第2話

 その恐竜は、爆発的な雄叫びをあげるや、長大な尻尾を振り回して、向かってきた人間たちを薙ぎ払った。

 ここは太古のゾル平原ではない。かつ、その恐竜自身、既に骨と化している。しかしながら、心臓らしき脈動が胸郭の中に垣間見え、眼窩からは妖しい眼光が放たれているのだ。

 かつて確かに恐竜として生きていたそれは、ダイナヴィラン。今となっては、マクミナル博物館ならではの警備システムの一環として、館内を徘徊する魔物へと変わり果てたのである。

 魔物の強靭な尻尾をひとまずかわした人々は、一様に中世風の騎士の扮装をしていたが、古代はもとより中世もまた、既に過ぎ去りし時代であることに変わりはなかった。

「きみたちはどけ!」

 騎士たちに鋭くも涼やかに声を飛ばしたのは、燦然として金に煌めくカブト虫戦士だった。その者とダイナヴィランの出現位置は、一本の通路によって結ばれていた。

「俺が、魂だけでもその故郷へと音の速さで送ってやろう!」

 金色のカブト虫戦士は、槍を構えたかと思うと紅のマシンを駆って、ダイナヴィランへと一直線に突撃したのである。

 交戦は、まさに刹那の出来事……

 魔物は、光の球体と化した後、天へと昇るように消えていった。

 それを見届けたカブト虫戦士は、フッと一息つくと、今は生えていない……ように見える……前髪をかきあげる仕草をした。

 一瞬の静寂がはち切れたように、まさに万雷の拍手が沸き起こった。本日のコンテストの参加者たちである。魔物への対処は警備担当のスタッフに任せなければ減点されるという規定のせいもあり、討伐の様子を遠巻きに見守っていたのである。

 騎士のコスプレをした当のスタッフたちも、単騎でダイナヴィランを征したリーダーへの賛辞を囁き合っていた。

「ご苦労さま」

 鎧を纏ったレンリが、リーダーへと歩み寄る。

 彼女の頭上には、金色の冠が輝き、鎧の背部には、白鳥を思わせる双翼が飾り付けられていた。他の騎士たちとは段違いに個性が際立つその姿もまたコスプレである。

「ただ、こうした室内戦闘でまで、愛機を乗り回すのはちょっといただけないわ。私も、あなたのドライビングテクニックに一目置いてはいるけれど……」

 相当数の一般人と、貴重な展示品の数々が存在する、博物館内の一室なのだ。

「そこは、一目置くだけじゃなくて、全幅の信頼を寄せてほしいところだね。それに、COAの実力を見せつけることは、犯罪抑止の観点からも有意義なはずさ」

「……とってもあなたらしい考え方ね。今のあなたや私が、COAだと伝わるかどうかは甚だ疑問だけど」

 言いつつレンリは、片足を後ろへと大きく蹴り上げた。彼女が振り返ると、そこには、ヒールキックを食らって、仰向けにひっくり返った魔物が蠢いていた。案の定、グリーディである。

 絵画の中から、そこに描かれた人物が、実体化した上半身を乗り出して、長い髪を振り乱しながら両手で這いずり回る——それがグリーディだ。

(こいつを斬る感触……ゴキブリを潰すときみたいで、苦手なんだけどね)

 そんな本音をポーカーフェイスで封印しつつ、レンリは斧を振り下ろした。

 ホラーテイストの魔物は、湿った悲鳴をあげながら消えていった。

 数種類の魔物がランダムに湧いて出る——この警備システムを構築したのは、マクミナル一族の人物だ。しかし、システムの詳細について引き継ぎそびれたまま他界してしまったという。中途半端に魔法を絡めたシステムであるために、科学の進歩と引き換えに魔法が衰退したAD1100年の世界では、しばしば過剰防衛的に作動して問題となっても解除は困難だとされていた。

 博物館側は、イベント警備の際には治安当局から腕利きの人材を拝借したうえで、コスプレまで要請して、「見せる警備」を展開するという、振り切った対策を講じるに至ったのだ。

 本日のコンテストの規定では、博物館の見所をネット上でアピールすれば加点要素となる。そして、警備スタッフを撮影することも特に禁止されてはいないのだった。

「私は他を見回ってくるけれど……」

 レンリは、カブト虫戦士の顔の隣、空中に浮かんでいるポッドを見遣った。

「その子、サイレントモードに設定してあるんでしょうけど、ちっとも沈黙してないから。光学センサーでモールス信号を発信してるわよ。

 じゃあね」

 去り際のレンリはポーカーフェイスであったが、その手中では、愛用の斧がふるふると微振動していた。

「なんだって!?」

 COAのカブト虫戦士は、早速ポッドを鷲掴みにした。同僚に指摘された通り、人間の目に相当する光学センサーが、不穏な明滅を繰り返していた。

『ソノオノデ

 オノレノゼイニク

 キリオトセ

 ジアマリ イヤ ニクアマリオンナ』

 主人の手の中でも、悪びれることなくモールス信号を発した支援用ポッドである。

「マカロン……それは、東方の『川柳』とかいう定型詩のつもりかい?」

 真っ赤な支援用ポッド——マカロンは、一方的にレンリのことを主人を巡る恋敵と認定しており、遭遇するたびに悪口三昧なのである。

「知性の無駄遣いをするんじゃない!デバフかけるぞ!」

 COAのエージェントは、同僚が大人の対応をしてくれたことに感謝した。もっとも、マカロンの前でそれを口に出すことは、事態の悪化を招く気しかしなくて、やめておいた。


「おい、人間とは、王の亡骸を見世物にするものなのか?」

 とある展示コーナーで、ヴァレスは足を止めた。

 そこにあるのは、古代に栄えた某国の王の棺だった。その表面には、生前の面影や装いを、様式美に則って再現した精緻な彫刻が施されている。だが、ヴァレスにとっての問題は、棺の表面に存在するわけではない。棺の中に、王のミイラが納められたままだということにあるのだった。

 そもそも棺が、「内側からしか開かない」構造となっていることに配慮したらしいが……

 アルドは、少し考えてから口を開いた。

「見世物、なのかなあ?まあ、オレも最初に見たときにはびっくりしたけど。

 その国では、王様は神様の末裔だと信じられていて、死後は誰でもお参りできる神殿内のお墓に安置されていた……って、そのへんに書いてないか?

 王様のほうが子孫や国民を見守ってたってことさ。

 まあ、結局王朝が滅亡して、博物館に移住させられるだなんて、さすがの王様も予想してなかったかもしれないけどな」

 アルドは、色々と訳あって、この博物館には何度も足を運んでいる。いつしか展示品についてもある程度の知識は頭に入っていた。

「人間の死生観は、魔獣とはかなり異なると聞いてはいたが……」

 ヴァレスは、低く唸りながら腕を組む。

「われら魔獣は、死者の魂が天上の世界にて安らぐことを、何よりも重んじる。たとえそれが、生前はこのうえない重責を負っていた王であったとしてもだ。その責務は遺された者たちが余すことなく受け継ぎ、死者を解き放つべきではでないのか……

 勿論、王のお側近くで生き、その夢や理想を共に実現して、王と共に笑い合えることに勝る誉れなど、臣下の身にはありえんがな」

「そうか、なんだかヴァレスの思いが伝わってくる気がするよ」

 傍らで穏やかに微笑む人間へと、ヴァレスはふと、胡乱な視線を投げずにはいられなかった。

 はて、ヴァレスにとって唯一無二の主君であるギルドナを、一度は斃したのは誰だったろうか……

 ただ、アルドは妹であるフィーネをヴァレスに攫われたことをきっかけに、魔獣との戦いに身を投じたのであり、魔獣がフィーネを攫ったことにも、のっぴきならない事情が存在したわけであり……

 ヴァレスは、頭頂部の一角をギュッと握り締めて、感情を整理した。

「……ただまあ、今日のところは、おまえには感謝しているぞ、アルド」

 そもそも、ギルドナではなくヴァレスに未来の視察を持ち掛けたアルドには、少々驚いた。だが、ギルドナの最良の臣下たらんとするヴァレスにとっては、驚いた以上にとても嬉しい申し出だったのである。

 二人が今日、入館前に他の参加者に混じって行列を経験したのは、ヴァレスの「人間を観察したい」という意向からだった。もしもアルドがマクミナル一族に口を利いたなら、特別扱いが認められたはずだ。実際、彼らの入館手続きそのものは、形ばかりの簡素なものですんだ。着ぐるみの中身を透視するなどという、物騒な機械の検査を受けることもせずにすんだのだ。

 ただ、なるべく考えずにおこうとしても、忘れられない事実というものもまたある。

「ただ一点、おまえの芝居が下手くそすぎて、かえって悪目立ちしそうになったことを除いてはな!」

 令息付きの執事として小芝居をすることが、勇者として大活躍することよりも難しいとは知らなかった。ヴァレスは、懊悩の果てにギルドナの命に背いて、アルドの設定を「市井でたまたま知り合っただけの庶民の中の庶民」へと変更したのだ。そして、諸手を挙げてそれを大喜びしたのが、アルド自身のクオリティーだった。

 そう。ヴァレスがちょっと質問しただけでアルドが目を回して倒れてしまい、いらぬ注目を浴びることになったのは、アルド自身のクオリティーによるところが大きかったに違いないのだ!……多分。

「ここへ来るといつも思うんだ。この王様って、実はもうじき目覚めるんじゃないかってさ」

 件の黒髪の勇者は、今は古の王の棺を見つめていた。

「何を言いだすのだ、アルド。とっくの大昔に崩御した王なのだろう?」

 庶民派の人間のジョークはよくわからん。ジオ・プリズマによる奇跡でもあるまいに、死者が還るはずもないと、ヴァレスは少々斜に構える。

「だって、再生魔法が効いてはいるみたいだし」

 時として、事実は小説よりも斜め上である。

 アルドがこともなげに指差した先には、説明文の続きがあった。

「当時、王が崩御した際には、妃や寵臣は殉死する慣わしであった。しかし、魔法を得意とする寵臣が、王の亡骸に再生魔法を施すことによって、殉死を回避したという言い伝えがある」

 それだけならまだいい。荒唐無稽な言い伝えくらい、どこにでもある。しかし……

「現在、このミイラからは、最低限の生命活動が検出されている」

「ぐひいっ」とヴァレスの喉笛が鳴ったのは、そこまで読み進めたときだった。

 金色の巨躯が、仰け反りながらわななく。

 魔獣にとって、死者とは、惜しまれ敬われつつも、天の園という別世界に隔離されているはずの存在だ。短命種である人間の王が、本来の寿命の何倍もの歳月を費やして、元の肉体を喪うことすらなく返り咲こうとしているだなどと……

「それに、この博物館に出る魔物の中に、『エンシェントカース』ってのがいるんだけどさ、どこからどう見ても、この王様の棺に似てるんだよな〜」

 普段と変わらぬ表情や口調で続けるアルドのことが、もはや、そういう芸風の怪談の語り部のように思えてきたヴァレスである。

「あ、ちょうどいいところに……ほら、見てくれよ」

 アルドは、傍らに立った棺を、肩を組むようにしてぽんぽんと叩いた。その表面の紋様はいささか簡素だが、王の棺と同じ様式で生み出されたもののように見えることは確かだった。

「なあアルド、たった今、四方を取り囲まれたわけだが……」

 ヴァレスが指摘した通りである。まるでアルドの話に調子を合わせるように、四体ものエンシェントカースが出現したのだ。

「アルド……こいつらは私の獲物だ!」

 ヴァレスは、突如戦いに飢えたかのように、猛々しく剣を抜き放った。大きな牙を連ねて刃と成したような、個性的な剣である。

「え?いや、オレも戦うし」

 アルドも愛用の剣を構えた。

 どちらの剣も、入館時に通常の検査を受けていたなら没収されていたことだろう。

 しかし、アルドと背中を預け合いながらも、ヴァレスは、本音を口にすることは憚られた。

 得体の知れない恐怖にゾワゾワと背筋を蝕まれるくらいなら、見たまんま力任せに叩き斬れる敵と対峙するほうが、よっぽど気楽だ……なんて、言えるはずがない!

「小癪な!こいつら、物理攻撃に耐性があるのか!」

 ヴァレスは、最初の一撃の刃越しに、思いのほか強い抵抗を感じ取った。さっさとオーバーキルして、すっきりと気分転換したかったというのに!

「まあな。でも、オレたち二人がかりなら!」

 アルドの言う通り、二振りの剣が閃くにつれて、棺を模した魔物たちはみしみしと軋んで、赤い眼光を血涙のように滲ませる。そして最後は、ヴァレスが巨体ごと大きく振り回した剣によって、四体まとめて空中へと巻き上げられて消滅していったのである。

『……いつもながら、見事な腕前じゃな……』

 どこからか、不思議な声がした。微かでありながら、威厳に満ちた声だった。

「え?」

 アルドは、とっさに耳を澄ます。

 だが、ちょうどそこへ近づいてきた機械音が、全てをかき消したのだった。

『その腕を見込んで、余の頼みを……』

 不思議な声はそう続けていたのだが、それは、誰の耳にも届かなかった。

「おいおいアルド、警備担当者のぶんも残しておいてくれよ……なんて言っても、この格好では誰だかわかってもらえないだろうな」

 紅のマシンが飛来して、天井すれすれにホバリングしていた。一見バイクのようなその機体は、実は空まで飛べるというトンデモなスグレモノなのだ。そして、金色のカブト虫戦士が、機体に身を預けて二人を見下ろしていた。

「いや、セティーだろ。むしろ、格好だけ変えてもすぐにわかるって」

 こともなげに、アルドは言い当てる。

 紅のマシンは、二人の前に着地する際、ほんの一瞬ぐらついたから、セティーか、あるいは、今はOSとして機能しているはずのマカロンのどちらかが、少しばかりショックを受けたのかもしれなかった。

「まったく、アルドにはかなわないよ。

 そちらは、ヴァレスさんですね。俺はセティー。この時代で治安を守る任務についています。アルドの旅の仲間でもあるので、あなた方のギルドナ王とも面識はありますよ」

 セティーは降車して、右手を差し出した。握手の際には、いざとなれば武器を扱う利き手を差し出すことが古来の礼儀だ。ヴァレスも、一つ頷いて右手で応じる。

 二人のカブト虫戦士の手と手が触れ合おうとしたその瞬間、セティーは、顔の横に戻ってきたマカロンを左手で爪弾いた。

 途端に、カブト虫戦士の姿は消え去り、かわりに金髪の青年が出現する。

 ヴァレスは、本来の姿に戻ったCOAのエージェントと握手を交わすことになった。

「よろしく、セティー殿。

 いやはや、これが光学迷彩とかいう、こちらの時代の技術ですか」

 ヴァレスは、落ち着いた口調で応じた。

「その通りです。ご存知でしたか」

「ええ、姿形を変える魔法のような技術だと、アルドから聞いてはいましたよ」

 それを聞き出せたのがついさっきであるとは、ヴァレスは言わなかった。アルドが、煉獄界まで意識を飛ばして頭を冷やした際に、やっとのことで思い出したのだ。例えば、合成人間が人間社会に潜り込む際には、光学迷彩によって姿を偽っているのだと。

「この技術を活用すれば、ヴァレスさんが人間の姿になることも簡単ですよ。試してみますか?」

 エージェントの涼やかな瞳が魔獣を捉えている。暗に、未来では人間に姿を変えてより穏便に行動してはどうかと提案しているのだろう。

「いえ、せっかくの機会です。今日のところは、この姿でのし歩かせていただきますよ」

 ヴァレスは、不敵な笑みを浮かべた。

「……そんなことより、アルドから聞いてはいたのですが、これが、未来世界を走り回っている『鉄の馬』ですか」

 ヴァレスの視線と人差し指は、今は、セティーよりも彼の紅のマシンにぴたりと焦点を合わせていた。

 金髪のエージェントは、軽く目を見張ってから微笑する。

「そうだな……まずは、馬ではなく天馬と呼んでほしいですね。それから、これは鉄ではなく非鉄金属の合金製なんですよ。合金はご存知ですよね?それこそ青銅なんかは、中世にも余裕で存在していたはずですし……」

 ちらりと二人へと視線を流して、セティーの唇は苦笑を含んだ。

「すみません。俺は、この時代の人間だけに魔法は不得手なんですが、中世からの客人をフリーズさせる魔法なら使えてしまうみたいですね」

 火属性の槍使いは、前髪をかきあげながら言った。愛機についてつい早口でまくしたてたことを、セティーなりに詫びたのである。

 しかし、アルドはともかくヴァレスは、決して理解が追いつかずに固まってしまったわけではなかった。身じろぎすら忘れて、紅のマシンに見入っていたのである。

「いえ、良いのですよ。おそらく、鉄よりも軽く丈夫な合金でできているのでしょう?

 つかぬことを伺いますが……この私にも乗りこなせるものでしょうか?」

 アルドが「えぇっ!?」と驚いたことになど、ヴァレスもセティーもお構いなしだった。

「そうですね……飛行はともかく、陸上を走行するぶんには、そう難しくはないでしょう。正式に免許を取得しようとするなら、また別問題ですが」

 セティーの口ぶりにも一段と熱がこもる。

『おい、聞いておるか?……こら、聞かぬか!』

 実は、かの不思議な声は、諦めることなく呼びかけ続けていたのだが、騎乗者にも、騎乗希望者にも、そして、ただ驚きの表情で二人を見比べる勇者にも、どうにもこうにも届かないのだった。


「うひゃ〜、え、ノポウ族、そりゃないさ〜」

 とある展示コーナーの前で、金色のカブト虫戦士が独り、すっとんきょうな声をあげた。今回のコンテストに合わせて新たに追加された、ノポウ族に関するコーナーである。

 ノポウ族は、中世以前には存在して人間とも交流したと伝えられている種族だが、そもそも調理や物作りの習慣が一切無かったというのだ。

「うぅ……もしもノポウ族に生まれていたら、着ぐるみを作りたいだなんて、死ぬまで思いもしなかったってことなのさ〜」

 打ち震えるカブト虫戦士の頭頂部の一角には、K-492というエントリーナンバーを記した大きなリボンが結ばれている。

 今回のコンテストで、予選をぶっちぎりの一位で通過した優勝候補その人だった。

 カルチャーショックにおののきながらも、優勝候補のカブト虫戦士は、背後に三つの人影が迫っていることを、既に察知していた。仮に敵性勢力であれば、振り向きざまにまずは真ん中の人物を攻撃して、体勢を崩させよう……

 ついついそんな脳内シミュレーションを展開してしまうのは、本日の優勝候補にとって、かつて生きていた世界のおかげで心身に染み付いた癖のようなものだった。

「あの……優勝候補の方っすよね。ちょっとよろしいですか?」

 三人組は、いきなり襲ってくる……ことはなく、むしろおずおずと声をかけてきた。

「アイアイサ〜?」

 だから、優勝候補も、努めて和やかに返事をしながら振り向いたのである。

 相手は全員カブト虫戦士で、真ん中に金色の映画派、その両脇に白い彫像派という布陣だった。

「あの……おひとりっすか?同行者さんは?」

 三人組は、それぞれに撮影用らしきドローンを従えていた。本日のコンテストでは、ドローンを同行者として登録することも認められているから、特にルール上の問題はない。

「こっちも連れならいるさ〜。今ちょっと……別行動してるけどさ〜」

 優勝候補に、非常に頼もしい連れがいることは事実だった。

「あのっすね……」

 三人組は口々に語りだした。

 今回のコンテストでは、優勝賞品の中に、マクミナル財団が出資する次の映画に参加する権利も含まれている。俺たちはみんな映画に出てみたかったが、どうせ優勝は無理だろう。だって、あなたには勝てる気がしない。けれど、せっかくコンテストの本選まで辿り着いたからには、せめて楽しい思い出作りをしたくって……

(話が見えないさ〜)

 優勝候補は、燦然と輝く着ぐるみごと、小首を傾げた。もしや、優勝候補を排除して多少なりとも順位を上げたいのだろうかと、肉弾戦で三人組を制圧するシミュレーションが、脳内で捗るばかりである。

「よかったら、俺たちと一緒に、喫茶室へ行きませんか?」

「ん?喫茶室で何するのさ〜」

 そこへ、新たな人影が現れたのである。

「あらあら、何を話しているの?まさかとは思うけど、コンテストの公正さを損なうような悪だくみではないでしょうね」

「おおっ、聖騎士様だ!」

 警備担当者のコスプレだとわかっているだろうに、鎧姿のレンリの前に、あたふたと両膝をついて拝み始めた三人組である。

 女性の聖騎士は、昨今、中世風の世界観のゲームでは必ずと言っていいほど取り上げられるくらいの人気者である。マクミナル財団が出資してリリースされたばかりのオンラインゲームにも、高貴かつ高潔であることを示す金冠や白鳥の翼で飾り立てられた姿で登場するのだ。

 カブト虫戦士三人衆は、どうやら、そのゲームをプレイしているらしい。

 一方、現実のミグランス王朝の聖騎士であるアナベルと顔見知りで、スイーツについて熱く語り合ったことすらありますだなんて言えるはずもないまま、財団側の要請で、そのコスプレを引き受けることになったレンリだった。

「困ったわねえ。私を崇拝して見せても、ゲームみたいに『聖痕の秘跡』なんて授けてあげられないわよ」

「『いいね!』なら、たくさん授かると思います!」

 レンリは察した。三人衆に付き従う撮影用ドローンが稼働しているということだろう。

「あの……俺たち、これから喫茶室に行って、ミグランス・パフェを注文するつもりなんすよ。で、『人間どもの城を手中に収めたぜ!』的なキャプションをつけて、ネットにあげようかと思ってて……

 どうっすか、聖騎士様、それに優勝候補氏も、ご一緒しませんか?」

 レンリは、手で軽く口元を覆った。数時間前に役得だと喜んで試食した、ミグランス城の外観を再現したパフェの味が蘇ったのだ。大急ぎで成分鑑定に回したものの、毒物の類は検出されず、安全な食品であるというお墨付きを得て、素直には喜べなかったという経緯は秘密にしておこう。

「いいわよ、巡回の経路には喫茶室も含まれているし。私は職務中だから、長居はできないし、何か注文するつもりもないけれど」

 三人衆はもちろん、彼らのドローンたちまでもが狂気乱舞する。

「あなたもいかが?」

 レンリは、優勝候補へと目配せした。実は、レンリこそがK-492の同行者なのである。そして、今回のコンテストをきっかけに、「庭園の島」の外へと、この社会へと羽ばたいてくれればと、強く願っているのだ。

 K-492の背中に優しく手を当てながら、実はレンリには、また別の思いもあった。

 今回のコンテストを機に新設された展示コーナーは、なにもノポウ族に関するものだけではない。

 中世の聖騎士は、かつて魔獣への抵抗のシンボルとして崇拝されていた。昨今は、単に人気を博すというだけではなく、合成人間への徹底抗戦のシンボルとして流用されているという側面もあるのだ。

 金冠と白鳥の翼で飾り立てられた聖騎士のキャラクターを糸口にして、人間と合成人間の現状や今後を展望するコーナーには、いったいどれほどの人々が関心を寄せたのだろう。

 大地を失い、大地の紛い物のようなプレートを天空へと浮かべて、人間であれ合成人間であれ、薄氷のごとき脆さを含んだそのプレートの上で生きてゆかざるをえないというのに……


「あ、いたいた、監督さ〜ん!妖魔の姫が、華麗なる大復活をとげて、ただいま再臨いたしましたわ〜〜!」

 その声はとてもよく通る。呼ばれた白いカブト虫戦士は、駆け寄ってくる少女を、しばし呆然と見つめた。

 少女は、監督を覗き込むようにして立ち止まると、片足を軸にしてふんわりと一回転してからポーズを決めた。

「あんら、戻って来てくれちゃったのね、シュゼットちゃあ〜〜ん!」

 元々は代役にして悪役だったシュゼットを、「蝶火女」という主役に据えて、いろいろあったがなんとか映画を完成させた監督は、実は、エントリーナンバーB-023の、敗者の美学おじさんなのだった。

「アナタが突然、喫茶室から飛び出してくれちゃったときには、いったいこのアタシにどうしろと言うんだって慌てたわよお!」

 着ぐるみを纏ったおじさんには、俊足のシュゼットを追うこともままならなかったのだ。

「あれれ?ちゃ〜んと言いましたわよね?悪の秘密結社の罠にはまったから、シュプリームな聖餐にて身も心もお清めするしかないのですって……」

 少女は、不思議そうな顔をする。

(『ちゃ〜んと』なんて、言ってくれちゃうわねえ……それに、妖魔が聖餐だのお清めだのって、もういつも通りに設定がブレブレじゃないのよお……)

 監督は、急激に老化が進んだような感覚に苛まれながらも、これぞこの女優の個性だったと気を取り直した。

 彼は、同行者であるシュゼットに逃げられたと勘違いしたため、その代理として撮影用のドローンを調達して、入館手続きをやり直す羽目に陥ったのだ。そして行列している最中に、マクミナル一族の縁者だという、それはそれは見事な着ぐるみに出会ったのだ。

 だが、映画監督が次回作のインスピレーションに痺れたのは、入館した後のことだった。

「ねえ聞いてちょうだい、シュゼットちゃん!アタシの行く手に、祝福の鐘が鳴り響いて、新たな黄金の扉が開いたのよ!

 な〜んと、金色のカブト虫戦士が最新式のマシンを駆ると、ひと思いに心臓麻痺しちゃいそうなほどカッコいいんだから〜♡」

「ああ〜〜、はいはい」

 それだけ聞いたらだいたいわかった、とばかりに、シュゼットは監督に掌を向けた。そして、頬を片方だけぷっくりと膨らませたのである。

「わたくしだって、カッコいいとは思いますわ〜。だけど……大人気のスカした悪役って感じぃ?」

 彼女は別段、そのコスプレの「中の人」に悪感情を抱いているわけではない。ただし、いつの日にか魔界人間界統一王座決定戦が開催されたなら、槍使いの部の人間界代表として、セティーが勝ち上がってくる可能性は決して低くはないだろう。その時は絶対王者たる魔界のプリンセスとして、まさに蝶のごとく華麗に舞って返り討ちにしなければならないのだ……

『余の麦……余と約束した麦は……』

「麦ですって?なら、美味しいお菓子にしてしまうのがお約束じゃな〜い。絶品のタルトを作るには、まずは、小麦粉を選りすぐることが欠かせないのですわ〜〜!」

 物思いの最中に誰かの声が聞こえて、シュゼットはすかさず反応する。

「ねえ、シュゼットちゃん、今日はその〜……イマジナリーなお友達とのお喋りが、いつも以上に弾んじゃってるみたいねえ」

 並んで歩き出していた監督が、少々困惑しているようだった。

「あれれ?」

 シュゼットは、急いで周囲を見回した。決してイマジナリーなどではない誰かの声を聞いたはずなのに、その声の主が見当たらない。

『そこは酒じゃろう!民が飢えることなく麦が実り豊かであるならば、まずは菓子よりも酒を造らんかあっっ!』

 声の主は絶叫したつもりだったが、どうにもこうにもチャンネルが合わないようで、行き交う人々が彼の所在に気付くには至らないのだった。

 

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