レモン牛乳はheかsheか

 英語の人称代名詞で頭を悩ませて良いのは中学生までだと、坂崎鋭利はつねづね小馬鹿にしたような態度で言っていた。

 その彼が今、頭を抱えている。

 現在、日本国民なら誰もが知る最高学府に通い、中学時代から全国模試は常にトップ10を維持してきた才穎が、である。

 同じサークルの姫城は興味本位で尋ねてみることにした。

「レモン牛乳の人称代名詞ィ?」

 そんなもの"it"一択だ――そう言いかけて、姫城は坂崎の睨むような視線に気付いた。問題はそうじゃないのだ。おそらく。もっとべつのところで、きっと、姫城よりもずっとずっと深いところで、彼は悩んでいる。

「……まず、確認なんだけど」

「ああ」

「レモン牛乳ってのは、アレ、だよね……栃木県の」

「そうだ。『関東・栃木レモン』という名で販売されているご当地ドリンクだ。栃木乳業株式会社のホームページで確認したから間違いない。あれはいいぞ。ふるさと納税の返礼品になれば納税者が増えること間違いなしだ」

「そ、そうなんだ……」

「そんなレモン牛乳を海外の友人に紹介したいんだが……heで表すべきかsheで表すべきか、僕にはとうてい検討がつかない。悔しいことだが、適切な人称代名詞が分からないのだ」

「……フランス語とかドイツ語を参考にしてみるってのはどう?」

「というと?」

「ほら、フランス語とかドイツ語とかって、生き物以外の名詞にも性があるでしょ?」

「ふむ。つまり他の言語の性を援用して三人称を決定しようという話だな」

「そういうこと!」

 姫城は外語大生だ。言語に関しては坂崎よりも詳しい自信がある。

 ざっと調べたところ、レモンはフランス語では男性名詞、ドイツ語では女性名詞だった。牛乳はフランス語では男性名詞、ドイツ語では男性名詞。

「……どうしようか」

「そうだな、これはもう男性性と女性性の両者の性質を併せ持つと解釈してtheyでいこうと思う」

 そういうことになった。

 後日、姫城はなぜレモン牛乳の三人称で悩んでいたのかと尋ねてみた。

「ん。ああいや、……これはとても恥ずかしい話なんだが、"it"を人称代名詞だと認識していなかったんだ。聖書ヘブライ語のやりすぎかな。英語には性がないということをすっかり失念してた」



(お題「レモン牛乳」「ふるさと納税」「三人称」)

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