第36話 世の中には自然消滅という別れ方がある。だが、バカ真面目な人にそんな考え方は存在しない。

 愛澄華あすかに別れを切り出すと決めた日の学校からの帰り道。


 僕は一大決心を胸に愛澄華と共に自宅へと向かっていた。


「今日は冷えますね」


 10月も半ばを過ぎ、徐々に冷え込んでいく季節。


 暖かい陽気を肌がまだ覚えているからだろう。また一段と寒く感じる。


「そうだね……でも、まだまだこれから寒くなるよね」

「そうですね……でも……」


 愛澄華は薄暗くなった空を見上げながら、幸せそうに言った。


「体は冷えても心はポカポカですよ」


 突然、愛澄華がぎゅっと腕に抱き着いてきた。豊満な胸の柔らかい感触を腕に感じる。


 体を密着させて、頭を僕の肩にべったりとくっつける。


 上目遣いで愛澄華が僕の顔を覗き見るも、恥ずかしさのあまり僕は目を背けてしまう。


 僕のその行動を愛澄華がどう思ったのかは知らないが、チラチラと様子を窺う限り幸せそうだ。


 そうやって体を密着させて歩き続けるも、歩きづらい。


 だからといって、正直にその感情を伝えるのは申し訳ない気がして言い出せず、しばらくそのまま歩き続けた。


 しばらく歩いてから僕は、覚悟を決めて愛澄華に切り出した。


「愛澄華……」

「はい! なんでしょう?」


 上目遣いも相まって、チワワのように愛くるしく見つめてくる彼女の瞳が僕の心に突き刺さる。


 そんな思いを抱きつつも、僕はためらわずに言った。


「話があるんだ」

「話ですか?」

「うん……」


 重苦しい空気を肌で感じつつ、僕はこの場から逃げ出したい気持ちを振り払う。


 一呼吸置いてから話し出そうとすると、まるで僕の話を遮るかのように愛澄華が言った。


「私も話があります。そこの公園で話しませんか?」




 昼間は遊び盛りの小学生とその親御さんで賑わう公園。


 通学で通る公園。特にこれといった特徴はない。


 今日はすでに陽が傾いているためか、ほとんど人はおらず、静かだ。


 その静けさに多少の恐怖を感じるも、もう逃げないと決めた僕は、気にしないように努める。


 園内にある自販機でふたりして温かい缶コーヒーを購入してから、ベンチに座った。


 しばらく雑談をしたあと、話は本題へと進んでいく。


「話ってなんですか?」

「……うん……いや、僕より愛澄華こそなに?」

「……えっと……」


 誰もいないか確認するかのように辺りを見回した後、愛澄華は恥じらいつつ、話し出した。


「……描けたんです……」

「えっと……なにが?」


 僕の脳内には別れを切り出すことしかないためか、彼女が言わんとすることがわからない。


 僕の反応が気に入らなかったようで、多少むっとした表情を見せてから、言い放ってきた。


「まだ! ヒロインのエリカだけですが!」


 どこかで聞いたことのある名前だと思った。それもそのはず。エリカというのは僕が文化祭の出し物で書いた小説に登場するヒロインの名前だ。


 ファミレスでの勉強中、時間があるときにイラストを描いて欲しいとお願いして、小説を渡していた。


 まさか本当に描いてくれるとは思っておらず、僕は興奮を隠しきれなかった。


「え! 描いたの! まだ小説を渡してからそんなに日も経ってないのに⁉」

「はい! 描きました! 小説を読んでいる内に、ヒロインのエリカだけはより鮮明にイメージが湧いてきました」

「そっか……」


 僕はその言葉だけで心が満たされていた。


 というのも、僕は不安だったからだ。描いてみて欲しいとお願いはしたけれども、それを不快に思ってはいないだろうか。うざがられてはいないだろうか。


 そしてなにより、僕は愛澄華のことが好きではなくて、まさに今日、別れを切り出そうと…………


 そこまで考えたところで僕は時が止まるのを感じた。


 実際に時が止まることはない。でも感覚だけはあった。


 いつの間にか愛澄華が、描いた絵を見せようとスケッチブックを広げて僕に差し出してきていた。


 そして僕は……。


「その絵を……僕は受け取れない」


 できる限り感情を殺し告げるよう努める。


 なぜなら僕は、相手を傷つけないようとするあまり踏み込めないところがあるからだ。


 入江部長が言っていた通り傷つけないでことを済ますことは難しい。


 ならいっその事、感情を殺して事務報告をするかのごとく淡々と告げることにした。


「……どうして?」


 僕が発する冷たさを愛澄華は感じたのか。声が震えていた。


 それは今まで愛澄華が僕に見せたことのないものだった。


 おそらく僕は彼女の描いた絵を拒んだことで、彼女の心は傷つき悲しんでいることだろう。


 僕から頼んでおいて拒むなんて酷いと思う。彼女の絵に感動して勢いで頼んでしまった過去の自分を恨む。


 けれど、僕は感情を殺して、はっきりと告げた。


「—―――別れよう」


 僕が別れを告げると、彼女は必死の形相で問う。


「どうしてですか? 理由を教えてください!」

「僕たちは付き合い続けることができない」

「理由になってません!」


 涙を堪え、哀しそうにしている愛澄華。


 僕が黙っていると、愛澄華は訊いてきた。


「私のこと、嫌い……ですか?」

「そんなことはない」


 彼女の問いに不思議な程、即答する僕がいた。


 嫌いではないのだ。そう、決して嫌いではない。嫌う理由なんて何一つない。


 好き同士ではないのに付き合っていることがおかしいのだ。


 納得のいかない愛澄華は問いを続ける。


「では、好きではなくなった……そういうことですか?」


 彼女の問いに言葉では返さず、僕は頷いた。


 愛澄華は哀しそうにしつつも、どこか得心したという風に、冷静に言った。


「そうですよね……諒清は『好きな人としか付き合わない』という素晴らしい信念をお持ちの方」


 僕は胸が締め付けられるのを感じた。ズキリと胸に痛みが走る。どんなに感情を殺そうとも避けられないものだった。


「別れるのは寂しいですが……冷めたら別れるのも当然ですよね」


 哀しそうにしている彼女をいつまでも見ていられず、傍にいることも苦しかったため、僕は彼女を置いて、自宅へと向かうことにした。


 ベンチから腰を上げ、公園の出入口へと向かっていく。


 しばらく歩き、公園の出入口に差し掛かったところで、愛澄華が走って来た。


 すると……。


 彼女は顔を僕の顔に近づけて来て――


 —―ほっぺにキスした。


 僕が呆然と立ち尽くす中、愛澄華は言った。


「それでも、一度は好きになったのなら――」


 くるりとスカートなびかせ、後ろ手にした状態で述べる。


「—―また好きになってくれる可能性は十分ありますね」


 愛澄華の表情は哀しんでいるどころか、一点の曇りさえ感じさせない晴れやかなものだった。


 足早に過ぎ去っていく愛澄華。


 僕は夕陽に照らされたキレイな金髪が左右に揺れるのをただ呆然と眺めて立ち尽くす。


 愛澄華を置いて帰るつもりが、逆に僕が置いて行かれていた。

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