第39話「死神×婦警」

 不自然に途切れた電話への反応は、亜紀と八頭とでは、ある意味に於いて好対照だった。


 まず亜紀は「え?」とつぶやきはするのだが、ただならない気配にすぐさまスマートフォンの地図アプリを立ち上げる。


 ベクターフィールドが最後にいったGPS情報を参照しようする亜紀に対し、八頭やずは地図アプリを立ち上げるよりも先に、亜紀を窓から離させた。



 亜紀はベクターフィールドの危機を感じ取ったが、八頭は自分たちの危機を感じ取ったのである。



窓際・・は危険です」


 アルミや樹脂でできているサッシは霊にとって弱点となるが、ガラスは別だ。帯電列でガラスは+側なのだから。窓際は不意打ちされる危険がある。


 八頭は、まず外を確かめたくなる気持ちを押さえつけた。こちらを襲撃するなら、ベクターフィールドを襲ったタイミングと合わせるはずだ。


 手早く得物を探る八頭は、不吉と分かっていても、それ・・を口にする。


「ベクターフィールドは、襲われたと考えた方が良いでしょうね」


 窓を気にしつつ、玄関へ向かう。幸い玄関のドアは金属製だ。霊はけて来られない。ただ壁は警戒する。鉄筋コンクリートであるが、鉄筋は鉄板ではない。不確かだ。


 ベクターフィールドが知らせてきた場所も気になるが、今は自分たちの安全を確保する方を優先する。


 静かに魚眼レンズを覗いた八頭は、短く舌打ち。


「……チッ」



 想像通り、レンズの向こうに霊が見えたのだ。



 何が見えたのか聞かずとも分かる亜紀も、特殊警棒を用意した。


「八頭さん」


 亜紀は八頭と並びながら、ドアノブへ慎重に手を伸ばしていく。


「張るなら、ドアのすぐ向こうですよね?」


 かつて不覚を取った事を憶えている。悪魔と霊という違いはあるが、ドアを開けた瞬間にできる死角を突かれた。


 亜紀にも二度の不覚はない。


 ――開けてくれたら、それと同時に、私が。


 地面と水平に警棒を構える亜紀は、無言でも目配せに意味を持たせている。


 八頭も理解できた。愛車のキーが入った上着を取り、剣を抜く。


「……」


 八頭は呼吸音すら気を遣うほど、静かに構えた。幸い八頭の部屋は一階だ。駐車場まで走れる。不安といえば戸締まりせずに出かける事だが、今の状態で抱ける不安ならば文字通り贅沢ぜいたくというものだろう。


 鍵を開け、ドアノブに手を掛け――、


「はいッ!」


 隣室の住人への迷惑など考えず、八頭は思いきりドアを開けた。


 金属製のドアは正面180度を薙ぎ払い、そして亜紀は飛び出すと同時に特殊警棒を突き出す。ステンレスも帯電列ではマイナス側にある。突き出せば霊のを貫くには十分だ。


 霊という未知の存在への攻撃であるが、亜紀は足を止めずにもう一歩、進み出て今度は面を放つ。


 狭い廊下に響くのは風を切る音のみだが、亜紀も、亜紀と交代する様に走る八頭も、共に必死の形相だった。


 アズマが二人を追い抜いていく。


「八頭さん! 急いで!」


 返事もしないまま、八頭は廊下から外へ飛び出し、棟を回って駐車場へ。


「乗って!」


 キーのドア開閉スイッチを押しつつ、八頭は亜紀とアズマを庇う様に振り返った。


 ――数は……いや、数えるよりも迎え撃つ方が優先!


 縦横に剣を振る八頭の耳に、バタンと亜紀が愛車のドアを閉めた音が聞こえる。


「八頭さん、行けます!」


 亜紀の声で、八頭は迎撃を切り上げ、運転席へ身体を滑り込ませた。エンジン始動、クラッチを踏んでギアをローに叩き込み、アクセルを踏む。


 急発進する車は鉄とアルミの塊である。霊を打ち砕くのは容易であり、また2リッターの水平対向エンジンが絞り出す200馬力に追いつけるスピードなど、霊にもない。


 急発進の加重に顔をしかめながらも、亜紀はスマートフォンを示し、


「ベクターフィールドは、港です。港の北の端、多目的広場の噴水のある一角」


 八頭は亜紀へ短く「了解」とだけ返した。そんなに遠くない。


 ――6キロ? 5キロ。まぁ、15分もあれば着く!


 国道へ出たところで、八頭は一気にアクセルを踏む。交通状況など気に掛ける必要のない深夜だ。レブカウンターとスピードメーターが勢いよく右へ回ると、亜紀は職業病を出しそうになってしまうが。


「スピード――」


 出し過ぎではないかといいかける亜紀へ、後部座席からアズマが悲鳴のような声を出した。


「お姉さん、今は見逃して」


 緊急車輌ではないが、緊急事態に違いはない。


「ごめんなさい!」


 亜紀の謝罪に八頭は思わず笑ってしまうが、笑っていられない事態が来てしまう。


「何だ!?」


 床まで踏み込んでいるアクセルに反して車は速度を落としていったのだ。


 回転計は不自然な跳ね上がり方をし、しかしエンジン音は回転数に比例も反比例もせず沈黙する。


 八頭が経験した事のない事態だが、これは単純なトラブルだ。


 亜紀がメータ類を指さす。


「ガソリンは!?」


 ガス欠を示すインジケータが点灯しているではないか。


 凡ミス……いや、八頭にそれはない。


「そんな馬鹿な!」


 八頭がガス欠まで放置するものか。


 ガス欠の理由は、後ろを振り向けるアズマが見つけた。


「あ、穴! 穴!」


 原因を告げるアズマの声を支配しているのは焦り。


 後ろの道路には、黒々とした筋が街灯に照らされている。


 ガソリンタンクに穴を空けられていた。


 バンっとハンドルを殴る八頭。


「クソッ!」


 毒突いても、もう車は使えない。それどころか、道路上に描かれているガソリンが筋は導火線に等しい。霊の出現を示す兆候には、発火や帯電があるのだから、爆弾に乗っている様なモノだ。


 急ハンドルを切って歩道に寄せるのも、やっとの事だ。


「降りて!」


 車を降りた八頭は、また亜紀とアズマを庇う位置に立つ。


 追い掛けてくる霊は――いや、やはり数を数える余裕はない。それでも最悪の事態へ転がっていく状況に、八頭は、頬を痙攣させた。


「こういう時、何ていいましたっけ? 三十六計……」


 アズマもオタオタと、八頭と亜紀へ視線を往復させている。


「逃げるが勝ちって意味の言葉だっていうのは知ってるけど、正しいのは知らない!」


 それに対し、亜紀には若干の冷静さが残っていた。


「逃げるにかず――です!」


 八頭とアズマに正解を告げ、咄嗟に通りかかったタクシーを停められたのだから。


「タクシー!」


 急に飛び出してきたに等しい亜紀だったが、タクシーはキッとタイヤを鳴らして眼前に止まってくれた。


 後部座席に乗り込んだ亜紀は、慌てた口調ながら、できるだけハッキリと伝える。


「港の多目的広場。噴水のあるところまで」


 亜紀の告げた行き先は、こんな深夜には相応しくない場所だっただろうが、運転手は何もいわずに発車した。


 シートに身体を沈める八頭は一瞬、気が緩みそうになたが、かぶを振って緊張感を張り直す。


 ――都合よすぎだ。


 思わず乗ってしまったが、タクシーの数が減っている昨今、捕まえたい時に捕まりにくいのがタクシーではなかったか?


 それを証明するが如く、窓に貼られたステッカーにはこう書かれていた。



 初乗り料金660円――20世紀後半・・・・・・の料金ではないか。



 シートに沈めようとしていた身体を起こし、八頭は大きく舌打ちする。


「んな訳ないな!」


 随分とすんなりとスタートしたタクシーは、八頭たちが「何」からか逃げていた事など気にしていなかった。



 そもそも、この運転手の目は八頭たちに襲いかかってきた連中と同じ。



 焦りは――、さほど生まれなかった。追われていた時は多勢に無勢だったが、車内とはいえ、ここでは3対1。状況は全くと言っていい程、違う。


 亜紀も同様に、今は冗談をいえる余裕が生まれている。


「このまま、どこに連れて行ってくれるのか、お誘いに乗るっていう選択肢はないですね」


「待ち合わせがありますね」


 ポケットに手を突っ込む八頭は、冷静とはいえないが皮肉な態度を取った。


「悪いけど、ここで降ります。少し足りないけどまけて・・・ください」


 運転手に投げつけるのは五百円玉。ニッケルも霊に有効なマイナスの電荷を帯びる。


 とはいえ、矢ならば兎も角、五百円玉では霊を貫くには不可能だった。


 それでも、運転手がひるんだのだから、八頭は前へ乗り出す。


「シートベルトを! アズマは抱っこしてもらってろ!」


 アズマを押しつけられ、目を白黒させる亜紀の眼前で、八頭はサイドブレーキを引いた。


「八頭さん!?」


 亜紀も思わず悲鳴をあげてしまう。全速力を出しているタクシーは、サイドブレーキによる急制動でリアを振り回してスピンし始める。


 そんな中、運転手の霊は八頭に掴みかかったのだ。


 亜紀も震えが来てしまう。


 ――サイドブレーキを引くのも無茶だけど、ハンドル、ハンドル!


 しかし八頭も必死で、車を制動できない。


「クソッ!」


 こういう時の殺陣など知らないし、狭い車内で扱うには八頭の剣は長過ぎる。


「これを!」


 そこへ亜紀が折り畳んだ警棒を差し出した。


「ありがとう!」


 霊の顔面に突き立てた八頭は、続いてハンドルを握る。回転しようとする方向に対してカウンターを切れば、タイヤが甲高く耳障りな音を立てるが、アスファルトに黒いブレーキ痕をつけて止まってくれた。


 幸いにして衝突事故には至らなかったが、八頭は額に脂汗を浮かべ、肩で息をさせられている。


「何て日だ……」


 しかも終わりではない。


 車ならば15分だったが、ここから徒歩では果たして……?

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