明治よろず屋茶館

瀬橋ゆか@『鎌倉硝子館』2巻発売中

第一章 オールド・ラング・サイン

1-1. 文明開化の音がスル

 ――ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がスル。

 明治の初めにそんな流行り歌が巷に流布してから、二十数年ほどが経つ。

 ここは日本の大都市、帝都の一角だ。中心部ほどではないが比較的栄えている辺りである。表には商店が立ち並び、行きかう人々で今日も賑わっているのだろうけれど、この『よろず屋茶館』の異空間のような落ち着いた空気の中では、その喧騒も聞こえてこない。


 とある呉服店の奥にひっそりとある、『よろず屋茶館』と刻まれたいぶし銀の小さなプレートがかかる黒い扉。そこを開けると、ちょっとした個室の休憩どころ、といったような風情の洋風の部屋が広がる。

 ワインレッド色のふかふかとした絨毯が敷き詰められた床に、落ち着いたこげ茶色の木の壁。真珠のように白い天井にはチューリップ型のガラスのランプがいくつも取り付けられ、今も部屋の中を柔らかく照らしていた。


「ねえ、君」

 ふいにその洋風の部屋の奥から上がった青年の声に、小早川律こばやかわりつは抹茶色の女袴の裾を揺らしながら振り返った。

「何でしょう、るいさん」

 律は淡々と聞き返す。


 うぐいす色の地に白牡丹の刺繍が綺麗に彩られている着物に、濃い抹茶色の女袴、そして足元はこげ茶色の革ブーツ。その小さい顔の顎のあたりまでなびいている艶やかな黒髪は、リボンでぎりぎり結ぶことができないくらいの短髪だ。白玉のように滑らかな白い肌と、凛々しさを漂わせる整った切れ長の目といった律の容姿に、その髪型は異様なまでに似合っている。やや長髪の美少年だと聞かされれば、誰もが信じてしまうのも無理もないほどに。


 呼びかけに反応した律の前で、藍色の着物を着た青年が手に持っていた新聞を机の上に置く。彼はにっこりと笑いながら飴色の机の上で頬杖を突いた。

「その歌、それ単独での歌じゃないってことは知ってるかい?」

 落ち着いた着流し姿で座った状態のままそう言い、類は律を見上げる。


 無造作に遊ばせたその黒髪ですら洒落て見えるほどの優雅な美男、それがこの東雲しののめ類という男だ。そんな彼に流し目で見上げられてみれば、どんな女性だって胸をときめかせずにはいられない――側から見ればそんな場面ではあったものの、律はただため息をついて顔をしかめただけだった。


「……すみません。今の聞こえてましたか」

「うん、残念ながらばっちり。君ってたまに機嫌がいいと小声で歌うよね。何か良いことでもあった?」

 この男は本当に油断も隙もない、と思いつつも律は顔を引き締める。今のは自分が悪い。少しばかり浮かれているあまり、気を緩めてしまっていたのだ。

「それはともかく、さっきの質問のことですが」

「うん君、今さらっと話逸らしたね」

 そう言いつつも、「なんだい」と返しながら類は首を傾げて見せた。


「類さんが言いたいのは、さっきの歌はあくまでも都々逸どどいつの最後の部分でしかない、ってことですか?」

「その通り! 全く君は話が早くて助かるよ。流石は私の右腕だ」

 指をぱちんと鳴らしながら類が微笑む。律は心底ため息を吐きたい気持ちをぐっとこらえ、「だから何だ」と喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


「何事も、全貌をちゃんと把握することは大事だからね。残りの歌詞はちゃんと言えるかい?」

「……『半髪頭を叩いて見れば、因循姑息の音がスル。総髪頭を叩いてみれば、王政復古の音がスル』。――これの最後の部分が、ザンギリ頭の下りですよね」


 都々逸とは、七・七・七・五調で歌われる俗謡だ。今話題に上っている『ザンギリ頭を叩いてみれば』の語彙が有名な歌もこれの一種で、確かあれは新聞雑誌に載ったことで有名になったのだったか。かくいう類も、その『ザンギリ頭』の一角だ。この男、新しモノ好きなのである。

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