2020年5月29日(仏滅) 始業前

 翌日、りょうは在宅でズーム越しに授業をうけることにした。

 各授業は当面、登校希望者数を限定した縮小クラスとズーム越しの遠隔授業を同時に行う混合型である。実技科目のみ曜日を集中させての分散登校になる。


 そして合唱部は『自宅練習が不可能な生徒のみ、音楽室で自主練』という条件がついている。


 りょうの自宅は、徒歩通学圏にある一軒家である。

 母は介護職で緊急事態宣言期間中も平日同様の勤務が続いた。父も実務職の毛色が濃いようで、今日も出勤している。

 しかも一人っ子で今はペットもいない。

 ――つまり両親不在のリビングで歌い放題である。


 したがって、りょうは音楽室使用の要件に当てはまらない。

 学校に、音楽室に行っても参加できない。

 りょうとしては部活のない学校は通ってまで行くほどのものではない。


 ……さて、それを嘆く女子が1人いた。

 中学時代から彼を最高無二の友とする、鈴木明衣である。

 昨日は分散登校のシフトがかみ合わず、2人は会うことができなかった。

 今日こそは会える、そう思ったのである。


 明衣は単純に、親友と生身で会えないのが寂しかった。

 なにしろ電車内でのcovid感染をおそれて、休校中は外出を控えていた。むろん徒歩通学圏のりょうの家にも遊びに行っていない。

 今日も本当は電車での感染を怖れる両親に『遠隔授業にしたほうがいい』と言われたのを振り切ってきたのである。


 りょうと明衣はゲームでは毎日2時間か3時間は一緒に遊んでいた。

 連携プレイのために使用しているボイスチャットで、互いの声も毎日聞いていた。

 顔だって見ていないわけではない。

 ズーム授業の準備を、明衣はりょうを接続相手にして行った。


 だがラップトップPCの内蔵カメラ越しは、直接会うのとは感触がかなり異なる。

 特にりょうも明衣も親しい相手とは、目を見て話す癖がある。

 それがリモートの場合、カメラから少しずれた画面を見るため、お互いに目が合うことがない。

 しかも互いに、どことなく虚ろな表情に見えるのだ。それがなんとも物悲しかった。


 ――だからこそ、今日の久々の直接対面を期待した。

 マスクをしてなお息を殺して電車に乗った。この状況下につけ入った卑劣な痴漢と遭遇する可能性に怯えた。そうして学校までやってきた。


 だが、そのあてがはずれたのだ。


『今日来ると思ってたのにー!』

 学校時間中は使用禁止とされているスマホでわざわざそんなメッセージを送りつける。


 そして自分の教室に帰り、自分の席に座した。11年4組である。

 ほどなく、教室前方のドアに迷彩柄の自作マスクをした挙動不審な男子生徒が見えた。

 その頭はもっさりふさふさと天然パーマが茂っていた。


 彼は明衣を見つけると教室に入ってきて、まっすぐに歩いてくる。

 そして一瞬だけマスクを外して顔をみせた。

 明衣は正体を把握してぱっと表情を明るくした。


「オキさーん、なにそれ、わかめ頭にわかめマスク?」


 演劇部の部長、12年生の沖原である。


 最後に直に会ったのが2月下旬、昨年度の3月自主公演のゲネプロが始まった頃だ。それからほぼ3ヶ月である。

 この間、ズーム画面越しの彼はいつも太幅のヘアバンドで頭髪を抑えていた。

 外出自粛で散髪に行けず伸び放題の天然パーマをそうして収めていたのである。


「ほっとけ、それより放課後空いてるか」

「え、空いてますけど」

「よし、ミーティングやるから放課後PA室集合」

「了解でーす」


 それだけ確認すると、沖原はもさぁっと髪を揺らしながら教室を出て行った。


 ――PA室というのは、小ホールの舞台設備としての音響や照明の操作を行う制御室である。

 防音の小ホール後方上部にあり、小ホールとは別の入り口がある。


 演劇部と軽音楽部の共用エリアだが、軽音楽部員はほとんど入らない。

 のOBの中に『原罪』を犯した者がいるためだ。

 飲食厳禁のこの部屋で制御コンソールにカップラーメンをぶちまけたのである。

 ――それ以来、軽音楽部は伝統的に文化祭関連以外はこの部屋に近寄らない。


 まして今年の軽音楽部は、コロナ対応として当面リモート活動のみと発表している。


(……自宅にドラムを持っていないドラムの子などはどうしているのだろう)

 明衣はふとそんなことを思った。

 だが演劇部と軽音楽部を繋ぐ部員もいない。


 そしてその日の授業は、とてもマイルドに、或いはたどたどしく行われた。


 同日午後のホームルームにて、今年の6月に予定されていた体育祭が中止となったことが告知された。

 ……これは実質、各学年各クラスの結束が生じる機会の消失の宣言だった。

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