第3話 朦朧

『嫌だ、にぃにと離れたくない!!』

優華がなきじゃくる声が聞こえてきてくる。


その泣き声を、俺は唇を噛みしめながら聞いていた。だが、その背格好は家を出るとき……高校三年生の優華の姿ではなかった。


もっと幼い……あの頃の優香の姿だった。


「優華!!」

その姿を俺は見て飛び起きた。


「はぁはぁ……。夢……?」。

ここ数日、俺は彼女の夢にうなされて飛び起きる日々が続いていた。


季節は移り変わり、既に12月。

汗をかくには寒くなりすぎた季節なのに、俺の額は冷や汗で濡れていた。


それは彼女から離れてしまったからなのか、それとも別の理由があるのかどうかはわからない。

だが、いつも脳裏によぎるのは誰か知らない男と歩く優華の後ろ姿だけだった。


義理とはいえ、自分でも度の過ぎるシスコンに嫌気がさすが、自分の胸のうちに眠る彼女への独占欲が恐ろしく、憎らしい。


何度も実家に残っていればと思ったが、この狂気に満ちた心を彼女に晒すわけにはいかない。

思春期を過ぎて、今では互いに干渉しなくなった関係を無視して彼女に迫りたくはないのだ。


この気持ちを抑える為に実家から出たはずなのに、むしろ悪化し、日に日に痩せてきたようにも思う。


手で汗を軽く拭いながら重い体を起こして、ベッドから抜け出す。

そこはかとなく倦怠感に苛まれながらも、顔を洗って朝食を取る。


朝食といっても、キッチンにあった食パンをそのまま齧り、コーヒーで流し込むだけなのだ。


……はは、こんなんだから体調も崩すよな。


嘲笑を浮かべながら、朝食を取り終えた俺は、バイトへ行くために着替えて、早々と部屋を後にする。


職場に着くと、制服に着替えてレジの準備などを始める。


「あ、佐久間さん、おはようございます!!」

元気よく声をかけてきたのは夏休みくらいからこの職場にバイトとして入ってきた女の子、天野凜だった。

彼女は妹と同い年の高校生なのに大学の授業料を貯めるためにこの店で働き出した親孝行な子で、受験勉強の傍で週に3日ほどバイトをしているのだ。


「おはよう、天野さん」

彼女の元気な声に少し眩しさを覚えながらも、挨拶を返すと彼女は俺の顔をまじまじと見てくるのでその視線にたじろいでしまう。


この子はかわいいのだが、なぜか俺に積極的に絡んでくるのでどちらかというと苦手な部類のタイプだ。


なんで俺みたいな冴えない男に絡んでくるんだろう。

彼女の視線をチクチクと感じていると、俺の顔を見ていた彼女は口を開く。


「佐久間さん、最近顔色が悪いですよ?ちゃんとご飯食べてます?」


「いや、体調は悪くないんだけど食欲がないんだよ。ほら、一人暮らしでの自炊はめんどくさいから……。」


「もう、ちゃんと食べなきゃダメですよ?食べないのは体に悪いですから……ほら、前より少し痩せたみたいですし」


「ははっ……、気をつけるよ。」

ふくれっつらを浮かべる彼女に指摘され、俺は顔の周りを撫でてみると触った感触は確かに痩せたような気がする。


だが、さすがに妹と離れたことで悩んでいるとは口が裂けても言えないので、笑いながら誤魔化す。


……あれ??


「前より痩せたみたいって……どういうこと?」


「え、あっ、ほら……私って夏からここでバイトしてるじゃないですか?その頃に比べたらってことですよ!!」

彼女の言葉の一言が少し気になりその意味を尋ねてみると、彼女は慌ててその理由を話し出す。


「ふぅん、そっかその時期からそんなに痩せたのかな?けど、なんで慌ててるんだ?」

彼女のいう通り、夏バテした頃から確かに体調が悪くなったのは違いない……が、彼女の慌てぶりに疑問符が浮かぶ。


「え、いや、慌ててないですよ!ほら、このお店で一番年齢の近い人って佐久間さんしかいないじゃないですか、だから気になったんです!!」

彼女の言葉に俺は仕事前に雑談を交わしている店員たちをみる。


店員さんの年齢層はさまざまだが、パートさんはおばさまがたが中心で彼女と一番年齢が近いのは俺だ。


「ま、そうだよな。じゃ、今日も仕事頑張りますか〜。」

天野さんの言葉に納得しながら仕事前の重い体を伸ばして俺は売り場へと向かう。

その後ろを天野さんはホッと一呼吸をつきながらついてくる。

彼女のついたため息に俺は気がつかなかった。


そして、いつものように奥様方と会話を交わしならレジ打ちのバイトをして1日がすぎていく。


「「お疲れ様でした〜」」


「はい、お疲れ様。また明日ね。」

夕方6時、俺はバイトの終わる時刻になり、店長に挨拶をして店を出るのだが、その後ろを例のごとく天野さんがついて店を出てくる。


仕事自体は夕方担当のスタッフと交代なので彼女と同じタイミングで終わることは多々あるのだが、いつも彼女は俺と一緒に店を出る。


彼女曰く家の方向が一緒だから俺と一緒に帰った方が良いと言うのだ。

たまには一人で帰りたい日もあるのだが、それでも彼女は後ろをついてくる。


今日も帰る間際に「え、今日も一緒に帰りましょうよ!!待っててくださいね。」と笑顔で言われたので、彼女が着替え終わるのを待っていたのだが、やはり今日は調子が悪い。


重い体を半ば引きずりながら、12月で辺りが早々に暗い闇に包まれた街を二人で歩く。街灯が点々と火が灯る中、彼女が俺の顔をじっと見てくる。


「佐久間さん、大丈夫ですか?なんかさっきより調子悪そうですよ?」


「あぁ、大丈夫だ。少し疲れたくらいだ……。気にしなくてもいい。」

足元のふらつく身体をどうにか動かしているが、意識が朦朧としてくる。


「本当に大丈夫なんですか?足元もフラフラしてきましたよ!!」


「ああ、大……。」

足元がおぼつかない様子に慌てた彼女が俺に近づいてきた途端に、俺は体勢を崩してしまう。


「危ない!!」

天野さんは壁に倒れそうになる俺の手を取り自分の方へと引き寄せる。

小さく柔らかな手が、俺の手を包み込む。


すらっとした体型で大人顔負けの色気を放つ彼女に体調が万全なら少しはドキッっとしただろう。だが、あいにく今は体調が悪い。


「ああ、ごめん……。大丈夫だ」


「熱っ!!佐久間さん、すごい熱ですよ!!」

彼女は荒くなった息をする俺の手をゆっくりと解くと額に手を当てて驚いている。


「大丈夫だから、早く帰れ……。遅くるから」


「いえ、家まで送りますよ!!心配で置いて帰れないです!!」

額に触れる天野さんの手を軽く払い、足を一歩ずつ踏み出していくと、彼女は俺に身体を寄り添わせる。


そして、ゆっくりと俺の部屋へと歩いて帰っていく。

朦朧とする意識の中で、やんわりと香る彼女の匂いにどこか妹を思い出す。


「……優華」


私が無意識のうちに発した言葉に天野さんは身体を強張らせる。

だが、あゆみは止めずに歩いてくれる。


「……。佐久間さん、お家どちらですか?」


彼女の言葉にただはっきりとしない意識の中、家の方向を示して帰っていく。

この後、まさかの出来事に見舞われることも知らずに……。

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