第44話 俺の居場所

◇◇


 ――おまえたちにハヤブサをやろう。フェリックスは黒でクロードは白だ。ハヤブサはな。おまえたちの相棒となって、遠く離れた相手に書状を届ける役をしてくれる。アッサム王国にだって半日もたたずに飛んでいってくれるからな。二人とも。大事にするんだぞ。


 グリフィン帝国の宮殿の一室で、皇帝ハイドリヒは窓の外を見ながら、過ぎし日を想っていた。

 目を輝かせながら父からの贈り物を受け取った兄弟。

 二人がこのまま順調に成長してくれれば、何の憂いもなく、玉座を譲れると考えていた。

 しかし……。


 ――父さん。母さんは父さんに『裏切られた』から精神を病んで自殺したそうだね。あのクソ女が死んだ今、ヤツの腹から生まれた男を、俺は弟だと認めたくない! もし父さんがアイツをこのままにしておくなら、俺はここを出ていく! 父さんにとってどっちが大事な子なのか、選んでくれ! 今すぐ!


 フェリックスの母は先代皇帝の娘。ハイドリヒは彼女と結婚したことで皇帝の座を得ることができたのは言うまでもない。

 しかし彼女との間に子どもができた頃、彼は本心から愛せる女性と出会ってしまった。

 そう、クロードの母親である。

 時として恋は理性を狂わせるもの。

 そのせいでフェリックスの母親が気を病み、自ら毒をあおる悲劇にみまわれた。

 一生かけて背負わなくてはいけない後悔であることを、ハイドリヒは自覚していた。

 だからこの時は、涙を流しながら父親に懇願する息子が不憫でならなかったのだ。


 ――クロードを王宮から捨てよ。


 こうしてハイドリヒは、『息子を捨てる』というもう一つの業を背負うことになった。


「はぁ……」


 重いため息が漏れる。

 ……と、その時だった。

 一羽の鳥がこちらに向かってきたのは――。


「あれは……?」


 それは『白』のハヤブサ。

 足には一通の書状がくくりつけられていたのである。


◇◇


 暗殺者は狙った相手に死をもたらす存在である。

 だがそれは決して『肉体』の死だけを意味しているわけではない。

 時には『心』を殺すこともある。

 そして相手を思うがままに操るのだ――。



 自分でも自分のことがよく分かっていない、とはっきり断言できる。

 俺はただ安眠をむさぼることさえできればよかったはずだった。

 そのためにアッサム王国の王宮に身分を隠して忍び込んだんだ。

 聖騎士ってのは、すごい身分らしくて、王宮の敷地内にでかい館が与えられるらしい。俺はその中でも一番良い部屋で、最高級のベッドで寝られることが約束されている。

 シャルロットがいなくなって路頭に迷うことになるメアリーやアンナを館に呼び寄せることも問題ないんだとさ。

 特別な条件はない。年数回ある形式的な儀式に参列して、国王の横に立っていればいいだけらしい。

 ありえないくらい、おいしい役割だよ。

 だが俺の腹は決まっていた。


「断る」

「そうか。残念だよ。君のような忠実で有能な男を手放さねばならないなんてな」


 エルドランがちらりと窓の外に目をやった。外には黒々した監獄塔がそびえ立っている。

 申し出を断れば、あそこにぶち込むぞ――という脅しなのだろう。


「考え直してはくれんかね。教会の一件以来、君は庶民たちの間でも人気が高くてな。君を従えていれば、わしの威光がさらに強くなるというものなんだ」


 エルドランが眉をひそめる。


「悪いな。俺はあんたの威光のために生きてるんじゃない」

「では、君はどうしたいんだね?」


 俺の居場所はただ一つ。

 シャルロットの隣だ――。

 だがそのことを今、ここで口にする気はない。

 

「今は『雑用』を済ませたい」

「雑用?」


 ふと空を見上げる。

 1羽の白い鳥がこちらに向かって飛んでくるのが目に入った。


「窓を開けても?」


 エルドランは「どうぞ」と言わんばかりに首をすくめる。

 白い窓枠をぐいっと押す。とたんに涼しい風が頬をなでた。


「ピィィ!」


 あっという間に目の前までやってきたメスのハヤブサ。

 名前はアリシア。

 足には紙がくくりつけられていた。


「ありがとな」

「ピィ!」


 長年一緒にいるからか、アリシアは俺の言葉を理解してくれる。

 長いまつげが特徴の目を、嬉しそうに細めた後、遠い空へ帰っていった。


「それは何だね?」


 エルドランの問いに、俺はどう答えていいか、正直言って迷った。

 でも、紙きれの中に書かれたたった1行を見て、自信を持って答えたんだ。


「俺の父親・・からの手紙だ」

「父親だと? そもそも君は一体何者なんだね?」


 俺は紙きれをエルドランに手渡した。

 すると彼の目がみるみるうちに大きく見開いていったのだ。


『クロード・レッドフォックスのことを、我が子であるとともに、グリフィン帝国の第二皇子と認める グリフィン帝国皇帝ハイドリヒ・アドラー』


 俺を捨てたクソ親父に頭を下げるのは、まっぴらごめんだった。

 けどそうも言ってられなかったからな。


 ――まだあんたに良心の欠けらが残っているなら、俺のことを我が子であると同時に、グリフィン帝国の第二皇子だと認めてほしい。悪いようにはしない。あんたとフェリックスのためだ。


 そう書いた書状をアリシアの足首にくくりつけて、親父に送ったというわけだ。


「ありえん……」

「いや、それがあり得るんだ。俺はグリフィン帝国の第二皇子。そこであらためてあんたと交渉したい」


 エルドランはしばらく穴が空くほど俺を凝視していたが、グラスのウィスキーを一気に飲み干すと、鋭い目つきに変えた。


「何を交渉するというのだ?」

「おたくとグリフィン帝国の同盟のことだ」

「その話ならとっくについておる。シャルロットをフェリックスの嫁に出したことでな」

「ほう……。あと2年もしないうちに悪魔に姿を変えるのを知っていて、皇帝の跡継ぎの元へ送った――そう言いたいんだな?」


 さらりと返した俺に対し、エルドランの顔つきがますます険しくなる。

 さすがは大国の国王だけある。かもしだされる威圧感は圧倒的で、食われそうな錯覚すらおぼえる。

 だがこっちだって負けちゃいない。

 何度も死線を潜り抜けてきたんだ。


「シャルロットのことは親父に伏せておいてやる。その代わり、一つだけ条件がある」

「言っておくが、シャルロットを王宮に戻す気はないぞ」

「……ああ、そんなことはとっくに分かってる」

「だったら何が望みだ?」


 ひと呼吸置き、目をつむる。

 これまでのシャルロットとのやり取りが、まぶたの裏に浮かんでは消えていった。


 ――私ね! 決めたの!!


 ああ、俺も決めたよ。

 自分だけじゃない。

 シャルロットの未来もこの手でつかむってな――。


「シャルロットと結婚させてくれ」


 エルドランは口を半開きにしたまま、言葉を失っている。

 無理もないよな。

 もうすぐ悪魔になる娘と結婚させてくれ、って頼むバカな男は俺くらいなものだろうから。


「あんた、フェリックスに言ったそうだな。アッサム王国とグリフィン帝国が手を結ぶためには、両国の王女と皇子が結婚するのが条件だ、と」

「ああ……」

「俺はグリフィン帝国の皇子。だったら俺がシャルロットと結婚しても問題ないはずだ」

「しかし……シャルロットは……」

「当然、分かっている。もうすぐ悪魔になるってな」

「だったらなぜだ? おまえは……おまえは我が娘を愚弄にするつもりか!!」


 エルドランは激しく机を叩きつけた。

 ついに感情をあらわにしたな。

 ならばこのまま押し通すまでだ!

 一方の俺はダンと足を踏み鳴らして、彼に詰め寄った。


「愚弄だと? ふざけんな! シャルロットをおちょくってるのはてめえらの方だろ!」

「なんだと!」

「だったら聞くが、てめえは知ってるのか? シャルロットはなぁ。酷い仕打ちを受けたにも関わらず、てめえらとの食事の思い出を何よりも大切にしてるのを! 母親の名前がついた教会を誰よりも誇りに思っていたのを!」


 エルドランの顔が歪む。心にひびが入った。

 彼にも一片の良心と我が子への愛情は残っていたようだ。

 ならもう一押しだ。

 俺はさらに声を荒げて続けた。


「悪魔だからなんだ! シャルロットはシャルロットだ! 人一倍繊細なのを強がりで隠して、絵が上手なのに恥ずかしがって見せてくれなくて、ロマンチックな小説が大好きで、いつか自分も素敵な恋をしたいと思ってる、そんな女の子なんだよ! てめえらの都合で遠ざけた挙句に焼き殺そうとしやがって! それが上手くいかないと見るや、今度は他国の皇子に安売りか! ふざけんな!!」


 エルドランの目から大粒の涙があふれだした。

 心が粉々に砕け散った――すなわち『心』が死んだ証だった。


「わしは……わしは……ううっ」

「彼女のそばにいる資格があるのは俺だけだ。二人で王宮からは出て行く。その代わり、てめえが最も大事にしている場所を差し出せ」

「……分かった。好きにするがよい……」

「一筆書け」


 エルドランは震える手で俺の言う通りの条件を書いた。

 俺はその紙をひったくると、足早に部屋を後にした。


◇◇


 そう言えば、国王の部屋の真下から酷い咳が聞こえてきたな。

 きっとジョー王子だろう。

 彼の面倒は王妃が見ているとのことだが、ちょっとだけ様子を見に行ってみよう。

 そんな軽い気持ちで俺は彼の部屋に忍び込んだ。

 しかし……。


「こいつはまいったな……。メアリーたちを迎えにいかねば……」


 直後にはシャルロットの館の方へ馬を飛ばしていたのだった。


 

 

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