取り戻していた記憶
目映いばかりの光の領域と、その中を乱れ飛ぶ無数の雷光。
暗闇の夜空に出現したそれは、天上から降り注ぐ光の雨か、神の作り出した巨大な塔を思わせる威容だった。
降り注ぐ光を受けて巨神への変形が進むグランソラス。その基部がいくつもの区画に分断され、一辺が数百メートルにも及ぶような巨大な構造体が、コアの発する力場によって轟音と粉塵を引きずりながら空中へと持ち上げられていく。
そして、その光の中で対峙する帝国騎士団とソラスの騎兵たち。
既にグランソラスのコアに接近を許してしまったソラスの騎士たちが、焦りも隠さずカリヴァンが駆る紺碧の竜――ファラエルへと突撃する。
「コアにはこれ以上触れさせぬ!」
「……笑止」
三体の竜がコアへと更なる攻撃を試みるファラエルへ殺到する。
グランソラスのコアは、先ほどの一撃で既に破壊されてもおかしくないほどのダメージを受けている。これ以上の攻撃は絶対に防がなければならない。
だが、ファラエルはそんな騎士たちに対して興味を失ったように背を向けると、眼前に浮遊する数十メートルの大きさの巨大な立方体へとランスを構え、更なる一撃を無慈悲に加える。
再びの衝撃。辺りの力場が今度は更に大きく歪み、上昇を開始した巨大な基部が、一瞬力を失って落下しかかる。
「やめろぉぉ!」
背を向けた後方から裂帛の気合いと共に襲いかかる三体の竜。しかし既にその時ファラエルはそれら竜の背後。横一閃になぎ払われたファラエルのランスが、三体の竜それぞれの翼の根元を粉砕し、更に繰り出した返す一撃で三体の竜それぞれの胴を完全に両断する。
氷すら生ぬるく感じるほどの冷徹なファラエルの動き。カリヴァンにとってもはやソラスの騎士たちは眼中に無く、ただ目の前に無力を晒す敵城のコアを淡々と破壊するのみ。その銀髪の男の鋭利な瞳には、慢心も高揚も一切映っていなかった。
既に周辺では、カリヴァンと共に飛来した漆黒の精鋭騎士が次々とソラスの竜に襲いかかり、数の上では劣るはずのソラスの騎士たち相手に互角の乱戦へと持ち込んでいた。
もはや、この場でカリヴァンの勅命遂行を邪魔する者は誰もいない。
そのはずだった。
「次で終いだな」
「――待って下さい!」
声は上空。
天から真っ逆さまに垂直落下してきた一閃がファラエルを襲い、激突の勢いそのままに紺碧の竜をコア直下の地面めがけて錐もみになりながら引きずり落とす。
突然の急襲。だがファラエルはそれに対しても即座に反応を返し、ランスを持っていない左手の強固な外装部分で襲撃者の一撃を防ぎきっていた。
「遅かったな、異界の乗り手とその竜よ――!」
「遅れてすみません! さっきの城から帝国の人たちを運んでました! 死なれると後味悪いので!」
「なんだと……? 貴様、敵の命がそんなに大事か?」
「大事でしょ! これだからここの人たちは!」
凄まじい速度で地面へと激突するかに見えた二体の竜。だが二体は地上への激突ギリギリで蒼と銀の尾を引いて二つに分かれると、再び無限の螺旋図を描くかのように接近と反発を繰り返し、天上めがけて加速する。
「まあいい、皇帝陛下からの勅命だ……。その命、このカリヴァン・レヴが貰い受ける!」
「お断りします! 死にたくないので!」
「貴様……随分と変わっているな。名は何という?」
「俺の名前はリクトです。カリヴァンさん、お願いですから諦めて帰って下さい! このまま戦えば怪我しますよ!」
突如として現れた少年によるあまりにも唐突な降伏勧告。歴戦の帝国騎士であるカリヴァンも、この言葉には呆気にとられた。
「フ……フハハハハハハ! このカリヴァン・レヴを心配するとは!」
「なに笑ってるんですか! 俺は本気で言ってるんです!」
「標的である貴様がこうして現れたのだ。どうして手ぶらで帰ることができよう? 仮に和平を結び帰ったとして、皇帝陛下に顔向けできぬわ!」
「その時は俺が一緒に謝ってあげますから!」
「フッ……なかなか斬新な命乞いだな」
雷光の領域で激突する二体の竜。
ファラエルは高速で迫るラティとの正面からの打ち合いを回避。突撃するラティを躱し、後方へ流すと即座に加速し粒子の尾と共に半円を描き上昇。ラティの背面上方から無数の刺突を繰り出す。
ラティはその攻撃を後方への宙返りで躱すが、いくつかの回避しきれなかった刺突が灰褐色の外殻に裂傷を残し、飛び散った外殻の欠片が中空に白い弧を描く。
「どうしても戦うつもりですか!? どうしてそんなに戦いたいんですか!? こんなにボロボロになった世界でまだ人間同士が戦って、なにかいいことでもあるんですか!?」
「くどい! それ以上は私への侮辱と受け取るぞ!」
熾烈な剣戟と共に交差する二体の竜。その竜の背景に、人が見上げる大きさを誇る竜すら小石のように映る長大な岩壁がせり上がり、ファラエルがラティめがけて放った氷の弾丸が、果てすら見えぬ壁面に次々と弾痕を残して消えていく。
「くそっ! なんでここの人たちはこんなに戦いたがるんだ!」
「戦うことの何がおかしい? 何を疑問に抱くことがある? 現に私はこうしてお前のような力ある相手と戦えて胸が躍る! これぞ帝国に仕える騎士たる者の本懐よ!」
「そういうの、もう聞き飽きてるんですよっ!」
雷光の力場が鞭のように轟き、大地から遙か上空へと巨大な岩塊を次々と浮遊させていく。その勢いは徐々に増していき、計算され尽くした規則正しい軌道の元、一つの巨大な形を成していく。
「リクトよ! 随分と口が回るようだが、元より貴様の意志など関係ない。貴様はここでこの私に討ち果たされるが定め! だが――」
カリヴァンはリクトとの交戦を継続しつつ、同時にグランソラスの変形進行も確認。即座に自らの優先順位を転換し、踵を返してグランソラスのコアめがけて飛翔する。
「まずは城を潰し、我が軍の勝利を確定させる!」
加速するファラエル。それを一瞬遅れて追撃するラティ。だが、今この時の間合いこそカリヴァンの狙いだった。
ファラエルの六条の翼が紺碧の輝きを放つ。同時に、ファラエル周辺の空間に無数の氷槍が出現。その数は優に百数十を数え、その全てがファラエルを追撃するラティへと照準を合わせていた。
「しまった!」
ファラエルの追撃を優先するあまり、限界ギリギリまで加速していたラティには氷槍を回避する術が限られた。あるとすれば大きく転進して全力の機動で回避に専念することだが、それをすればファラエルはコアに到達し、今度こそグランソラスのコアを破壊するだろう。
「大人しく城が崩壊するのを見ているが良い。死にたくないのならな」
瞬間、一斉に撃ち放たれる無数の氷槍。凍結の淡白い霧を後に引き、ラティめがけて鋭利な先端が迫る。ブレスの連射で全てを打ち落とすことも、手に持った長剣で切り払うことも叶わぬ致命の氷雨を前に、ラティは――更に加速した。
「!?」
密集し、炸裂し、破砕する無数の氷槍。
ラティの灰褐色の外殻に鋭利な氷の先端が無慈悲に突き刺さり、片腕が半ばまで千切れ跳ぶ。リクトが乗る胸部付近にも丸太ほどの氷槍が根元まで突き刺さり、灰褐色の外殻を赤く染め上げた。
暴風すら生ぬるいその殺意の嵐の中を、ラティは一度もその速度を緩めること無く突破しきり、ついにはファラエルへと肉薄する。そしてズタズタになった左腕に握りしめた長剣を、最後の力を振り絞るようにして振り下ろした――。
――ソラスと帝国の乱戦は、技量で勝る帝国に傾きつつあった。
だが、ソラスの騎士たちはなんとしてもコアを守ろうと、もはやなりふり構わず帝国の騎兵たちへとしがみつき、自らの竜が傷つくのも厭わず身を挺して時間を稼ぎきったのだ。
グランソラスの変形が開始されてから約5分が経過。露出していたコアは、徐々に構築されていく山の如き上半身の中にその姿を埋没させ、ファラエルの眼前で紫色の輝きを巨岩の内部へと完全に閉ざした。
「あと一撃で破壊できたものを……」
消えていく紫色の光を前にして、カリヴァンが忌々しげに呟く。
「なぜ……命を賭けた? 貴様にとって、この城はそれほどまでに重要なものだったのか?」
そう言うカリヴァンの視線の先には、辛うじて原型を留めてファラエルにもたれかかる、灰褐色の竜がいた。
その全身を氷槍によって穿たれ、貫かれ、引き裂かれたその姿は、もはや竜なのかすら定かならない。その生物が持つ命の炎は、今まさに燃え尽きようとしている。そう見えた――。
「……こ……だか……ら……」
「――?」
既に力なく垂れ下がっていたラティの腕から、刃こぼれした長剣が滑り落ち、眼下へと消えていく――。
――ここは私たちがずっと一緒に暮らしてきた大切な家だから
――貴方には、ここ以外にちゃんと帰らないといけない場所がある
光を失い、闇に包まれたラティの操縦席。リクトは氷の槍で肩口と脇腹を大きく抉られ、抉られた場所からは冗談のような量の鮮血が流れ広がっていく。
――陸人が全部やらなくてもいいよ! 俺たちも手伝うからさ!
――お兄ちゃん、すぐになんでも一人でやっちゃうんだから!
リクトは、既に全てを思い出していた。恐怖に怯え、動けなくなっていた自分にラティが声をかけてくれた、その時に。
――これ……おいしい……
――チーズバーガー……? これ、また食べたい……
自分が何者で、どうしてここに居るのかを。
そして、自分が今まで何をしてきたのかを。
全て、思い出していた。
彼は、この世界にやってきたばかりで知らなかったのではない。
目覚めたばかりで忘れていたのだ。
「――ここが、あの人たちみんなの家だからだ!」
「なっ!?」
瞬間、ファラエルの肩口にもたれていたラティのかぎ爪に凄まじい力がこもる。ファラエルの紺碧の外殻がひび割れ、かぎ爪が食い込んだ部分から赤い粒子が迸る。
「俺だって帰りたかった! みんな、みんな大好きだったんだ! 大事だったんだ! 楽しかったんだ! 大切だったんだ! 抱きしめてまた会えて良かったって言いたかった!」
ラティの全身が銀色の粒子に包まれ、失われていた外殻が急速に再生していく。光の下から現れたそれは、先ほどまでの灰褐色のひび割れた装甲ではない。その全身は純白に輝き、緋色の発光するラインがその全身に幾何学的な紋様を施す。そしてその背面に展開された不定形の光翼が、まばゆい光源となって二体の竜を照らし出す。
その圧倒的なエネルギーの奔流は、なんとかその勢いを押しとどめようとするファラエルをついには凄まじい勢いで後方へと吹き飛ばし、漆黒の闇の中にラティを中心とした光輪を描き出した。
「これは、なんという……。貴様は、一体……!?」
「いつもいつも、都合が悪くなれば呼び出して戦い戦い戦い! 皆を泣かせて、殺し合って、そんなに死ぬのが好きなら勝手に一人で死ねよ! 他の皆を巻き込むな! あんたらにはまだ帰れる場所があるじゃないか! それなのによく平気で命を粗末にできるな!」
ラティ内部、既にリクトの負った傷は全てが跡形も無く消え去り、その体にはラティと同様の純白の光をうっすらと纏っていた。
「それでもまだやるって言うのなら……」
リクトはそう言うと、ラティの腰に備わった鞘から緋色に輝く長剣を握り取り、その切っ先を眼下のファラエルに向けた。
「もう二度と、戦いなんて出来ないようにしてやる!」
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