だっ!! 俺が――リセットしたから――」


 思わず大声を出してしまった。脇道で通学してる生徒も少数ながらいる。俺たちを好奇な目で見る。あの目は好きになれないんだ。

 駄目だ、花園さんに迷惑をかけられない。


 中学の頃から迷惑をかけ続けてきたんだ。これ以上は――


「ふふっ、不器用だけど相変わらず優しいね。迷惑なんて今更でしょ? 散々かけられたんだからさ。……でもね、壁を感じるの。剛から感じる空気が――中学で再会した時みたいに――硬いの。一切の感情が感じられないわ。距離が恐ろしく遠く感じるの」



 俺の心の記録が引き出される。

 中学生の花園さん、迷惑そうな顔をしている顔。面倒臭そうなたち振る舞い。



 彼女の好意はリセットしたはずなのに――

 なぜか胸が苦しくなる。


「俺が好意をリセットして――」


「あんた、極端だったもんね。ったく、人の話も聞かないで……。でも私にも考える時間が出来たよ。……私思ったの――」


 何故か花園さんは穏やかな顔で俺を見ていた。

 俺は女の子に視線を向けられると緊張してしまう。


「――依存していたのは私の方ね。……だってあんた優しいんだもん。なんでも言うこと聞いてくれて、私の事だけを考えてくれる……。うん……私がもっとあんたの心を成長させれば良かったんだね。だって、あんたと話せるのは私だけだった。――私はそれに優越感を抱いていたのかもね」


 成長……してないか。確かに俺は中学の時とあまり変わっていない。高校になっても花園さんの世話になってばかりであった。

 花園さんは今――それを否定した。



「それは、俺が悪かったから――」


「ああ、もうっ! 悪くないの! だって、藤堂剛だもん、それをわかってる私が変えようとしなかったの。……リセットか、本当にそんな事できるんだね。――悔しいよ」


「済まない――」


「ううん、悔しいのは過去の自分の馬鹿さ加減の事。私が剛を変えようとしたら違ってたのかもね……。ラブレターだって……絶対剛が受け取ってくれるってうぬぼれがあったもんね……」


 そうだ。俺は都合の良い男だったんだ。

 頭の記憶が鮮明に浮かぶ。

 無表情でつまらなそうな俺と、迷惑そうな顔をしている花園さん。

「……誰?」「覚えてないの? 花園です。……あんたの面倒を見ることになったの」

 時が経つに連れて……俺達は関係を育んだ。

 映画を見た後にアイスクリームを食べた。買食いする時はお互い食べている物を交換っこした。転びそうになった花園さんを抱き止めた。朝起きられないから、俺が電話で起こした。俺の口下手を治す為に電話で話してくれた。おしゃれに無頓着な俺の服を選んでくれた。わがままを聞いてあげないとむくれた。クラスメイトとの接し方を一緒に考えてくれた。駄目だった時は俺を慰めて――くれ――た。


 ――俺は二人で育んだ好意を――一瞬で――消した……。


 胸が痛む。なんだこの痛みは? 陰口を言われた時とは違う。

 苦しい……感情が抑えられない。


 後悔を感じないんじゃなかったのか? もう関係ないんじゃなかったのか?

 好意はない……それでも――


 花園さんは薄い笑顔で俺にほほえみかけた。

 それは、俺が好きだった顔だ。頭の記録にある。

 花園さんの身体は小刻みに震えていた。




 花園さんはいきなり自分の顔をパンッと叩いた。


「〜〜〜〜痛た……。うん、これで私も剛の事をリセットしたよ! うん、思い出も全部忘れて……っ……好きな気持ちも……無くして……。まっさらな状態――」


 そんな事できるわけ無いだろ!? 

 リセットなんて……普通の人ができるものか。


 花園さんは俺の手を取った。

 震えを隠さずに――


 初めて会った時みたいに、冷たいそうに見えるのに……優しい気持ちが見え隠れする。




「――藤堂……一から……本当に一から友達になって下さい」





 俺は自分の手で顔を覆い隠した。

 愛しさを感じない。愛らしさを感じない。だけど――俺の中の何かが暴れている。


 歯を食いしばる。口の中で血の味がする――


 ああ、うまく喋れない自分がもどかしい。

 俺はどんな顔をしているんだろう?

 きっと、無表情なんだろうな――


「俺は花園さんへの好意をリセットして――違う、そんな言葉じゃない……善処する――違う、俺は――」


 花園さんは俺の事をじっと待っていてくれた。

 身体はまだ震えていた。勇気を出してくれたんだ。


 俺ももっと自分を素直に出せばいいんだ。


 寂しい自分が嫌だったんだろ? 寂しそうな花園さんを見て胸が痛んだんだろ?


 だったら――





「――友達に……なりたい」




 涙混じりの声が聞こえてきた。


「うん、ありがとう。――今度こそ、私は藤堂に普通に青春を送らせてあげたい……」


 花園さんは小声で『何度リセットされても諦めない』と声を漏らす。


 そうだ、ここから始めるんだ。俺が大切だった幼馴染から聞いた陰口なんて吹き飛ばしてしまえ、リセットしてから始まる関係だっていいじゃないか。


「ひぐっ……ははっ……なんで私……泣いてんだろ? ねえ、藤堂、今度は――友達作ろうね。みんなで一杯遊ぼうね……ひっく……」


 胸の中で暴れていた何かが――治まった気がした。

 俺は初めて――人との関わりが、こんなにも尊いものだと理解することが出来た。


 俺は精一杯の感情を込めて――思いを込めて――決意を込めて――感謝を込めて――



「――俺、変わるよ。――花、園」



 俺が初めて花園と向き合った瞬間であった――




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